発動機非搭載小帆船単身無寄港太平洋横断と世界最高齢発動機非搭載小帆船単身無寄港太平洋横断も日本人の発明

絵のような写真。波のような山脈。水のような空。空は雨の港。天は涙の港。大海原に向かうことは空に向かうこと、天に向かうこと。なぜ神は空と海と陸を創造したのか。人は向かい到着していく、天という港に。
Di Provenza il mar

    動力源は神と先祖の愛と涙

    昭和13年1938年9月8日誕生の日本人の堀江謙一は昭和37年1962年8月12日に世界で初めて発動機非搭載小帆船単身無寄港太平洋横断に成功しました。堀江謙一は23歳の昭和37年5月12日に発動機を非搭載の小帆船(ヨット)で単身で日本の西宮港を出港しどこの港にもどこの陸地にも寄ること無く昭和37年8月12日にアメリカのサンフランシスコ港に到着し94日で太平洋を横断しました。おめでとうございます。3番目の写真が昭和37年8月12日にサンフランシスコ港に到着し世界初を達成し日本の国旗を持っている堀江謙一の写真で2番目の写真も堀江謙一です。
    堀江謙一は平成5年1993年2月17日に世界で初めて足こぎボートで単身無寄港太平洋横断に成功しました。堀江謙一は54歳の平成4年10月31日にハワイのホノルル港を足こぎボートで出港し平成5年2月17日に日本の沖縄の港に到着し110日で太平洋を横断しました。おめでとうございます。    

    堀江謙一は令和4年2022年6月4日に世界最高齢発動機非搭載小帆船単身無寄港太平洋横断に成功しました。堀江謙一は83歳の令和4年3月27日にサンフランシスコ港を出港し令和4年6月4日に西宮港に到着し69日で太平洋を横断しました。おめでとうございます。5番目の写真は世界最高齢発動機非搭載小帆船単身無寄港太平洋横断に挑んでいる83歳の堀江謙一、6番目の写真は堀江謙一が69日ぶりに陸地に立った瞬間で世界最高齢発動機非搭載小帆船単身無寄港太平洋横断を達成した瞬間、7番目の写真は達成した翌日の令和4年6月5日に開催の祝賀会での堀江謙一、8番目の写真はリチウムイオン電池の父の日本人の水島公一、4番目の写真(旭日旗のすぐ下の写真)は日本人の山口多聞です。日本は世界一の国。日本人の男は世界一の男。






 

 

 

 

 

 

 

捻線建築と綱吊屋根建築も日本人の発明

 

 

 

    神の傘

    捻線建築は「平成17年2005年登場のスウェーデンのターニングトルソ」「平成18年登場のスペインのHotelーMarques ーdeーRiscal」「平成23年登場のアラブ首長国連邦のキャピタルゲートビル」などのような建築です。捻線建築を見るようになったのは最近です。しかし、日本人は今から58年も前に捻線建築を造っていました。世界初捻線建築「日本国立代々木競技場」昭和39年1964年登場。捻線も曲線の一種、円形も曲線の一種と言えますが、円形建築と曲線建築は58年前よりももっと昔からあります。今から1400年も前の建築「日本の法隆寺」は屋根の裾の線や屋根の天辺の線が曲線ですから曲線建築ですし、今から3500年も前の建築「イタリアのSUーNURAXI」は円形建築で曲線建築、ガスタンクも円形建築です。曲がった角度が不規則だけではなく曲がった方向も不規則なのが捻線(捻れた線)です。日本国立代々木競技場は2本の縄或いは2本の綱のようなものが地から天に向かって伸びている或いは天から地に垂れ下がっているのも特徴で、この部分だけでも素晴らしい意匠でかっこいいですが、日本国立代々木競技場は世界初綱吊屋根建築でもあり、日本国立代々木競技場は当時世界最広無柱屋内空間でもあります。日本人は「とても広くて屋根があって屋内だけど柱が無い空間」「ただの曲線建築ではなくちょっと変わった珍しい新しい曲線建築の捻線建築」を造る為に綱吊屋根を発明しました。日本国立代々木競技場は2本の綱(ケーブル或いはワイヤー)で屋根を吊っていて、2本の屋根吊ケーブルは2本の柱(主塔)で支えています。主塔は屋外からはここが主塔だとはっきりわかる意匠或いは構造になっていて、この特徴を最も大きくしているのは「主塔の高さは屋根の高さよりも全然高い」ということでしょう。屋根吊ケーブルは1本の太さ33cm、1本は37本のケーブルの束、主塔の高さ40m、1本の縄で屋根を吊っているのではなく2本の縄で屋根を吊っている理由は「屋根を吊ることは屋根を引っ張ることでもあり吊るものが非可動部材(非可曲部材)の棒ではなく可動部材の縄で縄が屋根の中央にあり屋根を左右から吊ると縄が歪みやすく特にこの建物のような大屋根だとそうだから一筋縄ではいかない」からで、更に2本の屋根吊ケーブル(メインケーブル)は最も歪みやすい中央の部分の最も主塔から遠い部分へ段々と間隔を広くし更に歪みを減らすようにしています。このように、メインケーブルは2本の間隔が空いているためこの部分にも屋根を設置、この部分の第2屋根(メインケーブルの上に設置の屋根)の小屋根と主塔も可動部材の制振油圧ダンパーでつないでいてむしろ屋根が振れるように(動くように)してあり、むしろ屋根が振れるようにしてある理由はむしろ屋根の振動を減らす為で、制振油圧ダンパーは振れて動くことで制振、このダンパーは制振の役目だけではなくより確実に二重に屋根を支える役目もあり、メインケーブルは屋根の部分(2本の主塔の間の部分)は屋内からも屋外からも見えなく、ダンパーも屋内からは見えませんが屋外からは見える意匠或いは構造になっていて、より綱吊屋根の特徴を出しています。日本国立代々木競技場の大屋根と小屋根は屋根の表面はつながっていないですし、大屋根の縞模様は縦線ですが小屋根の縞模様は横線ですから、小屋根は屋根の上に更に屋根が乗っている越屋根という日本建築の屋根にも見えますし、越屋根は換気の為や採光の為や装飾の為に設置しますが、昔は小屋根の横線の間が硝子になっていて天井からも自然光が入っていたそうですが、縦線では硝子に庇を造ることができないということで横線に、もしくは、長くて雄大な屋根の部分のメインケーブルと同じく横線にしてこの部分の見えないメインケーブルを表現したのでしょうか。日本国立代々木競技場登場以前(昭和39年以前)から吊屋根建築はあり、世界初吊屋根建築は「昭和33年登場のアメリカのIngallsーRink」だと思いますが、この建物は綱で屋根を吊っているのではなくコンクリートの棒で屋根を吊っている棒吊屋根建築で、この建物は固定座席3500席、日本国立代々木競技場は固定座席8636席で下段舞台(アリーナ)にも座席を4124席設置でき、1万3千人を支える屋根をたった2本の柱で支えています。しかし、この2本の柱は屋内においても全く意匠の1つになっていないわけではなく、屋内においても柱が全くわからないわけではありませんが、会場においても会場以外においても屋外の入口付近においても柱がほとんどわからない意匠あるいは構造そして工夫をしています。   

   天と地をつなぐ

   日本国立代々木競技場は建物周辺も変わった形をしていますが、建物周辺も建物と同じくらいとてもお洒落でかっこいいです。「1本から多方向に不規則に伸びていて長さも全て違うから植物のようであるが曲線がなく直線だけの屋外照明」「幅が広くて中央分離帯があり立体だから高速道路のようであるが曲線がなく直線と直角だけの歩道」もかっこよく、逆に建物周辺は直線意匠になっていますが、立体歩道の中央分離帯にある照明だけは曲線意匠で、この照明は昔(日本国立代々木競技場ができた当時から平成になる前まで)の大きい道路によくあった「鳥が羽を広げたような意匠の照明」ですが、支柱の高さは道路の照明よりも低いのが特徴で、低い理由は「道路ではなく歩道であることを照明の高さで表現或いは表示した」のでしょう。僕は初めて日本国立代々木競技場の上から撮った写真を見た時、日本国立代々木競技場の大きい方の建物は上から見ると縄文時代からの日本古来の紋章「二つ巴」に似ていると思いました。二つ巴などの巴紋章は「とても簡素な意匠だがとてもたくさんの素晴らしい意味を持っている意匠」「とてもはっきりした意匠」「強い意匠だが親近性のある意匠」「大人のような確固たる豊富な意匠でもあり子供のような飾り気のない純粋な意匠でもある」「大人の為の意匠でもあり子供の為の意匠でもある」「真面目な意匠だが楽しい意匠」ということを感じます。外国の紋章の方が細かく、外国の紋章も日本の紋章も植物や生物などの地球にあるものを意匠にしていることがほとんどですが、巴紋章は地球にない意匠で意匠性がとても高いと思います。日本国立代々木競技場は立体歩道の側面もそうですが日本の城の石垣のようになっている部分もあり、城の石垣の上に建物が建っているように見える場所もあるため、日本国立代々木競技場は日本の城のようでもありますし、主塔のケーブルの部分から左右に芽や枝のように上に出ているものは日本の神社の屋根の千木のように見えますし日本の神社の屋根の曲線は盛曲線の逆の掘曲線で日本国立代々木競技場の屋根の曲線も富士山の曲線のような掘曲線ですから、日本国立代々木競技場は日本の神社や富士山のようでもあり、窓が横にたくさん並んでいる建物の側面の部分は外から見ますと丸くて薄くて浮いているので、日本国立代々木競技場はUFOのようでもあり、日本国立代々木競技場は船のようでもあり、日本国立代々木競技場は「古いものと新しいもの」「平地と山地」「水面と地面」「地球と宇宙」「現実と非現実」「昔と未來」「天と地」を見事につないでいます。日本国立代々木競技場の建物全体或いは小屋根が船のように見える時、主塔は帆柱のように、千木のような部分は帆桁のように、ケーブルは静索(和船水縄や帆船シュラウド)のように、大屋根は帆或いは水面のように見えます。一番下に掲載の紫色の夕陽空の写真のすぐ上に掲載の写真は日本国立代々木競技場の「立体歩道」「立体歩道と中央分離帯」「立体歩道の中央分離帯にある鳥が羽を広げたような意匠の屋外照明」が左に、右に「丸くて薄くて浮いている部分」が写っている写真です。日本国立代々木競技場は建物が大小の2棟あり、2棟の設計と意匠は大正2年1913年9月4日誕生の日本人の丹下健三が、大きい方の建物の施工は清水建設が、小さい方の建物の施工は大林組が担当しました。小さい方の建物も綱吊屋根建築ですが、小さい方の建物はケーブルが1本で屋根が左右になく小屋根もありませんが捻線部分は小さい方の建物の方が多いです。だから「大きいのが小さくなった」「小さいのが大きくなった」「大きくなったり小さくなったりしている」という変動や連動が不思議と大小2棟の建物という不動から感じます。清水建設は天明3年1783年誕生の日本人の清水喜助(しみずきすけ)が文化元年1804年に創造した日本人の会社、大林組は元治元年1864年9月14日誕生の日本人の大林芳五郎が明治25年1892年に創造した日本人の会社です。日本国立代々木競技場ができた昭和39年1964年は新幹線0系が開通した年でもあります。新幹線第1号の新幹線0系は世界初超高速電車(時速200キロ超の電車)であり、新幹線0系は当時世界最速時速210キロの電車でもあります。更に日本人は1964年以後「薄くて低電力で電池が長持ちの表示体の液晶」「液晶電卓」「液晶テレビ」「透明液晶」「透明テレビ」「液晶映写機」「撮影部分と記録部分が一体のビデオカメラ」「現像しなくてもいいカメラ」「何回再生しても音質が変わらない奇跡の光ディスク式装置」「3Dプリンター」「電球形蛍光灯」「ノートパソコン」「ハイブリッド自転車」「ハイブリッド自動車」「LED照明」「有機ELテレビ」「有機EL照明」「リチウムイオン電池」などなどを創造、そして、日本人は2027年に世界初時速500キロの電車を創造します。  

 

 

 

 

 

 

 

              

 

 

 

 

 

 

 

 



 





 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

井深大盛田昭夫ソニーピクチャー

 

 

エジプト 🇪🇬 ピラミッド                          4500年前登場  
イタリア 🇮🇹 SU NURAXI             3500年前登場
イタリア 🇮🇹 NURAGHE LOSA 3500年前登場
    シリア 🇸🇾 ボスラ                                  3500年前登場
        日本 🇯🇵 法隆寺                                  1400年前登場

 

 

         日本 🇯🇵 ピラミッドトーク         1983年登場
         日本 🇯🇵 PCMーD1                 2005年登場   
         日本 🇯🇵 ICRーPS004M 2009年登場  

 

 

        日本 🇯🇵 大林組3Dプリント捻線建築庇長椅子 2020年登場

 

    今回も男たちが創造した奇跡を掲載しています。法隆寺は世界最古の木造建築、服金太郎精工舎ピラミッドトークは世界初の時間を見る時計ではなく時間を聞く時計、井深大盛田昭夫ソニーPCMーD1は世界最小のアナログピークメーターを搭載の装置、井植歳男三洋電機ICRーPS004Mは世界最小のピークメーターとマイクとスピーカーとカウンターを搭載のレコーダーです。PCMーD1は「笑った時の目のように見える楽しいアナログメーターの窓」「音量回転盤」「ソニーのポータブルオーディオ伝統の傾斜釦」の意匠も素晴らしく、PCMーD1は少し大きいですがソニーデンスケよりは小さいですし、ソニーデンスケはマイクを内蔵していませんでしたがPCMーD1はマイクを内蔵、しかし、マイクを内蔵と言うのはもったいないくらい素晴らしいマイクがついてますし、PCMーD1はソニーデンスケ時代のマイクのように小さい、ということは、もうマイクだけで録音や再生ができる、そして、今のソニーデンスケであるICレコーダーは「テープも何も装着しなくても録音できる」「早送りや巻戻しをしなくても聞きたい箇所が一瞬で出て来る」「録音や再生を繰り返しても音質が不変」「録音や再生をしている時に装置を揺らしても音が揺れない」と進化したのです。全てを解決したのです。ぜひICレコーダーの売り場に行ったら奇跡を感じて下さい。ICレコーダーだけではありません。世界の電気屋は「日本人発明博物館」なのです。ピラミッドを見て「一体どうやって作ったのか」と驚くように、ICレコーダーを見て「一体どうやって作ったのか」と驚いて下さい。昔のレコーダーはどのくらいの大きさだったでしょうか。PCMーD1とICRーPS004Mはデジタルレコーダーでもありますが、世界初のデジタルレコーダーはどのくらいの大きさだったでしょうか。液晶だけでも奇跡で日本人しか作ることができなかったのです。昔はピークメーターをあのように小さくできることを考えた人はいたでしょうか。世界初の液晶ピークメーターは昭和52年1977年登場「井深大盛田昭夫ソニーTCーK8Bカセットテープレコーダー」のピークメーターで、TCーK8Bの液晶は世界初のバックライトを搭載の液晶であり、液晶ピークメーターはデジタルピークメーターでもあり、この後、蛍光表示管ピークメーターやディスプレイピークメーターも登場、ICRーPS004Mのピークメーターは世界最小の左右音ピークメーターで、液晶の所に短い縦線が横にたくさん並んでいるのが液晶ピークメーターです。ピークメーターは「オーディオらしさ」「装置のかっこよさ」「音楽の躍動や拍子」を盛り上げ「音楽の躍動や拍子」を視覚でも感じることができ、ピークメーターが動いている様子はピークメーターを搭載の装置という楽器が踊っているように見えますが、ピークメーターは「どのくらいの音量で録音しているかを確かめる為」「音量を一定に保つ為」のもので、マイクで録音の際は耳とマイクをある程度離すことがほとんどだから耳の音量とマイクの音量が異なる時や、録音源を聞きなから録音の際に聞く音量は小さくしたいけど録る音量はある程度大きい音量或いは普通の音量にしたい時などにピークメーターが役立ちますが、録音の際だけではなく再生の際も音量が小さいと自動で音量を上げ音量が大きいと自動で音量を下げ自動で音量を一定に保つ機能を搭載した装置もあります。アナログピークメーターは棒が動く機械式ピークメーターですからピーク位置を常時表示できませんでしたが、液晶や蛍光表示管などの電子式ピークメーターはピーク位置を常時表示できるからでしょうか、PCMーD1は液晶ピークメーターも搭載しています。日本人はPCMーD1だけでも相当日本人という人種を誇ることができ、PCMーD1の1は出発よりも完成或いは最高点に到着を意味していると思います。ピークメーターの動きはとても速く細かく、テレビもとても小さいモザイクをとても速く細かく制御して色と明るさを変えて動いているように見せる装置ですが、液晶ピークメーターの発明は液晶テレビの発明につながったのでしょうか。世界初の液晶テレビ「服部金太郎精工舎テレビウォッチ」の登場はTCーK8B登場の5年後の昭和57年です。先程「耳の音量とマイクの音量が異なる」と書きましたが、だったら耳の所にマイクをつけたらいい、しかし、どうやって耳の所にマイクを、ヘッドホンの耳の所に小さいマイクもつけたらヘッドホンの装着が耳の所にマイクを装着になる、ということで、日本人はマイクを搭載のヘッドホンも発明しました。世界初のマイクを搭載のヘッドホンは「昭和59年登場の井深大盛田昭夫ウォークマンWMーR15に付属のヘッドホンDRーA70バイノーラル録音」です。当時「マイクが耳の所にあると聞いている音と同じ音で録音できる」というような説明を読んで「なるほど」「発想したことがない発想だ」と感心したことを思い出します。DRーA70は世界初の折り畳み式ヘッドホンでもありますが、ヘッドバンド形ヘッドホンを折り畳み式にした理由は全体の大きさの小形化の為は勿論ですが全体の大きさの小形化の為よりも「人間の耳も左右2つあり左の耳と右の耳は離れているからヘッドホンの耳の所にあるマイクも左のマイクと右のマイクが離れているためより左右の音に違いが出てよりステレオ性(左右の音の違いによる立体性)が高まるのはいいが左右の音の違いが不自然になることもある」を解決の為の左右の距離の小形化の為が先だったと思います。日本人は昭和54年1979年に世界初のウォークマンに当時世界最小のヘッドホンを付属、更に、日本人は3年後の昭和57年に更に小さいヘッドホンで世界初のヘッドバンドが無いヘッドホンで世界初の耳に当てるヘッドホンではなく耳に入れるヘッドホンの世界初の①インナーイヤー形ヘッドホン「井深大盛田昭夫ソニーMDRーE252」創造、しかし、①は耳に水平に入れて装着でヘッドバンド形ヘッドホンも耳に水平に当てて装着、耳に水平に装着よりも耳に垂直に装着の方が音が鼓膜に真っ直ぐに届く、ということで、或いは、①にヘッドバンドを復活しても面白い、そして、耳に水平に入れるヘッドホンは耳に水平に当てるヘッドホンよりも鼓膜に近く垂直にしてもヘッドホンと鼓膜の距離は変わらないが垂直の方が鼓膜に近い感覚は和らぐ、ということもあったのでしょうか、世界初の耳に垂直(バーティカル)に入れて装着のヘッドホンで世界初のヘッドバンドのあるインナーイヤー形ヘッドホンの世界初の②バーティカルインザイヤー形ヘッドホン「井深大盛田昭夫ソニーMDRーW30L」を昭和58年に創造、DRーA70も②で、DRーA70のようなマイクを搭載のヘッドホンは単品でも登場、単品はワイヤードリモコンも搭載の「井深大盛田昭夫ソニーDRーA90C」「井深大盛田昭夫ソニーDRーW70C」で、このワイヤードリモコンは「音量回転盤」「マイクの電源釦」の2つを搭載しこの2つの操作ができ、非プラグインパワーのマイク端子でも使用できるようにこのワイヤードリモコンはマイクの電源の電池箱にもなっていて、使用電池は釦電池LR44、電池持続時間はこの電池1個で200時間、プラグインパワーとは「プラグ(端子)に入れると(装置に繋ぐと)電源を供給」という意味で、ヘッドホンもスピーカーでスピーカーは永久磁石(電気不使用磁石)だけではなく電磁石も使用しヘッドホンも電気使用装置ですがコンセントや電池箱がなくても使用できるのは繋いだ装置から電気を供給しているからで、ヘッドホン端子は全てプラグインパワーでヘッドホンは全てプラグインパワー用、マイクも電磁石を使用の電気使用装置ですが、マイク端子は全てプラグインパワーではなくマイクも全てプラグインパワー用ではありません。世界初の①と世界初の②も本当に最高の意匠で、初期の②は直線意匠でしたが、ドイツ人のLuigiーColaniが創意匠した曲線意匠の②「井深大盛田昭夫ソニーMDRーA60」が昭和59年に登場した後は、曲線意匠の②が外国で人気があったようです。WMーR15のような録音もできるウォークマンは録音ができないウォークマンよりも少し大きいのが問題点でしたが、外でウォークマンで録音してみたいという夢もあり、WMーR15も本当に欲しかった機種の1つですが、後に登場のWMーR55はもっと欲しかった機種で、WMーR55は「ウォークマン初の再生時だけではなく録音時もオートリバースにできる機種」「ウォークマン初のスピーカーを搭載の機種」「ウォークマン初のヘッドホンを非付属の機種」で、世界初ウォークマンTPSーL2は「従来のソニーのポータブルレコーダーのプレスマンTCMー100を録音機能とスピーカーとカウンターを非搭載にし値段を下げた装置」「従来よりも小形のヘッドホンを付属の装置」として登場した装置で、TCMー100は重さ400g、TPSーL2は390g、この2機種は重さだけではなく大きさと意匠もほとんど一緒、しかし、TCMー100は42800円、TPSーL2は33000円です。WMーR55はヘッドホンを非付属の理由は「ウォークマン初のスピーカーを搭載の機種を強調したかった」「WMーR55登場当時は小形で色彩豊富な単品ヘッドホンがたくさん登場していたからヘッドホンを非付属にしてヘッドホンを選んでもらうようにしよう」ということだったのでしょうか。WMーR55はソニープレスマンのように録音機能とスピーカーとカウンターを搭載だからでしょうか、WMーR55はソニープレスマンのような色で、意匠もウォークマンとソニープレスマンを合わせたような意匠です。オートリバース装置でテープが左右両方に動く装置であることを表現したテープ窓の左右にある三角形の方向表示の意匠は井深大盛田昭夫ソニーが最も素晴らしい意匠で、WMーR55を初めて見た時もこの部分がかっこいいと思いましたし、WMーR55は再生時も録音時もオートリバースにできるからこの三角形が再生色の緑色と録音色の赤色の2色になっていてリバースという逆回転だから2色が左右で逆になっていると思いました。今のオーディオレコーダーとオーディオプレーヤーとビデオレコーダーとビデオプレーヤーは光ディスク式とフラッシュメモリ式とハードディスク式の3種類、レコーダーは記録と再生ができる装置、プレーヤーは再生専用装置、今のポータブルのオーディオレコーダーとポータブルのオーディオプレーヤーは光ディスク式とフラッシュメモリ式の2種類、今のポータブルのビデオレコーダー(ビデオカメラやビデオを撮影できる携帯電話など)はフラッシュメモリ式の1種類、今のポータブルのビデオプレーヤーは光ディスク式とフラッシュメモリ式の2種類、メモリースティックとSDカードとUSBメモリはフラッシュメモリと書いてなくても全てフラッシュメモリ、テープに録音でもなくディスクに録音でもなく何に録音かわからないレコーダーもフラッシュメモリレコーダーと書いてなくても全てフラッシュメモリレコーダー、ICレコーダーとリニアPCMレコーダーもフラッシュメモリレコーダーと書いてなくても全てフラッシュメモリレコーダーです。他にありません。光ディスクは日本人の米沢成二が発明、フラッシュメモリは日本人の舛岡富士雄が発明、ハードディスクは日本人の発明ではありませんがハードディスクの問題点を解決しハードディスクの実用化と普及化をしたのは日本人の岩崎俊一ですからハードディスクレコーダーも日本人の発明と言えます。昔はハードディスク式のポータブルのオーディオもありましたが「フラッシュメモリの容量が増えていった」「光ディスクとフラッシュメモリは振動に影響しないがハードディスクは振動に影響」「光ディスクとフラッシュメモリは寿命が半永久だがハードディスクは半永久ではない」「500円玉よりも少し大きいハードディスクも登場したが500円玉よりも小さくSDカードよりも小さいマイクロSDカードが登場」により今はなく、今はポータブルのオーディオはポータブルCDプレーヤー以外はICレコーダーと書いてなくても全てICレコーダーです。昔は光ディスク式のポータブルのビデオレコーダーの光ディスク式のビデオカメラもありましたが今はなく、光ディスク式は最初からポータブルのビデオレコーダーはビデオカメラだけで最初からポータブルDVDレコーダーやポータブルブルーレイレコーダーはありませんが、光ディスク式のポータブルのビデオプレーヤーのポータブルのブルーレイプレーヤーは今もあり、ほとんどのブルーレイレコーダーとブルーレイプレーヤーとポータブルのブルーレイプレーヤーはDVDとCDも再生できます。光ディスク式はオーディオにおいても最初からポータブルCDレコーダーはありませんが、MDという光ディスク式のオーディオは最初からポータブルです。音質と画質はフラッシュメモリやハードディスクよりも光ディスクの方がよく、インターネットは受信したものは全てフラッシュメモリに記録し再生しているため、インターネットで受信して聴く音楽と視る映像もフラッシュメモリの音と映像で、光ディスクの良さは1万円前後の装置でもわかります。大事なのは装置の値段よりも「音楽を楽しむ心」「音楽を愛している心」です。しかし、光ディスクの方が音がいいと言ってもMDのMDLPだけはそうでもなく、MDLPは光ディスクにおいて最初の録音時間拡大化(2倍化)機能ですが、後に、日本人は録音時間を拡大しても音質が劣化しないHiMDも発明、世界初のHiMDは「平成16年2004年登場の井深大盛田昭夫MDウォークマンMZーNH1」で、MZーNH1は「本体の液晶表示がオーディオ史最細の機種」「リモコンの液晶表示がポータブルオーディオ史最太の機種」で、この特徴は意匠にもなっていてとてもかっこよくて新しい意匠ですが、最細意匠にした理由は「普通よりも細いと逆に見たくなる」「本体の表示が細いとリモコンの表示がより大きく感じる」ということもあったのでしょうか。HiMDにおいては世界初の写真を撮ることのできるポータブルオーディオ「井深大盛田昭夫MDウォークマンMZーDH10P」が平成17年に登場、MZーDH10Pはウォークマンですから写真を撮ることができても小さいです。昔はウォークマンとカメラが合体なんて想像もしたことも聞いたこともありませんでした。今はMDはありませんが、MDは世界で初めて「自分で録音した音が早送りや巻戻しをしなくても聴きたい箇所が一瞬で出て来る」「録音を繰り返しても音質が不変」「自分で録音した音の再生を繰り返しても音質が不変」という夢を叶えました。しかし、夢と言いましてもCDが登場まではこのような夢を考えたことも聞いたこともありませんでした。記録や再生を繰り返しても音質や画質が永遠不変。使っても使っても全く変わらない。待たなくても聴きたい曲が一瞬で出て来る。不思議ですね。日本人が創造したこの新しい世界は「空想や夢や不確実な永遠不変の世界」「空想や夢や不確実な瞬間移動の世界」ではなく「現実で確実な永遠不変の世界」「現実で確実な瞬間移動の世界」なのです。役に立つ技術の創造は新しい世界の創造なのです。日本人の創造はポータブルオーディオという1つの分野を見ましてとても素晴らしいことに驚きますし、ポータブルオーディオの分野だけでもほとんどの機種が世界初などの大きい意味を持っていることに驚きます。日本人は日本人が創造した世界初の製品や世界最小の製品を永遠に大事にし永遠に保存し永遠にかっこよく展示していきましょう。大林組初の自動造成建築(3Dプリント建築)が2020年に登場、大林組初の自動造成建築は「とても素晴らしい新しい意匠の庇がついてる長椅子」「世界初の空洞壁建築」「世界初の自動造成空洞壁建築」「世界初の自動造成捻線建築」で、捻線も曲線の一種ですが、捻線と曲線の違いは、曲線は「曲げた角度が一定或いは非一定(不規則)の線」ですが、捻線(捻れた線)は「曲げた角度が不規則かつ曲げた方向も不規則の線」で、空洞化の理由は「軽量化による巨大コンクリート製庇の実現化の為」だと思います。この自動造成建築は12個に分けて造成しました。捻線建築ではなく曲線建築や直線建築なら分けなくても造成できると思いますが、この自動造成建築は3Dプリンターではなくても造成できる建築ではなく3Dプリンターでないと造成できない建築だと思います。将来は「コンクリートのように強くて高温でも溶けないが重さは普通のプラスチックと同じプラスチック」「原料が油ではなく水のプラスチック」も登場し、プラスチックも建築や機械の構造素材の1つになるでしょう。また日本人は3Dプリンターという将来性や夢のあるものを発明しました。ピラミッドなどの大昔の建物も本当に素晴らしく、一体どうやって作ったのかという声もたくさんありますが、日本人が発明したものもほとんどそのようなものなのです。いいえ、ピラミッドを発明よりもICレコーダーを発明の方が難しいでしょう。このように、今の人類は昔の人類よりももっと素晴らしいものを創造しているのです。今の人類は昔の人類よりももっと素晴らしいのです。日本人はとても素晴らしい人種ですから外国人の一見かっこよく見えるものを真似したら大変なことになります。最初に掲載した雲の写真は「日本父祖発明意匠2021年11月11日リモコンも日本人の発明」「③日本父祖発明意匠2022年5月5日祝日本人男の日」「日本父祖発明意匠2022年5月22日祝日本人資生堂150周年」で最初に掲載した雲の写真と同じ日同じ所で撮った写真で、今回の写真は③での写真の10分後に撮った写真です。

 

 

         日本人 🇯🇵 小玉秀男 1950年誕生 3Dプリンターの父
         日本人 🇯🇵 盛田昌夫 1954年誕生 ソニーの父盛田昭夫の次男
         日本人 🇯🇵 井植敏雅 1962年誕生 三洋電機の父井植歳男の孫


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

井深大盛田昭夫ソニーピクチャー

 

    眩しい純白の水。水のしぶきにより、黄色い葉が金粉のように輝き、岩も紫銀に輝いています。水の演奏も聴こえて来ます。全て天然無欲。天国はどこにあるのでしょうか。天国はあるのでしょうか。きっとその綺麗だなと思った心が天国なのでしょう。おや、夏の音も聴こえて来ました。もうすぐ夏です。

 

 

    上に掲載した太陽光により発光の水や硝子や金属という発光物体の写真はディスプレイという発光物体で見ますと本当に本物のようです。勿論、この本物のような素晴らしさにはデジタルカメラという高画質技術も参加しています。音質と画質のデジタル技術は加工技術ではありますが「本来に戻す技術」でもあります。デジタル技術は人類がそして地球が本来に戻る最初の技術です。

 

 

    2番目に掲載した写真はなんと1300年前に日本人男性が作った金属製の平面彫刻です。この彫刻は東大寺の大仏殿の前の広場にある八角形の燈籠の一部で、この燈籠は東大寺建立752年から現存しています。この彫刻は非常に美しい意匠で宇宙のような永遠の動きと地球の生命を感じます。周りの獅子像をかわいらしくどこか楽しげに仕上げているのも特徴です。この彫刻だけの為に日本に行くまたは東大寺に行くとしてもきっと素晴らしい旅そして思い出になることでしょう。

 

 

    夕方の濃い色の空を反映し濃い色に染まるHotel-Marques-de-Riscal。5番目の写真です。この建物はスペインの田舎にあり、2003年に構想が完成そして着工、2006年に竣工、創意匠者はカナダ人のFrank-Gehry、平等院と一緒に写っている男性(2番目の人物写真)と東大寺と一緒に写っている男性と青色の服の男性がFrank-Gehryです。最初の人物写真はブルボンの創業者の日本人の吉田吉造、Hotel-Marques-de-Riscalは巻き菓子や手巻き寿司のような印象もあります。下に掲載した設計図はHotel-Marques-de-Riscalの3階の設計図で、窓の傾斜角度も非常に不規則となっています。Frank-Gehryはこの建物のような不規則意匠建築を得意としています。Frank-Gehryの不規則意匠は不規則にどこか規則(一定)なものを、また、金属を多用していても植物や岩といった自然も感じるのも特徴でしょうか。大胆、都会風、最新、しかし、このような意匠にどこか田舎の藁葺き屋根の家(Thatched Cottage)のような印象も、その印象とは、懐かしさ、あるいは、親近性、も持っていることも素晴らしいです。先程の一定なもの(変わらないもの)とは「かっこよさ」「楽しさ」なのでしょう。このようなことは頭を捻って考えなくても瞬間なものなのでしょう。

 

 

いい加減にしました

 

 

    蝶ネクタイの男性は1852年誕生のスペイン人のModest-Furest、Modest-Furestは1881年にスペインで飲料水会社VICHY-CATALANを創造しました。下に掲載した写真の男性は今のVICHY-CATALANの代表のスペイン人のJoan-b-Renart、建物はスペインのカタルーニャ州のジローナ県のCaldes-de-MalavellaにあるVICHY-CATALANの保養地BALNEARIO-VICHY-CATALAN、BALNEARIO-VICHY-CATALANの建物は竣工した1898年から現存(現在まで存続)しています。VICHY-CATALANは採水所もCaldes-de-Malavellaにあり、VICHY-CATALANは炭酸無添加の天然炭酸水、大分県の阿蘇野や福島県の奥会津にもCaldes-de-Malavellaのように炭酸水が湧き出ている所があります。VICHY-CATALANは容器の意匠もお洒落で、VICHY-CATALANの容器のようにたくさんの模様を施した容器は他にないでしょう。この模様はスペイン人の建築家のガウディの不規則意匠を表現したそうですが、この模様は岩や雲や水の模様や生物にも見えます。BALNEARIO-VICHY-CATALANの建物は外装も内装もとてもお洒落でかっこよく、普通は半円の窓を円形に近い意匠にしていたり、外壁の窓周辺も色調で誇張している意匠ですが、このような意匠はスペイン発祥の建築様式Neo-Mudejar(ネオムデハル)でBALNEARIO-VICHY-CATALAN特有の意匠ではありませんが、外壁の窓周辺の意匠はBALNEARIO-VICHY-CATALANが最も誇張していて大胆でかっこいいと思いますし、BALNEARIO-VICHY-CATALANはこの建築様式で最もスペインが総力をあげて造ったと思いますし、今もそのような建物だと思いますが、今も昔と変わらない品の良さと正統な雰囲気を感じます。中庭の美しい窓に垂れ下がる植物と噴水から垂れ下がる繊細な水線もお洒落で、中庭では美しいスペイン瓦も窺えます。しかし、BALNEARIO-VICHY-CATALANの建物の一番の特徴は正面入口の前の辺りをタイルなどで舗装していないことでしょうか。今の時代はこのような所が無舗装で土ということはとても珍しく、昔の雰囲気と自然な雰囲気と他と違う個性が自然に出ています。素晴らしい面白い新しい発想です。

 

 

 

まいどどうも。まぁ、鳥もたまには座るんよ。わいもひとつ人生100台目のウォークマンでも買おうかと思っとるんや。みんなわいのことをかわいいって言うけど、わいは鳩やから鳩語しかわからんかったさかい最初はかわいいってどういう意味かわからんかったけど、最近日本語を一生懸命勉強したらわかったんや。






 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

祝日本人資生堂150周年

 

日本人 豊田利三郎

 

 

日本人 広田弘毅
この写真は日本人の永遠の悲しみですが永遠の誇りでもあります。
最高の愛がここにあるのです。本物の愛がここにあるのです。

 

    資生堂1872年明治5年創業、資生堂2022年令和4年創業150周年おめでとうございます。資生堂は1848年5月10日誕生の日本人男性の福原有信(ふくはらありのぶ)が創造した日本人の会社です。資生堂と言いますと、僕が小学生の5年生か6年生の時、いつも風呂場に置いてあった資生堂のティアラというシャンプーとリンスを使っていたら、ある日、学級の誰かに「髪の毛綺麗でいい匂いだけどシャンプー何使ってるの」と聞かれたことを思い出します。資生堂ティアラは従来のシャンプーやリンスよりも容器がお洒落で中身も少し違うと思いながら使ってはいましたが、このようなことを聞かれたのは初めてだったので、初めてシャンプーやリンスというものに興味を持ったところ、資生堂ティアラは少し高級な製品と知った時に驚いたことも思い出します。最近では、昨年の夏、資生堂ではない会社の千円位の日焼け止めを買って使いましたが、すぐに肌に問題が出たのでどうしようかと思いましたが、今年、資生堂の新しい黒色の容器の男性用日焼け止めを買って使いましたが、資生堂のは肌に全く問題が出なく、資生堂の以前の白色の容器で中身が透明ではない男性用日焼け止めもとても肌に良く、今回も以前と同じく資生堂の技術は素晴らしいと驚きました。この文章(コメント)も完全非営業で本物の感想です。日本と日本人の素晴らしさを伝える為です。

 

 

    最初に掲載した雲の写真(空の写真)の雲は「有翼の獅子」「天使ウリエル」でしょうか。日本の慰霊碑で撮影しました。加工写真でもコンピューターグラフィックでもありません。世界で最も苦労した日本人の国は世界の聖人も注目しています。最初に掲載した雲の写真は「日本父祖発明意匠2021年11月11日リモコンも日本人の発明」「日本父祖発明意匠2022年5月5日祝日本人男の日」で掲載した雲の写真と同じ日同じ所で撮った写真です。撮った日は同じではありませんが「日本父祖発明意匠2021年6月22日LED照明も日本人の発明」「日本父祖発明意匠2021年6月25日マイクロLEDも日本人の発明」で掲載した雲の写真も同じ所で撮った写真です。一番下に掲載の旭日旗もあるとても素晴らしい意匠の徽章は元帥徽章(げんすいきしょう)です。

 

 

 

 祖父と祖父の代から日本に住んでいて日本人に似ていて真面目で優秀で日本に帰化した外国人だとしても外国人は日本人の会社や日本人の店などの日本人の組織の責任者(社長や所長や課長や工場長や店長や館長や院長など)になることはできません。祖父の代から日本に住んでいて日本人に似ていて真面目で優秀で日本に帰化した外国人だとしても外国人は日本人の会社の大事な会議に出席できません。祖父の代から日本に住んでいて日本人に似ていて真面目で優秀で日本に帰化した外国人だとしても外国人は日本人の会社の広告の製作はできません。テレビもインターネットも日本人の発明です。祖父の代から日本に住んでいて日本人に似ていて真面目で優秀で日本に帰化した外国人だとしても外国人は日本の日本人向けの学校の責任者や先生になることはできません。祖父の代から日本に住んでいて日本人に似ていて真面目で優秀で日本に帰化した外国人だとしても外国人は日本の総理大臣や知事や市長や町内会長になることはできません。日本人に似ている外国人や帰化人が日本の町内会長にならないように町内会長を決める際は国籍を戸籍謄本で確かめましょう。どうしても町内会長をやりたい在日外国人は自分の国に住んで自分の国で町内会長をやりましょう。祖父の代から日本に住んでいて日本人に似ていて真面目で優秀で日本に帰化した外国人だとしても外国人は日本の国会議員や県議会議員や市議会議員になることはできません。国会や県議会は国際交流の会ではありません。日本の国会と日本の県議会は日本の国と日本の県についての会ですから外国人は関係ありません。どうしても国会議員や市議会議員になりたい在日外国人は自分の国に住んで自分の国の国会議員や市議会議員になればいいのです。祖父の代から日本に住んでいて日本人に似ていて真面目で優秀で日本に帰化した外国人だとしても外国人は日本の出入国管理局で働くことはできません。祖父の代から日本に住んでいて日本人に似ていて真面目で優秀で日本に帰化した外国人だとしても外国人は日本名で起業と経営はできません。祖父の代から日本に住んでいて日本人に似ていて真面目で優秀で日本に帰化した外国人だとしても外国人は日本の新聞社で記事を書くことはできません。祖父の代から日本に住んでいて日本人に似ていて真面目で優秀で日本に帰化した外国人だとしても外国人は日本のテレビ局に就職できません。もし既に日本名で日本のテレビ局に就職して日本のテレビ局で働いている外国人がいたらすぐに外国人でも就職できる所に変えたり自分の国に住んで自分の国で働きましょう。日本人になる為の帰化ではなく侵略の為の帰化であることも考えられることから、当分は「外国人でも日本に帰化したら日本の公務員になることができることは禁止」ということについてはどうでしょうか。

 

    個展の作家が名前も日本名で言葉も日本語で見た目も日本人に似ていて私は日本人ですと言ったとしても作家の国籍をきちんとした証明書で確かめてから作品を見たり作品を買った方がいいということについてはどうでしょうか。このような作家が実は外国人だった場合、日本人が外国人芸術家を支援ではなく、このような外国人作家やこのような外国人作家が所属している外国人の組織が日本の芸術の分野においても侵略しようとしているということについてはどうでしょうか。日本人は一致団結して日本の芸術の分野においても外国人の侵略を防止していきましょう。現代の日本人作家の作品よりも昔の日本人作家の作品を見たり応援した方がいいでしょう。

 

 人生の答えや愛情が周囲から得られなくても宗教団体や平和団体に入らないようにしましょう。人生の答えや愛情は常時不十分に感じて当たり前なのです。なぜなら、人生は常時出発だからです。愛は常時出発だからです。日本には自己啓発のサークルと言って勧誘活動している外国の宗教団体もあるので注意しましょう。大学のサークルにも入らないようにしましょう。料理教室にも入らないようにしましょう。あの教室の真の狙いは鍋のセットを買わせることです。最初は鍋の話はしません。幼稚園や保育園にも入らないようにしましょう。あの組織に通っている子供の親はみんな自分のお金で園費を出している本物のお客さんでしょうか。通っている人がたくさんいると思わせるための偽客であることはどうでしょうか。子供は幼稚園に入るまではかわいいのです。幼稚園に入り卒園し小学校に入った時にはもう昔のかわいさと純粋さはどうでしょうか。子供が変わってしまうのは大きくなるからではないのです。宗教もそうです。みんな本物の信者でしょうか。信者がたくさんいると思わせるための偽信者であることはどうでしょうか。宗教組織のようで実は経済組織であることはどうでしょうか。お寺の住職という正しい日本らしい役職なら本物の日本人がやっているでしょうか。お寺に用事のある時は住職の国籍を戸籍謄本で確かめましょう。

 

井深大盛田昭夫ソニーピクチャー

 

 

 

 

 

 

    音楽に酔い踊る天国の人
    太陽系の軸
    風に吹かれ寄り添う植物の心地いい音
    日本人が誇る巨大なる世界一の創造源SONY
    そのSONY字の新意匠で幕開けだ

 

    水という宇宙だけではなく森という宇宙にも溶け込む魚
    鯉は人懐っこい人懐かしい里

 

    あの暗黒物質は何だろう
    あの暗黒物質はタブレットコンピューターT1195の画面   
    水面はその場面にあるものしか映らない 
    しかし画面は何でも映る日本人が創造した新しい宇宙世界

 

    最初の人物は日本人盛田陽一
    ソニーの父盛田昭夫の弟の盛田正明の長男

 

   その凝った意匠は地球の原点
    100年前の意匠は永遠の最新意匠
   イタリア人Carlo-Bugattiの家具と内装と絵画の意匠