福原有信資生堂 THE GINZA

 

 

 控えめで目立たない目立つ粋

    世界の福原有信資生堂。福原有信資生堂の実店舗は至世界にある。福原有信資生堂の製品はインターネットでも購入できる。しかし「福原有信資生堂THEGINZA」は実店舗では日本国でしか日本国の東京銀座でしか購入できないし実物を見るのも試すのも東京銀座でしかできない。「福原有信資生堂 THE GINZA」は全く宣伝をしていない。路面店でも宣伝をしていない。だから、いい香水を探しても「福原有信資生堂 THE GINZA」の香水と出会うことは少ない。
 
僕は「福原有信資生堂 THE GINZA」の香水を初めて見た時「高級香水にしては容器が普通という発想が素晴らしいし新しいしかっこいい」「福原有信資生堂はやはり世界一」「日本はやはり世界一」と思った。特に蓋が普通。全く意匠を施していないただの透明な蓋。最も輝くと真っ白になる。最も輝くと透明になる。最も輝くと目立たなくなる。最も輝いたものは透明で目立たない。神は透明で目立たない。最近は容器が普通で容器に意匠性が無く容器よりも香り(見た目よりも中身)を強調したような香水もあるが「福原有信資生堂 THE GINZA」の香水ほど普通の容器の香水はないだろう。僕はこの香水の香りを初めて試した時「とてもお洒落な香りだ」「お洒落な香りだと思った香水は初めてだ」「福原有信資生堂はやはり世界一」「日本はやはり世界一」と思った。そう、この香水は「いい香り」「繊細な香り」「昔の花園のような甘く深い香り」の前に第一に「お洒落な香り」である。
 
今の時代はお洒落な音楽がない。今の時代はお洒落な車もない。今の時代は面白い人もいない。今の時代は街を1時間歩いてもお洒落な人を見ることはない。ヴァレンチノの服を着たら誰でもお洒落な人になるわけではない。「福原有信資生堂THEGINZA」の香水のような容器や香りの香水はどこにも無い。ディオルにもジバンシィにもルイヴィトンにも無い。実は、今、香水も日本が世界一、福原有信資生堂が世界一である。福原有信資生堂の他の香水についても日本父祖発明意匠2022年9月23日「世界一の香水も日本人男性の発明」で掲記。最初に掲載の曲線は「しせいどう」と書いてある。

 

 

    資生堂の私生活はどうですか

 写真の縦長の硝子製品が「福原有信資生堂 THE GINZA」の香水オードパルファム。朝7時台にどこの町にもある小さい神社の境内で天然光/太陽光と生きている植物と撮影。完全無加工写真。最初の写真の青色の光も作った光ではない。このような硝子だから角度を変えて見ると色々な光や色々な光の色が見えたが、この青色の光が見えた角度の範囲はほんの少しだった。この香水の写真は他では香水液の色が薄くない黄色に写っている写真が多いが、実際はこの写真のようにとても薄い黄色で幾ど無色透明。今回掲載の「福原有信資生堂 THE GINZA」の香水オードパルファム第1号は令和3年2021年1月登場。オードパルファム第1号と同時にパルファム第1号も登場。
 上
に掲載した車は「義介増治郎にっさんR380」である。今月に銀座にっさんクロッシングで撮影。この車は昭和42年1967年登場。僕はこの車を今月に銀座にっさんクロッシングで初めて見た時「かっこいい新車が出たのだろうか」と思ったが、1967年登場ということを知った時「こんな前にこんな素晴らしい意匠の車があったのか」と驚いた。ランボルギーニカウンタック第1号の登場は1974年。にっさんR380は素晴らしい「コックピット小形化」「車体曲線化」である。上に掲載の集合写真は日本人男性の高村光雲(たかむらこううん/嘉永5年1852年3月8日誕生)と弟子たちの写真。明治30年1897年撮影。高村光雲の作品は日本父祖発明意匠では2022年10月22日「祝東京国立博物館150周年」で掲記。この写真のすぐ下の写真は東京国立博物館法隆寺宝物館の「福原有信資生堂 THE GINZA」の香水オードパルファムと同じく美しい硝子の四角柱に収蔵の作品の写真。
 
上に掲載の絵を書いた人は日本人男性の岡本秋暉(おかもとしゅうき/文化4年1807年誕生)である。この絵は東京国立博物館に収蔵。この絵は6面の大きい屏風2つに書いた絵の一面で一部。前々回「透明光ディスクも日本人男性の発明」でも屏風に書いた絵を掲載したが、前々回のは屏風の一面ごと異なる絵ではないが、今回のは屏風の一面ごと異なる絵。6面が2つで全部で12の絵を展開しているわけだが、全部の絵が1つ1つの絵が素晴らしく、12の絵は形としての連帯性はないが、全部の絵が墨画に他の色を加えたような絵で、色の加え方で連帯性を出したようである。この絵の最大の特徴は「乱雑で素早い水流の筆」だろう。実際においては乱雑で素早い水流もあるとしても筆においては珍しい。水流以外の鳥や植物は非乱雑に書いているのも特徴、乱雑と非乱雑の陽と陰により立体性/奥行性が出ている。この乱雑で素早い水流の筆は水のふわっとしたやわらかさをも演出している。水流の周辺のふわっとやわらかい岩の筆も珍しい。岩のふわっとやわらかい筆は水のふわっとやわらかい筆を盛り上げているし淡い色の筆だから霧のようでもある。植物の筆と色も実に滑らかで美しい。

 

 

    資聖堂

 岡本秋暉の絵のすぐ下に掲載の硝子建築は五島慶太東急プラザ銀座。五島慶太東急プラザ銀座は銀座を象徴した建物になった。五島慶太東急プラザ銀座は銀座を代表した建物になった。いいや、五島慶太東急プラザ銀座は銀座一の建物ではなく世界一の建物。五島慶太東急プラザ銀座については日本父祖発明意匠では2022年12月1日「世界最多角硝子建築も日本人男性の発明」2023年7月14日「日本人みんなの青函連絡船よ永遠に」等でも掲記。日本人は福原有信資生堂の香水だけでも日本人の芸術や技術を誇ることができる。日本人は岡本秋暉の絵だけでも日本人の芸術や技術を誇ることができる。日本人は五島慶太東急プラザ銀座だけでも日本人の芸術や技術を誇ることができる。その位素晴らしい。もし、このように思うことが少ないとしたら、その理由は、日本人は世界一のものを世界で最も多く創造しているからだろうし日本には世界一のものがたくさんあるからだろうし銀座は世界一の街だからだろう
 岡本秋暉の絵のすぐ上に掲載の写真は法隆寺鏡池の近くにある木の表面の写真。昨年12月に撮影。この表面の模様は「滝の水流」「長い白い髭」のようである。この木の他の部分の写真は日本父祖発明意匠2024年1月1日で掲載。この木の全体に近い写真も上に掲載、今回の全体に近い写真は幹の下の部分が「髭の精霊ノーム」「髭の精霊トムテ」「サンタクロース」のようである。ノームやトムテやサンタクロースの発祥の地は外国だが、法隆寺は柱においても外国と関連、胴張柱(上下が少し細い柱/真ん中が少し膨らんでいる柱/エンタシス)の発祥は世界で日本の法隆寺ギリシャのパルテノン宮殿のみである。法隆寺とパルテノン宮殿は世界三大宗教空間、もう1つはイタリアのサンピエトロ大聖堂である。上に掲載の長い白い髭の人物は日本人男性の臥雲辰致(がうんたっち/天保13年1842年9月19日誕生)である。
 法隆寺のこの木は世界一の木。だが、この木には囲いがない。この木については幾ど広報してないし看板も出ていない。だから、この木と出会うことは少ない。この木は永遠に生きるのであろうか。この木は生きているから表面の模様が変化していくのであろうか。地球の回転はなぜ停止しないのであろうか。太陽はなぜ輝き続けているのであろうか。宇宙の空間容積はやはり無限大なのであろうか。宇宙空間を天体を避けながら完全に直線に進んで行くと何年進んでも壁に当たらないのであろうか。完全に直線に進んで行くと壁には当たらないし境界もはっきりしていないが宇宙世界とは異なる世界に入るのであろうか。たぶん、宇宙空間は霊界と同じく無限だろう。霊界はあるのであろうか。しかし、宇宙の無限世界は空想世界ではない。

 

 

                      福原有信  日本人男性  資生堂の父  嘉永元年1848年誕生
                                福原信三  福原有信の三男  明治16年1883年誕生
            福原義春  福原有信の五男の信義の長男  昭和6年1931年誕生
    福原有一  福原有信の長男の信一の長男の信和の長男  1947年誕生
                                              積雪と椿の皇居  Japan  Januar  2024年撮影

 












 

 

積層メモリと積層メモリを記録再生できる装置も日本人男性の発明 祝 日本建国2684周年

 

    日本に住んでいる1億2000万人の日本人の皆様、日本建国2684周年おめでとうございます。ブラジルに住んでいる200万人の日本人の皆様、日本建国2684周年おめでとうございます。アメリに住んでいる200万人の日本人の皆様、日本建国2684周年おめでとうございます。ハワイに住んでいる30万人の日本人の皆様、日本建国2684周年おめでとうございます。カナダに住んでいる17万人の日本人の皆様、日本建国2684周年おめでとうございます。中国に住んでいる15万人の日本人の皆様、日本建国2684周年おめでとうございます。ペルーに住んでいる10万人の日本人の皆様、日本建国2684周年おめでとうございます。オーストラリアに住んでいる10万人の日本人の皆様、日本建国2684周年おめでとうございます。アルゼンチンに住んでいる8万人の日本人の皆様、日本建国2684周年おめでとうございます。イギリスに住んでいる7万人の日本人の皆様、日本建国2684周年おめでとうございます。ドイツに住んでいる5万人の日本人の皆様、日本建国2684周年おめでとうございます。フランスに住んでいる4万人の日本人の皆様、日本建国2684周年おめでとうございます。メキシコに住んでいる3万人の日本人の皆様、日本建国2684周年おめでとうございます。台湾に住んでいる2万人の日本人の皆様、日本建国2684周年おめでとうございます。イタリアに住んでいる1万人の日本人の皆様、日本建国2684周年おめでとうございます。外国に住んでいる日本人の皆様、日本建国2684周年おめでとうございます。日本国と日本人は2684年前(紀元前660年)に誕生、日本国は世界最古の国家、日本民族は世界最古の民族

 

    

    良い技術の創造は良い世界の創造

 積層メモリは「高層建築」「高架道路」のようなものです。メモリの積層化/多層化は「建築の積層化/高層化」「道路の積層化/高架化」のようなものです。積層化=大容量化/広面積化。横に拡大は有限、だが、縦に拡大(積層化)は無限。地上の面積は有限、だが、空の面積は宇宙の面積は無限。メモリにおいては積層化=大容量化/広面積化のみ、しかし、建築においては積層化=良眺化もありますし、道路においては積層化=無交差点化もあります。建築と道路においては積層化により容積が変化/増化しても無問題、しかし、装着メモリ(テープ式メモリやディスク式メモリやカード式メモリ)においては積層化により容積が変化/増化したら有問題。装着メモリにおいては積んでも積んでいない状態と同じ容積/高さ/厚さに創らないとならないのです。なぜなら、装着メモリは容積が変化したら装置に装着できなく使用できないからです。日本人は「もっといいメモリにしよう」「もっといい世界にしよう」と実にたくさんの規格のメモリを創造しました。ビデオの光ディスク式メモリは「LD」「DVD」「BD」の3つの規格を創造。DVDはLDよりも小形で大容量。BDはDVDよりも大容量。両規格は積層化により大容量化したのではなくピット小形化により大容量化。ピットの大きさを変え規格を変えることで大容量化できるなら積層化により大容量化しなくてもいいにはいいのですが「BDのピットよりも小さいピットの創造とBDのピットよりも小さいピットを書読できるレーザーの創造はとても難しい」もしくは「BDのピットよりも小さいピットの創造とBDのピットよりも小さいピットを書読できるレーザーの創造はできるが今度は世界で初めて積層化により大容量化をして世界を驚かせたい」「できるだけ規格を不変に小形化や大容量化をした方が互換性の問題も無くていい」ということだったのでしょうか。
 僕は積層化による大容量化や容積不変化と規格不変化により大容量化ということは想像したことがありませんでした。しかし、8ミリビデオという新規格のビデオが登場した時も、MDという新規格のオーディオが登場した時も、とてもわくわくしました。あの時は常時頭の中は8ミリビデオ、常時頭の中はMDでした。8ミリビデオが登場した時はビデオが普及し出した時だったですし、MD登場まで記録できる光ディスク式装置は無かったですから「また新しい規格のものが出たからまた変えないとならない」という想いはありませんでした。

 

            おめでとう日本のお父さん
            ありがとう日本のお父さん
            奇跡の国  世界一の国  日本
奇跡の男  世界一の男  日本人の男

 

 積雪の皇居 Japan 2024 Januar

世界初 積層メモリ 
世界初 2層メモリ 片面での積層量 
世界初 積層光ディスク 
世界初 2層光ディスク 
世界初 50GB光ディスク 片面仕様 
当時世界最大容量 50GB光ディスク 
パナソニック LM-BRM50  
2004年平成16年7月31日登場 

7500円前後 直径12.00cm厚さ00.12cm標準 
パナソニックブルーレイ式光ディスク 

WORLDS FIRST LAYER MEMORY
INVENTED AND MADE IN JAPAN
WORLDS FIRST LAYER MEMORY RECORDER 

    パナソニックブルーレイ式光ディスク式装置
 300000円前後 幅43cm高さ12cm重さ9kg
 パナソニック DMR-E700BD 
    2004年平成16年7月31日登場 

 世界初 積層光ディスクを記録再生できる装置
 世界初 積層メモリを記録再生できる装置

 

日本の為に命を捧げた人
世界各国が勝つ為にやった戦争は罪になりません
安達二十三は無罪で十字架についたイエスキリスト
エスキリストは世界一の男で日本も世界一の国
日本人男性 安達二十三 あだちはたぞう 明治23年誕生

    安達二十三は何か悪いことをしたのでしょうか。安達二十三は私たちと同じく全く何もしていない人ではありませんが、安達二十三がしたことと同じようなことをした人は人類史で世界に何人もいるのです。なぜなら、人類史で世界のいろいろな所で何度も戦争が起きましたし、人類史で他の国を植民地化したのは日本だけではないからです。1945年に連合国の外国人が「安達二十三は戦犯である」として安達二十三は自決しましたが、では、安達二十三がしたことと同じようなことをした人の全てが戦犯になったでしょうか。アメリカ人の原爆の攻撃で21万人の日本人が犠牲になったことでアメリカ人の誰かが戦犯になったでしょうか。

 

    日本国は1945年に敗戦したのでしょうか。1度でも敗戦したチームは永遠に敗戦したチームでしょうか。ゲームは1回限りでしょうか。試合は1回限りでしょうか。甲子園大会は1回限りでしょうか。前回は負けたが今回は勝ったという例は全く無いのでしょうか。
    
そうです。たとえ敗戦したとしても、また頑張って練習して、また頑張って苦労して、またゲームをやって、また試合をやって、また勝てばいいのです。日本国は、また頑張って苦労して、また勝ったのです。しかし、1945年以前に日本とアメリカは同じ兵士の量と同じ武器の量と同じ武器で戦争をしたのではないのです。高校野球においても高校生ではない年齢の選手が入学したり入部したり試合に出場したりしないように、また、日本人に成り済ました外国人の監督や選手のいるチームや試合にならないように、日本政府と選手や生徒の父兄と高校の地域の日本人は必ず調査と監視をして下さい。外国人や帰化人だった場合は自分の国に戻ることや外国人でも就職できる職場へ転職を勧めて下さい。侵略の為の帰化も考えられることから、外国人は日本に帰化しても日本の公務員になることができません。在日韓国人は韓国に住むことを第一に考えて下さい。
    
日本国は1945年以前にビタミンを発明、無線電話を発明、ディスプレイ(テレビ)を発明、永久磁石を発明、養殖真珠を発明、更に、日本国は1945年以前に戦争も強く周辺国を次々と植民地化、しかし、このことにより、あの国から嫉妬を受け、嫌がらせを受け、原爆の攻撃を受けたり、戦争という罪にならないものを罪だとして、1945年から1952年にたくさんの日本人が無罪で犠牲になりましたが、仕返しをしたらいつになっても平和の世界という普通の世界は来ない、いつかは誰かがどこかで止めないと平和の世界という普通の世界は来ない、ということで、日本人は仕返しをしないで、今度は「戦争で勝つ」ではなく、元々得意な「科学技術で勝つ」道のみに進みました。
    皆さん、日本国は1945年以後は1945年以前よりも発明をしていて、日本国は1945年以前よりも
大勝利を収めています。戦争に勝っても仕返しを恐れながら生きていかないとならないですし、戦争に勝っても犠牲になる人や建物は発生しますし、戦争に勝っても全世界の人に良い影響が及ぶことはありません。しかし、科学技術で勝つと全世界の人に良い影響が及びます。しかし、科学技術で勝つことはとても難しいことなのです。発明をして勝つことはとても難しいことなのです。日本人の発明品の幾どは世界の誰もできないものなのです。例として今あなたが見ているディスプレイ、このディスプレイも創造できたのは世界で日本人だけなのです。曲がるディスプレイもマイクロLEDディスプレイも創造できたのは世界で日本人だけなのです。
    1945年以前の世界は戦争や植民地化は悪いことであるという概念がなく、兵士ではない人も戦争に勝つことを応援しました
。しかし、1945年に日本国が人類最大の攻撃の原爆による攻撃を受けたり原爆による攻撃を受けたりしても他の国に仕返しをしないで乗り越えたことで平和な世界になり戦争や植民地化は悪いことであると変わりました。2024年の今もイギリスとフランスは植民地を持っています。国際連合は植民地の解放と原住民の復興を進めて下さい。

 

    祈り

    安達二十三さま日本の為にありがとうございます。安達二十三さまの苦労と愛の業績により神様は日本人に発明と世界初という「どんなに頑張っても得ることができない恵み」「どんなにお金があっても得ることができない恵み」「永遠に自分の国と自分の人種を誇ることのできる恵み」を世界で最も与えて下さいまして、日本人は光ディスクとフラッシュメモリと実用ハードディスクと積層メモリを発明、今、世界のメモリが日本人の発明品であり、今も、日本は世界一の国で日本人は世界一の人種で日本人は大勝利を収めていることを、安達二十三さま喜んで下さい。私は日本人として人間として、安達二十三さまの苦労と愛の業績を永遠に誇り愛していきます。
    安達二十三お父さん永遠にいつでもどこでも日本人一人一人に再臨降臨して下さいまして、日本人全員に発展していく道を勝利していく道を教えて下さいまして開いて下さいまして、日本人全員を幸せに健康に心の裕福に導いて下さいまして、日本人全員を悪い外国人から守って下さいまして、日本人の家庭の心を一つにして下さいまして、日本人の親戚の心を一つにして下さいまして、日本人全員の心を一つにして下さいまして、日本を愛し守る力を与えて下さいまして、日本から悪い外国人を排除する力を与えて下さい。
    安達二十三お兄さん神様とイエスキリストと日本人の全先祖と日本の全天皇と共に日本から悪い外国人を排除して下さいまして、日本人に成り済ました在日外国人が自分の国へ帰り自分の国で普通に生活していくことができるように導いて下さいまして、永遠に日本人が日本と世界の幸せと平和の為に技術力と芸術力を捧げることができ永遠に日本人が日本と世界の幸せと平和の為に生きていくことができますように、お導きとお守りをよろしくお願いします。

 

 

 春よ来い  早く来い
    お家の前の桃の木の  蕾もみんな膨らんで
    早よ咲きたいと待っている

 

皇太子さま
日本人男性  悠仁親王  平成18年2006年9月6日誕生

   

 

    積雪の皇居 Japan 2024 Januari

 

ビタミンの父  ビタミンB1剤の父
日本人男性  鈴木梅太郎  明治7年1874年4月7日誕生

 

ビタミンB1誘導体の父  アリチアミンの父
日本人男性  藤原元典  大正4年1915年12月8日誕生

 

    無線電話の父  携帯電話の父 
    日本人男性  鳥潟宇一  明治16年1883年4月25日誕生

永久磁石の父    
日本人男性  本田光太郎  明治3年1870年3月24日誕生    

 

無線電話の父  携帯電話の父
日本人男性  鳥潟宇一  明治16年4月25日誕生  桐紋大礼服

 

世界最強磁力永久磁石ネオジム磁石の父
日本人男性  佐川眞人  昭和18年1943年8月3日誕生

 

皇太子さま
日本人男性  悠仁親王  平成18年2006年9月6日誕生

 

 

透明光ディスクも日本人男性の発明

 

    透明  東博  等伯  父さん  ありがとう

    透明光ディスクは2002年平成14年に日本人の会社DTJapanがCD式光ディスクで世界で初めて創造、世界初透明光ディスクの名称は「C-thru Disc」です。今回は世界初透明光ディスクで世界初CD式透明光ディスクの写真は非掲載ですが、他のサイトでは掲記(掲載や記載)していますし、今回は2008年登場世界2番目透明光ディスクで世界初ブルーレイ式透明光ディスクを掲記。
 透明光ディスク。かっこいいですよね。
透明光ディスクと知り最初に思うことは「どうやって透明にしたのか」ということ、次に思うことは「透明だとレーザー光が向こう側に通過して書読できないのでは」ということですが、書読できない光ディスクは創造しませんので透明でも書読できるということですが、ではどうやって透明にしたのかについてですが、ディスクの反射膜をアルミニウムから銀に変えたことで透明でも書読できるようにしたとのことです。昔、レコードにおきましても透明レコードがありましたが、レコードはレーザー光という非物体で書読ではないですから「なぜ透明でも書読できるのか」と不思議に思うことはありませんでしたが、光ディスクはレーザー光という非物体で書読ですから「なぜ透明でも書読できるのか」と不思議に思いました。透明光ディスクは透明には透明ですが無色透明ではなく少し色があり少し暗っぽく、表面は非透明光ディスクと同じく色々な色に光ります

 

世界2番目 透明光ディスク     
世界初 ブルーレイ式透明光ディスク     
世界初 片面8層両面仕様16層光ディスク     
世界初 片面200GB両面仕様400GB光ディスク     
当時世界最大層量 当時世界最大容量 光ディスク     
日本人の会社パイオニア平成20年2008年発明 実用試作品     

 

  日本人の会社エソテリックP1X-SE令和4年2023年登場 
  セパレートSACD式光ディスク式装置 日本製

 

 反射膜をアルミニウムから銀に変え非透明から透明に変えたことはどの程度難しいことだったか、また、なぜ銀だと透明でも書読できるのかわかりませんが、光ディスクメモリは以前のメモリ(カセットテープやレコード等)の問題点を全て解決した到成したメモリだからでしょうか、書読がレーザーという透明なものならディスクも透明なものにできないか等の発想までした人はいなかったでしょう。銀化による透明化は低音質化などの変化も全くないとのことです。透明カセットテープと透明レコードを創造したなら透明光ディスクも創造しよう、透明カセットテープと透明レコードは創造できたが透明光ディスクは創造できないでは光ディスクはカセットテープとレコードの問題点を解決したとは言えない、ということでも透明光ディスクの研究開発に到ったと思います。
   
光ディスクの反射膜の銀化そして透明化による利点は見た目においてのみで高音質化や高画質化などの利点はありませんが、透明光ディスクの「透明=無い」という表現は「光ディスク=記録再生箇所移動の待ち時間が無い」「光ディスク=書読部分とメモリの摩擦が無い」「光ディスク=劣化が無い」「光ディスク=寿命という概念が無い」「光ディスク=苦労が無い」という光ディスクの特徴を見た目においても表現したと言えます。

 

         日本人男性 米沢成二 よねざわせいじ 昭和14年1939年誕生
 光ディスクの父


   
透明光ディスクも素晴らしい日本人の技術ですから、日本父祖発明意匠では既に透明光ディスクについて何度も掲記していますが、今回のように透明光ディスクを主題にした掲記は初めてで、いつの日か透明光ディスクを主題にした掲記をしたいといつも思っていましたが、日本人の発明や創造は世界最多のため、透明光ディスクについて掲記したいと思っても他のことが無限のように次々に思い付き、今回に到りました。
    世界2番目透明光ディスクや世界3番目透明光ディスクは、なぜ、大容量化と同時に透明化したのか、透明化により多層化でき大容量化できたのか、また、どのように透明化したのか、世界初透明光ディスクと同じく銀化により透明化したのかわかりませんが、透明化16層化32層化におきましてもできるのは世界で日本人だけです。世界が驚く素晴らしい技術です。

 

世界初 円形ポータブルDVD式光ディスク式装置     
世界初 セパレートポータブルDVD式光ディスク式装置     
世界初 DVDウォークマン     

日本人の会社ソニーD-VM1平成13年2001年登場 日本製     
直径15cm 再生専用装置 CDも再生     

 

    日本人の会社TDKが2010年に創造した世界3番目透明光ディスクで世界初1024GB光ディスクも実用化/量産化できる試作品ですが、人類が量産した最大容量の光ディスクは「ソニーBNR4VAPJ4(ブルーレイ式非透明4層片面仕様光ディスク)」128GBです。BNR4VAPJ4平成30年2018年登場。初期のブルーレイ式光ディスクは1層23GBでしたが、最近は1層32GBに進化、32GB × 4層 = 128GB。世界初1024GB光ディスクの1024GBは両面での容量ですが、片面だけでも512GB、世界初1024GB光ディスクもブルーレイ式ですから音だけではなく映像も記録再生できます。
    ブルーレイとDVDは異容量でブルーレイの方が大容量ですから、今はDVD式装置の製造販売はしていませんが、ブルーレイとDVDは同画質でブルーレイ式装置はDVDも再生できるため、今も記録済DVDの製造販売はしていて、今もポータブルのDVD式装置の製造販売はしているようです。
    下に掲載したデンオンのCDは非透明光ディスクです。このCDの白黒写真をジャケットに用いたCDは「UHQCD」「SACDハイブリッド4枚組」「9枚組」など色々あるようです。SACDは非SACD式装置では使用できませんが、SACDハイブリッドは非SACD式装置でも使用できます。今後は非SACDにおいてはUHQCDやブルースペックCDが当たり前になっていくと思いますが、普通のCDでも光ディスク式装置で非無線で聴いたなら光ディスクならではの「音の透明性」「音の空気性」「音の奥行性」「音の艶」を聴くことができ、1万円前後の光ディスク式装置でも聴くことができます。
    光ディスク式装置はデジタル式装置ですが、今の光ディスク式装置は全ての光ディスク式装置がノイズのない音で本来の光ディスク式装置の音というわけではなく、全ての光ディスクがノイズのない音というわけではありません。今のポータブルCDプレーヤー「東芝TY-P10」「オーム電機CDP-3870Z」はスーという空気の音のようなノイズのある音でノイズ以外の音も本来のCDの音ではなく、ノイズのない光ディスク式装置でもアナログ録音でスーという空気の音のようなノイズのある音の光ディスクを再生した際はノイズのある音です。その理由は、光ディスク式装置は再生の際にデジタル化/デジタルリマスターを行うわけではないからです。世界初CD登場1982年当時からデジタル録音技術はあるのになぜアナログ録音のCDもあるのかと思うと思いますが、音楽制作者やディスク制作者が「ノイズが入っている音の方が昔らしさがあっていい」ということもあると思います。ノイズの量も様々。アナログ録音のものでもノイズのないものもあります。ノイズを消すことはデジタル化以外にもグラフィックイコライザー/グライコを用いることでもできます。しかし、グライコでノイズを消した音はデジタル化でノイズを消した音よりもこもった音です。しかし、音楽制作者やCD制作者が「(はっきりした音よりも)こもりぎみの音の方がこの曲に合っている」ということもあるでしょう。今はデジタル技術によりグライコも電卓と同じく小形化どころか無形化、今はディスプレイ(画面)の映像でグライコの調節ができ、今一番小形のウォークマンNW-S315も映像で調節のグライコを搭載、映像は「無形の世界」「無限の世界」「瞬間変化の世界」です。
    最近は「有形/固形の世界」の映像もあります。フリップドットの映像です。フリップドット式ディスプレイはプラスチックの固形のモザイク/ドットの「表面と裏面の白色と黒色」「白色を斜めにし少し暗くした鼠色」の3色の色と白色の明るさを変えて色々な映像を創造し色々な映像を映します。このディスプレイのモザイクは固形ですからモザイクの色と色の明るさを変えるのは機械で行い、変える時/動く時にパタパタと音がしますが、この音も真新しく人類が初めて聞く音、そよ風のような音です。今、フリップドット式ディスプレイは山本耀司ワイズ表参道店1階にあります。
    昔は「有限の世界」の映像もありました。「フリップ式時計/フラップ式時計/パタパタ時計」「フラップ式表示体/FLAP DISPLAY」の映像です。フラップ式表示体などもフリップドット式ディスプレイと同じく「有形/固形の世界」「固形表示体」ですが、たくさん連なったフラップ式表示体はモザイク式ディスプレイに近いですが、フリップドット式ディスプレイ以前で以外の固形表示体は非モザイクで無限に何でも表示できない有限の世界です。
    液晶式ディスプレイと有機EL式ディスプレイもモザイクの色と色の明るさを変えて色々な映像を映します。液晶式ディスプレイと有機EL式ディスプレイとフリップドット式ディスプレイはモザイク式ディスプレイと言えますが、世界初モザイク式ディスプレイは1968年登場ソニーカラービデオパネル。
    ソニーカラービデオパネルは光の3原色の3色の白熱電球の色と色の明るさを変えて色々な映像を映します。ソニーカラービデオパネルは「世界初の電球式ディスプレイ」「世界初で当時世界最大の100形ディスプレイ」「世界初の平面ディスプレイ」でもあります。ソニーカラービデオパネル/世界初白熱電球式平面ディスプレイは試作をしソニービルに展示しましたが量産には到りませんでした。理由は「白熱電球は最小のものでも豆電球だから小画素ではなく小画素ではないなら多画素ではなく多画素ではないなら高画質ではない」「100形という大画面にしたら自然と遠くから視るようになるし多画素になるが100形にしてもブラウン管式ディスプレイと同等の画質にならない」「元々電気量と発熱量が多量の白熱電球を大画面でたくさん使用では量産できる電気量と発熱量ではない」「画面の輝度も十分ではなく電球の輝度を上げると画面の輝度が上がるが電球の輝度を上げると電気量と発熱量も増量してしまう」ということだったと思います。
    モザイク式ディスプレイの「この映像信号から映像を創るにはこのモザイク/画面のこの一片/この画素をこの色に変えこの色をこの明るさに変える」という制御はコンピューターが自動で行うわけですが、日本人はこの制御技術を発明したことで、ソニーカラービデオパネルを創造したことで、1971年に世界で初めて液晶を創造できたと思いますし、1982年に世界で初めて液晶式ディスプレイを創造できたと思います。有機ELという発光体のディスプレイ化は液晶という表示体のディスプレイ化と同等の技術ですから、日本人は液晶式ディスプレイを創造したことで、2001年に世界で初めて有機EL式ディスプレイを創造できたと思います。

 

                    ウィーン室内合奏団 CD

    僕は初めて光ディスクを見た時とても綺麗で驚きました。早く買ってみたいと思いました。僕の最初の光ディスク式装置のCD式光ディスク式装置は納期1ヶ月だったため、装置が来る前にCDを買い、いつも「CDはレコードと違い綺麗だなあ」「CDはレコードと違いカセットテープのように小さいなあ」「CDはレコードと違い小さいし片面仕様でひっくり返さなくてもいいなんて素晴らしい」「CDはレコードと違い光で読み取るからパチパチというノイズもないなんて素晴らしい」と眺めていました。CDを買うようになる前はレコードを買っていましたが、レコードは再生を繰り返すとパチパチというノイズが増えていきますが、カセットテープも劣化していきますがパチパチというノイズは増えていかないですし、カセットテープは再生操作が簡単で小さくウォークマンでも使用できるということもあり、レコードを買ってもレコードで聴かないでレコードの音をカセットテープに録音してカセットテープで聴くことが多かったです。しかし、カセットテープは低音が過剰ぎみで本来の低音ではなかったという問題点もありました。

 

 

    上に掲載した照明は東京国立博物館の本館の本階段と本階段の横にあります照明。とてもかっこいい照明ですよね。この照明も東京国立博物館本館建築家の日本人男性の渡辺仁(わたなべじん/明治20年1887年2月16日誕生)が匠意したと思います。踊り場の照明は日本独自の照明「行灯」「提灯」を2つ重ねたような、中から照明がもう1つ上に出現したような、2段の8角柱の意匠、また、この照明は高層建築や塔のような意匠、蝋燭の炎のような意匠。このように大きい照明にしては硝子が薄いのも珍しいですし綺麗、この薄い硝子は冬の道の水たまりにできた薄い氷のようで郷愁性があり、硝子の天辺は縁無しであるのも珍しいですし縁無しだから更に水や氷のように綺麗、また、硝子の天辺は普通の火灯窓/花頭窓の天辺のような小曲線にしてあるのもお洒落、土台の装飾意匠も珍しいですしお洒落。東京国立博物館本館は正面入口に近い1階の階段の手摺の先端の上にある照明と2階の本階段の横の天井の照明もこのような照明になっていますが、この2箇所の照明は踊り場の照明よりも大きい照明になっていて、1階の階段の手摺の先端の上にある照明は2段の8角柱の下段の4つの角にも照明が、2階の本階段の横の天井の照明は2段の8角柱の下に16角の円盤のような照明が一体で16角の8ヵ所には同じく角ばった照明もついてます。東京国立博物館本館の2階は天井に照明を設置してあるのは本階段の横だけです。
    東京国立博物館本館は本階段広場の壁も素晴らしい作品で展示作品。壁は鼠色の天然石。このような空間の壁の色が鼠色であることは非常に珍しく、また、鼠色なのに美しい森や美しい水のような空気性や透明性を持っているのも珍しいですし綺麗なのは天然石だからではなく東京国立博物館だからでしょう。この天然石は少し白い模様が入っていて、ここの照明の模様と同じような模様になっている箇所や階段のような模様になっている箇所もあります。壁の大時計は石の奥から滲み出たような、或いは、森や水の奥からじわっと浮いて出たような、また、森や水の奥から少しずつ浮いて出た水滴が少しずつ形になったような、はたまた、壁に伝った蔦のような、十字対生のような意匠そして造形。東京国立博物館は本当に本階段の照明と壁や手摺などの石と大時計だけでもじっと見ていたい素晴らしい作品で展示作品。東京国立博物館本館正面入口の扉にはこの大時計と同じ意匠の硝子を設置してありますし、東京国立博物館の建築は扉の取っ手もとっても細かい美しい装飾を施してあります。

 

 

 上に掲載の墨画を書いた人は日本人男性の伊藤若冲(いとうじゃくちゅう/正徳6年1716年3月1日誕生)です。とてもかっこいい絵ですよね。この絵の為の建築そしてこの絵がよく似合う建築を想像/創造したくなるほどです。この絵は世界一「力強いし個性も強いし大胆だし男らしい絵」でしょう。同時に「実に気品のある絵で神秘性のある絵」でもあるのも特徴です。「最も力強い絵を書こう」「かっこいい絵を書こう」「世界唯一の木の絵を書こう」「世界唯一の松の木の絵を書こう」という想いがあったと思います。若冲はこの絵のような松の木をよく書いたようですが、この絵の松の木が最も太いと思います。なぜ、若冲は中が空洞のような透明のような木を描いたのでしょうか。木の表面に反射している地面の雪の白い輝きを表現の為でしょうか。木が自然界に溶け込んでいる様子を表現の為でしょうか。最も輝くと透明になります。無論、この絵は葉っぱの書き方も実に個性が強くかっこいいです。「松の葉らしさがとてもよく出ている」といった普通の評論が出て来ないほどです。この松の葉の絵は「黒っぽくて暗っぽい絵」でもあるのも特徴ですが、この絵は黒っぽい部分だけではなく透明で輝いてる部分もどこか奥深しさがあります。この絵は屏風に描いた大きい絵の一部分で題名は「松梅群鶏」です。この絵は雄鶏の尾っぽも実にかっこよく芸術性と意匠性が高いです。日本人の創造力に驚きます。若冲の鳥の絵は日本父祖発明意匠では2022年3月15日「ノートパソコンも日本人男性の発明」でも掲載しています。この2つの絵の間そして最初の写真の下に掲載したものは字意匠で「若冲」と書いてあります。

 

 

    建築は床部分も注目部分。建築と装置は全てが意匠。設計も意匠。材質や配色も意匠。東京国立博物館本館本階段は、段の部分は天然石のタイルを張ってあるのではなく天然石の塊で段を創造してあるのも驚きます。この部分の天然石も運ぶのが大変だったでしょう。この当時の石造建築は本階段はこのように創ることが多かったようです。踊り場の床はタイルを張ってあるのですが、タイルの材質と色がとても普通で博物館に用いる材質や色ではなく、表面も土のようにとてもざらざらしていて土間のようになっているのも珍しいです。普通は床も珍しい意匠にしようと思う所ですが、普通の材質と色は他の箇所で作品を際立たせていますし、自信や余裕さえ窺えます。
    東京国立博物館は日本人の芸術性は世界一であることを日本人の先祖と一緒に体験できる所でもあります。そして、東京国立博物館におきましても「力強いし個性も強いが自然だしやさしいし意匠性と品性と霊性も高い」という日本人ならではの芸術性を思う存分に堪能できます。

 

 

    一番上そして一番下に掲載した写真は東京国立博物館の本館の正面入口の逆側にあります窓と窓の眺めと景色の写真。東京国立博物館はこの窓とこの窓の眺めと景色も素晴らしい作品で展示作品。この窓は日本独自の窓「火灯窓/花頭窓」や外国の建築様式の窓「Moorish Window」のようですが、東京国立博物館本館建築家の日本人男性の渡辺仁はどのような思惑でこの窓枠を匠意したのでしょう。この窓の景色の建物は東京国立博物館転合庵。転合庵の建築家は天正7年1579年誕生の日本人男性の小堀政一転合庵は元々京都にありました移築品。火灯窓/花頭窓は「火」「花」以外にも「雲」「山」「木」のようでもある世界一かっこいい窓。火灯窓/花頭窓は長い窓ではないですが、東京国立博物館本館正面入口逆側の窓は「掃き出し扉窓」で実際は縦にとても長い窓、火灯窓/花頭窓やMoorish-Windowは下には曲線はありませんが、東京国立博物館のこの窓は下にも同じ曲線があり、東京国立博物館のこの窓は欄間もあるのですが、欄間も同じ装飾になっています。東京国立博物館の本館の窓の写真は日本父祖発明意匠2022年10月15日「祝東京国立博物館150周年」でも掲載していますが、今回は雪景色。この景色は実際に見るよりもこのような写真にした方が更に幻想性が高くなるように思います。
   
東京国立博物館本館昭和12年1937年竣工。東京国立博物館は正門の前に立ち東京国立博物館を眺めますと、確かに、日本独特の「島国とは思えないとても大きい普通ではないもの」が伝わり驚きます。そして、本館に入ると、硝子建築ではないのに、音楽のような素晴らしい透明性と空気性に出会えますし、光ディスクのような素晴らしい透明性と空気性に出会えます。

 

            おめでとう日本のお父さん
            ありがとう日本のお父さん
            奇跡の国  世界一の国  日本
奇跡の男  世界一の男  日本人の男

 

 



 







 

 






 



 

 

 

 

新春6年2024年世界最大32層1024GB光ディスクも日本人男性の発明

 

 

 

 日本人は昔も驚きの技術を世界で最もたくさん創造しましたし今も驚きの技術を世界で最もたくさん創造しています。日本人の今の驚きの技術の1つに昔は無かったメモリの容量を信じられないほど増やしているというのがあります。昔のメモリのカセットテープは容量が幾ど増えませんでした。長年に渡りカセットテープは最大容量120分、150分に増えた時が1度だけあったようですが、120分テープでもテープが多くテープが薄いので「音質が良くない」「劣化が早い」ということで音楽を録音再生には向いていませんでしたし、120分テープは90分テープよりテープが多くテープが重いので「より記録再生箇所移動時間(テープの早送りや巻き戻しの時間)が長い」ということで、90分より大容量のカセットテープを使用している人は幾どいませんでした。日本人は32分割でき容量32倍できる32トラック式/32チャンネル式のテープ式装置「オタリMX-80-32(オープンリールテープ式アナログオーディオ)」を1970年台に創造しましたが、この装置は洗濯機のような大きさで値段も高かったですし、アナログ装置での分割大容量化は音質が劣化しましたし、テープメモリはたとえ今のメモリ「光ディスク」「フラッシュメモリと音質と容量が一緒だとしても、今のメモリのような「記録再生箇所移動時間0秒」「記録や再生を繰り返しても劣化しない」というメモリにはできません。

 

    CARLO BERGONZI

 最初の花の写真は昨年の春の朝6時台に撮りました。やわらかくやさしい朝の日光にとても豪勢ですがとても落ち着いた花の情景でした。咲らは世界一花の量が多い植物です。
 日本人は今のメモリの容量をどのくらい増やしているでしょうか。ビデオ光ディスクDVDは最大容量04.7GB、青色LED発明により創造できた青色レーザーを応用により創造できたビデオ光ディスクブルーレイは最大容量23.0GB、ブルーレイもDVDと同じく直径12.00cm厚さ00.12cm標準光ディスク、容積を大きくしないで容量を大きく04.7GBから23.0GBに増やしました。世界初ブルーレイ2003年登場。
 しかし、DVDも以前のビデオ光ディスクLDよりは大容量です。LDは直径30cmで両面で最大容量04.7GB、しかし、DVDは直径12cmで片面で最大容量04.7GBです。今の光ディスクはDVDだけは両面仕様もあります。光ディスクはカセットテープと違い「1回しか記録できないもの」「何回でも記録できるもの」2種類あります。
    日本人は1996年に世界で初めてDVDでLDの片面化と直径12cm化を実現したのですが、日本人はDVD創造の14年前の1982年に世界で初めてCDで光ディスクの片面化と直径12cm化を実現、CD創造前にあった光ディスクはLDのみ、LDは最小直径20cmでした。しかし、CDはビデオ光ディスクではなくオーディオ光ディスクで映像は記録再生できなく記録再生できるのは音声だけでCDは最大容量0.7GB/700MB(初期のCDは0.65GB)と1GBもないですから、CDの片面化技術と直径12cm化技術は大容量化技術ではなく小形化技術でもないですが、DVDはLDと同じくビデオ光ディスクで容量もLDと同じですから、DVDの片面化技術と直径12cm化技術は大容量化技術で小形化技術です。

 

 

    DVDのピットはLDやCDのピットよりも小さく、DVD開発においてはLDやCDのピットとは異なるピットを書読できるLDやCDのレーザーとは異なるレーザーも開発。更に、ブルーレイのピットはDVDのピットよりも小さく、ブルーレイ開発においてはDVDのピットとは異なるピットを書読できるDVDのレーザーとは異なるレーザーも開発。レーザーの色も異なるのも面白いですよね。
    DVDはLDやCDよりもピットを小さくしたためDVDはLDよりも小さいがDVDはLDよりも小容量で低画質という退化の発生は無なかったです。LDは光ディスクですが音声も映像もデジタルではありませんでしたが、日本人はデジタル技術をビデオにも応用し1987年に世界で初めてデジタルビデオを創造し1995年に世界で初めてデジタルビデオを量産により、DVDはDVDという名称にありますよりにデジタルビデオにできたためDVDはLDよりも小さいがDVDはLDよりも高画質という進化の発生も有ったのです。今の映像を記録再生できるものはデジタルビデオと書いてなくても全部デジタルビデオ、ブルーレイも世界初ブルーレイ式装置ソニーBDZ-S77からデジタルビデオです。 世界初量産デジタルビデオで世界初家庭用デジタルビデオは1995年創造ソニーDCR-VX1000(miniDV式カセットテープ式ビデオカメラ)です。 世界初DVD式装置は1996年創造東芝SD-3000(再生専用)です。ブルーレイは世界初の装置から録画もできましたが、DVDは初期の装置は再生専用、世界初録画もできるDVD式装置は1999年平成11年11月創造パイオニアDVR-1000です。
    日本人はブルーレイで容量を04.7GBから23.0GBに増やしても日本人は昔と変わらなく技術開発を止めることなく前進、日本人は世界初ブルーレイ創造の翌年の2004年平成16年には更に光ディスクを大容量化、日本人は2004年平成16年に世界で初めて50.0GB光ディスクを創造、世界初50.0GB光ディスクで当時世界最大容量50.0GB光ディスクは2004年平成16年7月31日創造パナソニックLM-BRM50(ブルーレイ)です。DVDはピットの小形化で大容量化、しかし、50.0GB光ディスクはメモリの積層化で大容量化パナソニックLM-BRM50は「世界初積層メモリ」「世界初2層メモリ」「世界初積層光ディスク」「世界初2層光ディスク」「当時世界最大容量メモリ」でもあります。ブルーレイ1層23.0GBを25.0GBに、25.0GBを2層に2倍で50.0GB。この23.0GBを25.0GBという少し大容量化は、以前にオーディオ光ディスクMDを最大容量74分から80分に少し大容量化したのを応用したと思いますが、23.0GBと25.0GBの2GBの違いは大きく6分の違いどころではありません。メモリだけでは装置もないと記録再生できません。日本人は2004年平成16年にパナソニックLM-BRM50創造と同時に世界で初めて積層メモリを記録再生できる装置で積層光ディスクを記録再生できる装置を創造、世界初積層メモリを記録再生できる装置で世界初積層光ディスクを記録再生できる装置は2004年平成16年7月31日創造パナソニックDMR-E700BD(ブルーレイ式)です。パナソニックDMR-E700BDは世界初2層メモリを記録再生できる装置でもあります。
    ついに50.0GBまで来ましたよ。直径12cmで片面で50.0GBです。最初は直径30cmで両面で04.7GBでしたね。でも、直径30cmでビデオカセットテープよりも大きくても、デジタルビデオではなくても、光ディスクだから音質も画質もビデオカセットテープよりも良かった、光ディスクだから何度再生してもいつも新品の音質と画質だった。人類は光ディスクという本当に素晴らしいものを得たと思います。日本人は50.0GBまで増やしても技術開発を止めることなく前進しましたよ。もっと驚きの容量が登場します。

 

            おめでとう日本のお父さん
            ありがとう日本のお父さん
            奇跡の国  世界一の国  日本
奇跡の男  世界一の男  日本人の男

 

 

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奇跡 世界初 世界最大 1024GB光ディスク 両面での容量
奇跡 世界初 世界最大 32層光ディスク 両面での積層量
世界3番目 透明光ディスク
ブルーレイ式光ディスク 実用試作品
日本人の会社TDK 2010年平成22年発明
INVENTED AND MADE IN JAPAN WITH GOD日本の為に命を捧げた人
世界各国が勝つ為にやった戦争は罪になりません
山下奉文は無罪で十字架についたイエスキリスト
エスキリストは世界一の男で日本も世界一の国
日本人男性 山下奉文 やましたともゆき 明治18年誕生

    山下奉文は何か悪いことをしたのでしょうか。山下奉文は私たちと同じく全く何もしていない人ではありませんが、山下奉文がしたことと同じようなことをした人は人類史で世界に何人もいるのです。なぜなら、人類史で世界のいろいろな所で何度も戦争が起きましたし、人類史で他の国を植民地化したのは日本だけではないからです。1945年に連合国の外国人が「山下奉文は戦争を起こした戦犯である」として山下奉文処刑されましたが、では、山下奉文がしたことと同じようなことをした人の全てが戦犯になったでしょうか。山下奉文がしたことと同じようなことをした人の全てが処刑されたでしょうか。アメリカ人の原爆の攻撃で21万人の日本人が犠牲になったことでアメリカ人の誰かが戦犯になったでしょうか。アメリカ人の原爆の攻撃で21万人の日本人が犠牲になったことでアメリカ人の誰かが処刑されたでしょうか。

 

    祈り

    山下奉文さま日本の為にありがとうございます。山下奉文さまの苦労と愛の業績により神様は日本人に発明と世界初という「どんなに頑張っても得ることができない恵み」「どんなにお金があっても得ることができない恵み」「永遠に自分の国と自分の人種を誇ることのできる恵み」を世界で最も与えて下さいまして、日本人は光ディスクとフラッシュメモリと実用ハードディスクを発明、今、世界のメモリが日本人の発明品であり、今も、日本は世界一の国で日本人は世界一の人種で日本人は大勝利を収めていることを、山下奉文さま喜んで下さい。私は日本人として人間として、山下奉文さまの苦労と愛の業績を永遠に誇り愛していきます。
    山下奉文お父さん永遠にいつでもどこでも日本人一人一人に再臨降臨して下さいまして、日本人全員に発展していく道を勝利していく道を教えて下さいまして開いて下さいまして、日本人全員を幸せに健康に心の裕福に導いて下さいまして、日本人全員を悪い外国人から守って下さいまして、日本人の家庭の心を一つにして下さいまして、日本人の親戚の心を一つにして下さいまして、日本人全員の心を一つにして下さいまして、日本を愛し守る力を与えて下さいまして、日本から悪い外国人を排除する力を与えて下さい。
    山下奉文お兄さん神様とイエスキリストと日本人の全先祖と日本の全天皇と共に日本から悪い外国人を排除して下さいまして、日本人に成り済ました在日韓国人が自分の国へ帰り自分の国で普通に生活していくことができるように導いて下さいまして、永遠に日本人が日本と世界の幸せと平和の為に技術力と芸術力を捧げることができ永遠に日本人が日本と世界の幸せと平和の為に生きていくことができますように、お導きとお守りをよろしくお願いします。

令和6年2024年あけましておめでとうございますオーディオカセットテープの大きさのメモリで24時間録音再生できる装置も日本人男性の発明

 

 

 

    日本人ならオーディオカセットテープの大きさのメモリで
 24時間録音再生できるようにしてみせましょう 

 今はオーディオカセットテープの大きさのメモリで24時間1440分録音再生できます。今はオーディオカセットテープよりも小さいメモリSDカード式フラッシュメモリで24時間録音再生できます。今はオーディオカセットテープよりも小さいメモリで24時間よりも長時間録音再生できます。しかし、昔はオーディオカセットテープの大きさのメモリで24時間録音再生できませんでした。昔はオーディオカセットテープの大きさのメモリで24時間録音再生できる技術は世界のどこにもありませんでした。昔はオーディオカセットテープで2時間120分しか録音再生できませんでした。更に、オーディオカセットテープは120分テープは90分テープや60分テープよりもテープが多いからテープが薄く音質がよくないし劣化が早いから音楽を録音再生には120分よりも少ないテープがいい46分テープでも10分テープでも劣化していくメモリと装置が新品でも装置が揺れてなくても音が揺れる録音箇所移動や再生箇所移動2曲目から8曲目に移動などが遅いという問題点もありました。

 

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日本人男性 明治天皇 嘉永5年1852年11月3日誕生
世界最高意匠 民族衣装

 

    その昔、録音再生できるメモリはオーディオカセットテープだけだった時代がありました。録音再生できるメモリはオーディオカセットテープだけだった時代は録画再生できるメモリもビデオカセットテープだけでした。ビデオカセットテープの最大容量はVHS式4時間240分、ベータとVHSも録音だけの記録もできオーディオとしても使用できましたが、初期のビデオカセットテープベータ式ビデオカセットテープVHS式ビデオカセットテープはオーディオカセットテープよりも大きく、縦と横の大きさがベータはオーディオカセットテープの2倍、VHSは3倍もあり、VHSはベータの後に登場した規格でベータと同じなら新しい規格の意味がないということでカセットテープをベータよりも大容積にしベータよりも大容量にしたと思いますが、厚さも両方式ともオーディオカセットテープよりも厚かったですし、録画もできる装置ビデオは録音だけできる装置オーディオよりも値段が高かったため、ベータやVHSをオーディオとして使用していた人はいなかったですし、オーディオは1988年以前には普及していましたが、ビデオやビデオカメラは1988年以後から普及と、世界初ビデオや世界初ビデオカメラは1960年代に日本人が創造していましたし、世界初ベータソニーSL-6300も1975年に日本人が創造していましたから、ビデオの普及はとても遅かったですし、テープ式メモリはビデオカセットテープもオープンリールオーディオテープもオープンリールビデオテープもオーディオカセットテープと同じ問題点がありましたし、オープンリールテープはカセットにテープを収納していないので装置に装着が簡単ではない清潔に保つことができないという問題点もありました。

 

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フェライトの父 粉体永久磁石の父
テープ式メモリの父 テープ式記録再生装置の父
日本人男性 加藤与五郎 1872年明治5年8月5日誕生

 

 しかし、テープ式メモリはこのような問題点があっても、記録再生できるメモリはテープ式メモリだけだった時代は記録や再生をして使ったら劣化は当たり前音や映像が揺れるのは実際の音や光景ではなく記録した音や光景で再生している音や光景だから仕方がなく記録した音や映像や再生している音や映像が幾ど実際の音や光景と一緒ということはない録音再生箇所移動はある程度時間がかかるのは当たり前と問題点と思っていませんでしたし未来のメモリ光ディスクとフラッシュメモリは1つのメモリが大容量で1つのメモリで無限のように記録再生できるためメモリを交換という概念やメモリを装着という概念がない未来の記録再生装置はメモリをレーザーという光という非物体で記録再生を行ったり非動力体で記録再生を行うため記録再生を繰り返しても半永久に劣化しないし半永久に音が揺れないし他の録音箇所や再生箇所に移動は0秒未来のビデオカセットテープはオーディオカセットテープと同じ大きさということも思ったことがありませんでしたが、このような時代から1つのメモリでたくさん記録再生できる方が便利という思いはあり、メモリの大容量化記録再生時間長時間化はありました。
 ところで、その昔、僕たちが本当によく使ったテープ式メモリカセットテープとテープ式記録再生装置カセットテープレコーダーは誰が発明したのでしょう。デンマーク人男性のVALDEMAR-POULSENポールセンと日本人男性の加藤与五郎が発明しました。テープ式記録再生装置は磁気式記録再生装置、磁気式記録再生装置は最初ワイヤー式記録再生装置、記録再生装置はワイヤー式記録再生装置登場以前からレコード式記録再生装置がありましたが、レコード式はメモリディスクに溝を刻んで記録録音のため1回しか録音できないという問題点があったため、ポールセンは刻んで録音ではなくなぞって録音なら何回も録音できると考え、このような方式のワイヤー式記録再生装置磁気式記録再生装置を1898年に発明。初期のワイヤー式は後のワイヤー式やテープ式と違い磁気ヘッドが固定ヘッドではなく左右に移動の往復ヘッドメモリは同じく巻いてあるし回るが左右に移動しない非往復メモリワイヤーが太かったレコード式よりも低音質でしたが、日本人男性の永井健三が交流バイアスを1938年に発明により高音質になったり、ドイツ人の会社がポータブルワイヤー式記録再生装置minifon-Mi51充電式を1951年に創造したりしました。しかし、ワイヤー式はレコード式と同じような容積ではレコード式よりも小容量という問題点があったため、人類はワイヤーではなくテープならワイヤーよりも薄いからワイヤーよりもたくさん巻くことができワイヤーよりも大容量にできると考え、このような方式のテープ式記録再生装置を発明。磁気式記録再生装置は磁石を応用の方式、テープ式記録再生装置はテープに粉体の永久磁石を付着により実現、加藤与五郎は粉体永久磁石フェライトを1930年昭和5年に発明。日本人男性の本多光太郎は固体永久磁石を1916年大正5年に発明。固体永久磁石の発明永久磁石の発明。

 

🇩🇰
磁気式記録再生装置の父
ワイヤー式記録再生装置の父

テープ式記録再生装置の父
デンマーク人男性 VALDEMAR POULSEN 1869年11月23日誕生

 

 龍の絵を書いた人は日本人男性の狩野山楽かのうさんらく1559年永禄2年誕生です。この絵は技術画のような建築画のようなはっきりした斜線が印象に残ります。そして、斜線にテープや光ディスクのような渦巻きも描いたことで更に動きと勢いが増していますし、この渦巻きが非常に品性と芸術性が高く、しかし、そうだとしても、ほのぼのとしていて自然で奥床しいのも特徴ですし素晴らしい点、また、右下に描いた木の上の部分を雲や水や光線の斜線が覆い見えない表現は他を活かしていますし、雲や雨や光線の向こうの見えないわからない龍の世界へ天の世界へ自然と心が入っていきます。この絵は音楽のように立体性と空間性と空気性を持っています。左下に描いた植物の量も少ないですが、絵全体の雰囲気から、大自然の空気さえ見る人の心に描きます。山腹にも少し木を描いていますが、この部分もお洒落ですし、この部分の絵は機械画のようです。
 空雲の写真は法隆寺で撮った写真ではなく正月に撮った写真でもないですが、右上の雲が龍の顔のような形、他の雲の形もいい形、この空雲の写真は令和4年2022年に皇居で撮影しました。
 空雲の写真の下に掲載した絵を書いた人は日本人男性の山名繁太郎、この絵を書いた時代は明治時代、この絵は模画、原画を書いた時代は鎌倉時代、空を飛んでる人物は左が日本人男性の阿倍仲麻呂あべのなかまろ698年文武天皇2年誕生で右は日本人男性の吉備真備きびのまきび695年持統天皇9年誕生です。
 上に掲載の五重の塔は法隆寺の五重の塔、令和5年2023年12月撮影、法隆寺の建物のような建物は他の国にもありますが、日本のが一番形がいいですし、日本のが一番自然で一番奥床しく一番品性が高いです。そして、なんと、法隆寺の五重の塔は世界最古の木造建築。しかし、法隆寺の五重の塔や法隆寺の金堂の前に立つと、大変価値ある建物や世界最高の建物であることを自慢したり誇ることがない日本人らしさを発見しますし、とても自然で本来であることに驚きます。
 上に掲載の短冊の日本語を書いた人は日本人男性の伊藤祐民いとうすけたみ1878年明治11年5月26日誕生です。

 

🇱🇹
リトアニア人男性 ZYDRUNAS SAVICKAS
1975年昭和50年7月15日誕生 2022年撮影

 

 昔はオーディオカセットテープの大きさのメモリで24時間録音再生できませんでしたが、昔はオーディオカセットテープよりも大きいメモリではオーディオカセットテープよりも長時間録音再生できました。昔はオーディオカセットテープよりも大きいメモリオープンリールテープではオーディオカセットテープよりも長時間録音再生できました。更にマルチトラック式オープンリールテープ式録音再生装置分割大容量化装置では非マルチトラック式よりも長時間録音再生できました。日本人はテープ式メモリはオープンリールテープが幾どだった時代の1970年代にティアック80-88トラック式オタリMX-80-3232トラック式等のマルチトラック式オープンリールテープ式録音再生装置創造。トラック量は32トラックが世界最大だと思いますし、32トラック式は世界でオタリMX-80-32だけだと思います。マルチトラック式オープンリールテープ式録音再生装置どのくらい長時間録音再生できたのか24時間近くできたのか24時間以上できたのかわかりませんが、32トラック式は非マルチトラック式の32倍録音再生できます。しかし、マルチトラック式は値段が高かったですし、16トラック式や32トラック式はとても大きい装置でした。テープ式メモリはオープンリールテープからカセットテープに移行していきましたが、日本人は1979年昭和54年に世界初マルチトラック式オーディオカセットテープ式録音再生装置ティアック1444トラック式)」創造。オーディオカセットテープはオープンリールテープよりもテープの幅が小さいですから、マルチトラック式オーディオカセットテープ式録音再生装置のトラック量は8トラックが世界最大だと思いますが、8トラック式は1991年平成3年登場タスカム488等、8トラック式は120分テープで120の8倍で960分16時間録音再生できます。

 


 オーディオカセットテープの大きさのメモリで24時間録音再生できない時代で録音再生できるメモリはオーディオカセットテープだけだった時代の1985年昭和60年にオーディオカセットテープの大きさのメモリで24時間録音再生できる装置登場、世界初オーディオカセットテープの大きさのメモリで24時間録音再生できる装置ソニーEV-S7006トラック式1985年昭和60年6月21日登場。ソニーは日本人男性の井深大と日本人男性の盛田昭夫が昭和21年1946年に創業の日本人男性の会社です。
 光ディスク式記録再生装置とフラッシュメモリ式記録再生装置はメモリの積層化により大容量化、EV-S700等のテープ式記録再生装置はメモリの回転速度の低速化装置が録音時にメモリを分割化により大容量化、EV-S700は世界初非ポータブル8ミリビデオデッキ世界初分割大容量化8ミリビデオでもあり、8ミリビデオ=テープ式ビデオ=回転ヘッド式装置、回転ヘッド式装置はデジタルマイクロカセット式装置以外はテープの回転速度の低速化により大容量化でき、8ミリビデオの低速化は2分の1化のみ、回転速度2分の1化容量2倍化、8ミリビデオテープの最大容量は2時間、2時間を2倍化で4時間、EV-S700は6トラック式、6トラック6分割化容量6倍化、4時間を6倍化で24時間、というわけです。
 分割大容量化8ミリビデオは分割大容量化専用テープではなくても、120分テープではなくても、どの8ミリビデオテープでも、何分の8ミリビデオテープでも、分割大容量化できます。
 
低速大容量化は既にEV-S700登場前にベータとVHSが実現。8ミリビデオはテープを小容積化だが同容量化という大容量化の為にベータやVHSよりもテープ回転速度を低速にしたからでしょうか、8ミリビデオの低速大容量化は2分の1化2倍化まで、しかし、ベータは3倍化まででき、VHSは5倍化までできる装置も登場、世界初5倍録画再生できるビデオ三菱HV-SX200S-VHS式の登場はEV-S700登場の15年も後の2000年平成12年。

 

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ソニー EV-S700 1985年昭和60年6月21日登場

    01 世界初オーディオカセットテープの大きさのメモリで              24時間録音再生できる装置
    02 世界初オーディオカセットテープの大きさのメモリで              24時間デジタル録音再生できる装置
    03 当時世界最小メモリを使用のデジタルレコーダー
    04 当時世界最長記録再生時間カセットテープ式装置
    05 世界初8ミリビデオデッキその1 その2はEV-A300
    06 世界初分割大容量化8ミリビデオ
    07 世界初PCMプロセッサ内蔵8ミリビデオ
    08 当時世界最薄最小PCMプロセッサ内蔵装置
    09 世界初家庭用デジタル分割大容量化装置
    10 世界初映像の音声をデジタル録音再生できるビデオ
    11 世界初1つの電子釦で2つの操作ができる装置
    12 世界初テープ水平装着でテープが正面から見える装置

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 分割大容量化8ミリビデオにおいての分割大容量化分割録音の名称はマルチPCMデジタルマルチトラックです。分割大容量化8ミリビデオで分割録音を行うには、装置の正面の下の扉にあるMULTI PCMもしくはPCMモードという操作部分をPかSにし、あとは普通のレコーダーと同じく記録釦録画釦録音釦を分割大容量化8ミリビデオにおいては右にスライドで行うことができます。PかSにしますと蛍光表示管にMULTI PCMの字と斜め6段の表を表示、分割録音した音声の再生はPかSにしてなくても再生釦を押すだけで行うことができます。最初に掲載した写真がこの斜め6段の表の写真です。この斜め6段の表もソニーらしいわかりやすいのにかっこいい表示意匠ですし、蛍光表示管ならではの「くっきりした表示明るく綺麗な光の表示もかっこいいです。今は有機ELテレビでもこのような表示はできると思いますが、ソニーEV-S700登場当時の有機EL低輝度で白色ができない発光体で画素化してなかったですし、小さくて高輝度の発光体ならLEDがあったため、有機ELは全く実用化してなく、有機ELを見たことがありませんでしたし、有機ELという言葉も聞いたことがありませんでした。有機ELは普及した技術で最も新しい技術です。日本人男性の城戸淳二が1993年に世界で初めて白色有機EL創造当時も有機ELは低輝度発光体でしたが、後に日本人の会社コニカミノルタが世界で初めて青色燐光創造により有機ELを高輝度発光体に実用発光体にしました。
 分割大容量化8ミリビデオは低速モードLPモードロングプレイモードで録画した後でも標準速度モードSPモードスタンダードプレイモードで録画でき、最初は低速録画や標準速度録画して途中から分割録音もできますが、分割録音した箇所から後の部分は録画はできなく、分割は6分割のみでき、4分割や3分割はできなく、【2分割目トラック2】から【5分割目トラック5】へ移動などの分割箇所移動は1つ前後のトラックに移動は瞬間移動でき移動時間は0秒、分割箇所移動操作は選局釦/チャンネル釦で行い、選局釦は本体には+-釦のみ、リモコンには+-釦10釦0から9までの釦の両方ありますが、10釦では分割箇所移動操作はできなく、10釦でもできたら3つ前後のトラックや4つ前後のトラックに移動なども瞬間移動できたでしょう。 

 

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世界初 オーディオカセットテープの大きさのビデオテープ
世界初 24時間/1440分録音再生できるカセットテープ
世界初 8ミリビデオテープ
当時世界最小 ビデオテープ
120分テープは1985年昭和60年6月登場3000円
縦62横095厚15テープ幅8.0mm 8ミリビデオテープ
縦60横100厚10テープ幅3.8mm オーディオカセットテープ

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 ソニーEV-S700登場当時は既に瞬間移動釦を押した瞬間に他の再生箇所に移動できるものはCD式光ディスク式装置がありましたが、テープ式装置ではありませんでしたし、テープ式装置では瞬間移動はできないと思っていましたし、EV-S700登場当時はMDがなく、EV-S700登場当時は自分で記録したものを瞬間移動できるものはEV-S700だけでしたし、分割大容量化装置はEV-S700登場前からありましたが一般化していませんでした。しかし、EV-S700もテープ式装置ですから、分割箇所移動という垂直移動は瞬間移動できても同分割箇所においての再生箇所移動という水平移動はテープを早送りや巻き戻しをして移動のため瞬間移動できなく、CDは瞬間に再生箇所移動できるのは、CDは再生箇所移動=垂直移動だからです。再生箇所移動=垂直移動でもレコードのように記録を読み取る部分とディスクが合体により再生でディスクの直径が大きく垂直移動距離が長いと瞬間に再生箇所移動できません。
 8ミリビデオ登場までビデオカセットテープはオーディオカセットテープよりも大きいが常識でしたから、特にベータやVHSを使用していた人は8ミリビデオテープの小ささに驚きましたし、8ミリビデオはメタルテープ使用により容積小形化と容量不変化容積は小さく変えても容量は小さく変えないを実現できたため、最初からメタルテープだったこともあり、8ミリビデオはVHSよりも画質がいいと言った人もいました。
 デジタル分割大容量化はベータやVHSでもできたと思いますが8ミリビデオにした理由はベータ式ビデオカセットテープとVHS式ビデオカセットテープはオーディオカセットテープよりも縦と横と厚さが大きいが8ミリビデオ式ビデオカセットテープはオーディオカセットテープと縦と横の大きさは一緒で分割大容量化はビデオカセットテープを使用だが記録再生できるのは音声のみでオーディオだからオーディオカセットテープと一緒の大きさの方がより24時間記録再生という進化に驚嘆しやすいせっかく8ミリビデオ式ビデオカセットテープというオーディオカセットテープと一緒の大きさのビデオカセットテープを作ったから8ミリビデオで実現しようということだったのでしょうか。  

             

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肖像 日本人男性 後醍醐天皇 正応元年1288年11月26日誕生  
画家 日本人男性 藤原豪信 
画題 天子御影

世界最高意匠 民族衣装

 

 分割大容量化8ミリビデオのような記録釦だけはスライド式釦の装置が多い理由は、スライド式釦は誤操作防止性が高いからです。再生釦や早送り釦は誤操作しても記録には影響しませんが、記録釦だけは記録に影響します。スライド式記録釦はウォークマンにおいても搭載したことがあり、世界初スライド式記録釦を搭載のウォークマンは1990年平成2年登場WM-R707ポータブルカセットテープ式オーディオです。WM-R707は2年前に登場のWM-701Cにスライド式記録釦を加えただけの意匠ですが、WM-701Cはとても素晴らしい意匠のため、加えただけという思いはありませんでしたし、加えただけで正解だと思いましたし、WM-R707を初めて見た瞬間ウォークマンというかっこいいものにスライド式釦ついてるとスライド式釦もかっこよくなるウォークマンは小形装置だからスライド式釦も小形であるわけだがこのように小形で細いスライド式釦は見たことがないと思いました。WM-701C登場当時のソニー製品は全ての新製品がかっこよく、特にウォークマンがかっこよかったため、いつもウォークマンのことが気になっていました。スライド式釦は目立ちますし意匠としてもかっこいいですし匠意してみたくなる部分でもあります。釦につきましては日本父祖発明意匠では2021年11月3日連続瞬間押し釦長押し他操作釦全操作釦1個の釦で全操作できる釦も日本人の発明でも掲載記載しています。
 分割大容量化8ミリビデオの
斜め6段の表は少しでも録音してある分割箇所トラックは斜め6段の右側に斜線を表示、最初に掲載した斜め6段は全トラックに斜線を表示、ソニーEV-S700とソニーEV-S600はこの斜線の色が赤色ではありませんが、ソニーEV-S800とソニーEV-S900は赤色、使用したい或いは今使用している今録音や再生をしているトラックは何トラックかは斜め6段の左側に4機種とも赤色の三角形で表示、ソニーEV-S800とソニーEV-S900は三角形とデジタル字の2つで何トラックかを表示。デジタル字と蛍光表示管につきましては日本父祖発明意匠2020年10月31日蛍光表示管も日本人男性の発明で掲載記載、有機EL表示につきましては日本父祖発明意匠2021年5月19日有機EL表示装置も日本人の発明で掲載記載しています。

 

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界初 家庭用PCMプロセッサ 世界初 家庭用デジタル装置
当時世界最小 PCMプロセッサ 当時世界最小 デジタル装置
                                        ソニー PCM-1 1977年昭和52年登場

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 分割大容量化8ミリビデオ第2号ソニーEV-S600の音はアナログテープやレコードとは確実に異なるデジタルならではのノイズのない歪みのない揺れのない一定した本来の自然な音でした。他の分割大容量化8ミリビデオもそうだったでしょう。分割大容量化8ミリビデオは4機種全てPCMプロセッサ内蔵デジタルオーディオです。デジタルの音は本来の音に修正した音で本来の音に戻した音なのです。8ミリビデオテープはオーディオメタルテープよりもベータテープよりも高価でしたがどんどん増えていきました。EV-S600はデジタルオーディオですがテープ式装置ですから、光ディスク式装置の透明性のある音空気性を持った音奥行性を持った音原音に近い艶のある音は全く出すことができなかったのではないですが、光ディスクほどではなかったです。DATもそうでしたし、他の分割大容量化8ミリビデオもそうだったでしょう。
 分割大容量化8ミリビデオ第1号ソニーEV-S700は世界初PCMプロセッサ内蔵8ミリビデオ」「世界初家庭用デジタル分割大容量化装置世界初家庭用音声非劣化分割大容量化装置世界初カセットテープ式デジタル分割大容量化装置でもあります。では、世界初デジタル分割大容量化装置は何でしょうか。世界初デジタル分割大容量化装置は1972年昭和47年登場デンオンDN-023R(8トラック式
です。DN-023Rはオープンリールテープ式オーディオ非家庭用装置です。DN-023Rは世界初デジタル記録再生装置世界初デジタルレコーダーでもあります。EV-S700は第2のDN-023R久しぶりに登場したデジタル分割大容量化装置と言えるでしょう。デジタル分割大容量化装置はDN-023Rと分割大容量化8ミリビデオのみ、ティアック80-8やタスカム488はアナログ分割大容量化装置、アナログ分割大容量化装置での分割大容量化低音質化音質変化、しかし、デジタル分割大容量化装置での分割大容量化同音質化音質不変。

 

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世界初 PCMプロセッサ内蔵装置  
世界初 PCMプロセッサ内蔵ビデオ VHS式
世界初 家庭用デジタルレコーダー 
テクニクス SV-P100 1981年昭和56年登場

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 PCMプロセッサも最初は大きい装置で高価格の装置でした。1985年昭和60年登場PCMプロセッサソニーPCM-501ES厚さ08cm値段099800円、しかし、1977年昭和52年登場世界初家庭用PCMプロセッサソニーPCM-1厚さ17cm値段480000円。1985年登場世界初PCMプロセッサ内蔵8ミリビデオソニーEV-S700厚さ09.5cm値段249800円、しかし、1981年登場世界初PCMプロセッサ内蔵ビデオテクニクスSV-P100厚さ27.8cm値段600000円。EV-S700よりもSV-P100の方が18.3cmも厚く大きいのはSV-P100の方がPCMプロセッサが大きい以外にもEV-S700はテープを横に装着だから回転ヘッドの位置がテープの横だがSV-P100はオーディオのようにテープを縦に装着だから回転ヘッドの位置がテープの下で固定ヘッドよりも回転ヘッドの方が大きく8ミリビデオテープよりもVHSテープの方が大きいということもあるでしょう。
 今はフラッシュメモリ式記録再生装置ICレコーダーというオーディオカセットテープよりも小さく低価格の記録再生装置は有るため、今なら幾ど大きさと値段を変えないでソニーPCM-1やソニーPCM-501ESに記録再生装置を内蔵でき単体で記録再生できる装置にできますが、当時は無かったですし、当時はデジタル化装置は高価だったため、PCMプロセッサは記録再生装置を非内蔵で単体では記録再生できない装置だったと思いますが、記録再生装置を内蔵で大きくても高価でも記録再生装置を内蔵そして記録再生装置に内蔵のデジタルレコーダーを出してもいいだろうということでテクニクスSV-P100が登場したと思います。

 

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デジタルシグナルプロセッサ(DSP)の父
日本人男性 西谷隆夫


 PCMプロセッサは音声をデジタル化できる装置でテープ式ビデオを繋いでのみ音声をデジタル化できる装置です。後にPCMプロセッサはデジタルシグナルプロセッサにIC化し内蔵しても幾どわからないようになったりデジタル装置そのものも小形化したため、今はPCMプロセッサはありません。しかし、ソニーPCM-1も相当小形化をした装置で、PCM-1はテープ式ビデオと合わせても世界初記録再生装置内蔵PCMプロセッサで世界初デジタルレコーダーのデンオンDN-023Rよりも全然小形、DN-023Rは箪笥のような大きさ、しかし、PCM-1はコンポサイズ、ですから、SV-P100もDN-023Rよりも全然小形、SV-P100はPCM-1と当時のカセットテープ式ビデオを合わせたような大きさ、世界初デジタルレコーダーDN-023Rは1972年登場、世界2番目デジタルレコーダーSV-P100は1981年登場、9年でとても大きい小形化の進歩です。
 PCMプロセッサのデジタルシグナルプロセッサ化はコンピューターのマイクロプロセッサ化を応用したのでしょうか。コンピューターもマイクロプロセッサ化という小形化によりパーソナル化普及化。マイクロプロセッサを発明したのは日本人男性の嶋正利、デジタルシグナルプロセッサを発明したのは日本人男性の西谷隆夫。ビデオカメラも小形化により普及化、ついにカメラの大きさを実現したビデオカメラソニーCCD-TR558ミリビデオ式カセットテープ式ビデオカメラで普及化、ビデオカメラもポータブル装置、だから、ビデオカメラの普及化は低価格化よりも小形化でした。CCD-TR55は当時世界最小再生もできるビデオカメラ、CCD-TR55登場当時はオーディオカセットテープの大きさのビデオテープは8ミリビデオテープ以外にもVHS-Cテープもありましたが、初期のVHS-Cの最大容量は20分、先にカメラの大きさを実現したビデオカメラを創造したのは8ミリビデオ。テープを小形化したら装置も小形化ということで、後に、日本人は8ミリビデオテープよりも小形のビデオテープのminiDVテープも創造により、CCD-TR55よりも小形のビデオカメラJVC
GR-DV1miniDV式カセットテープ式ビデオカメラ1995年12月登場。世界初miniDV式カセットテープ式ビデオカメラで世界初家庭用デジタルビデオソニーDCR-VX10001995年9月登場、DCR-VX1000はテープはminiDVテープを使用でも装置は世界初8ミリビデオカメラソニーCCD-V8のような大きさでCCD-TR55の倍近くある大きさでしたが、GR-DV1はCCD-TR55の半分の大きさを実叶、CCD-TR55は小形でもポケットムービーではありませんが、GR-DV1はポケットムービー。GR-DV1はディスプレイ非搭載ですが、後にディスプレイ搭載でGR-DV1よりも小形のビデオカメラソニーDCR-IP1EminiDV式カセットテープ式ビデオカメラ2003年平成15年登場、DCR-IP1Eは世界最小テープ式ビデオカメラで当時世界最小ビデオカメラ、DCR-IP1Eよりも小形のテープ式ビデオカメラは世界のどこにもないですし、DCR-IP1Eよりも小形のテープ式ビデオカメラを創造した国はありません。DCR-IP1Eで小形化の到成をした後はビデオカメラはテープ式から光ディスク式とフラッシュメモリ式へ移行、今ではDCR-IP1Eの4分の1の薄さで映像撮影だけではなくインターネットや通話もできるスマートフォンというものに進化、スマートフォンフラッシュメモリ式装置、スマートフォンで映像撮影はフラッシュメモリ式ビデオカメラで撮影です。ビデオカメラにつきましては日本父祖発明意匠2020年11月30日ビデオカメラも日本人男性の発明で全ての世界初の機種を掲載していますし世界最小の機種も掲載しています。

 

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当時世界最小 ビデオカメラ
JVC GR-DV1 1995年平成7年12月登場

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 テクニクスSV-P100もソニーEV-S700などの他のビデオやカーオーディオのようにテープを横に装着にできたと思いますが縦に装着にした理由は世界初PCMプロセッサ内蔵オーディオでもあるから録画もできるがビデオではなくオーディオにしようオーディオのようにテープを縦に装着だと厚くなるが厚いのも個性であるしオープンリールテープ式装置よりは薄いということだったと思います。EV-S700もSV-P100のようにテープを縦に装着にできたと思いますがテープを横に装着にした理由は世界初映像の音声をデジタル録音再生できるビデオでもあるしテープを横に装着にした方が薄くなり8ミリビデオの小ささを表すことができるがオーディオでもあるからテープを横に装着だが鏡を設置によりオーディオのようにテープを縦に装着しているようにテープの残量と回転が見えるようにし更にオーディオのようにテープ扉を開いてテープを装着にしようということだったと思います。EV-S700とEV-S600はテープ挿入方式もオーディオとビデオの融合をしたのです。テープを装置の前面に装着で非リニアスケーティング装置のカセットテープ式ビデオはテープ扉を開けなくてもテープを入れるだけでテープを装着できる装置でした。ただ、両機種のテープ扉は電動扉、カセットテープ式オーディオは手動扉が幾ど、電動扉のカセットテープ式オーディオはナカミチRX-505等ありましたが多くはありませんでした。
 EV-S700とEV-S600のテープ扉が電動扉の理由は、両機種はビデオでテープヘッドはテープがヘッドに巻き付く回転ヘッドだからテープ回転を止めテープ取り出し釦を押してもテープがすぐに出て来ないからでしょう。RX-505等のRX-505とRX-303とRX-202のテープ扉が電動扉の理由は世界唯一テープの回転とテープヘッドの方向を逆にしないで装置がテープを装置から出してひっくり返してオートリバースを行う装置だからです。オートリバース機構はオーディオカセットテープのような両面仕様のメモリを人間が装置から出してひっくり返さなくても面を変えることができるようにした機構、テープの回転とヘッドの方向を逆にしたらテープをひっくり返したことになるということで、カセットテープ式装置の普通のオートリバースはこのようにオートリバースを行いますが、テープの回転とヘッドの方向を逆化=低音質化ということで、ナカミチはRX-505等のようなオートリバース機構を創造したと思いますし、ソニーはES部門においてはオートリバースのカセットテープ式オーディオはTC-K501ESしか創造しませんでしたし、オートリバースは便利だとしても音質重視の高級機種においてはオートリバースは非搭載ということが幾どでした。テープをひっくり返すにはテープと装置を分離しないとならないので、RX-505等はオートリバース釦を押すと電動でテープが手前に出て来るのですが、まるで待たせては申し訳ないと言うように、このテープを手前に出す→テープをひっくり返す→テープを装置に戻す」という3動作がとても素早いのにも驚きました。このようなこだわり工夫サービス精神は日本人ならではでしょう。RX-505は何段も重なった傾斜釦もとてもかっこよかったです。
 カセットテープ式装置のオートリバースと書きましたが、かつてLDという両面仕様の光ディスクの装置でもオートリバースを搭載したことがありました。世界初オートリバース光ディスク式装置三洋電機SLV-J1LD式昭和63年1988年8月登場、オートリバース光ディスク式装置はレーザーピックアップ移動式とレーザーピックアップ両面搭載式の2方式あったと思いますが、SLV-J1は移動式です。言うまでもなくRX-505等とSLV-J1も永遠に残したい日本人の創造体です。

 

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ドイツ人男性 WOLFGANG BRENDEL
1947年昭和22年10月20日誕生 

 

 1987年昭和62年3月に世界初DATエクセリアアイワXD-001登場まで回転ヘッド式装置=ビデオ固定ヘッド式装置オーディオと決まっていましたが、世界初DATは世界初回転ヘッド式オーディオでもあり、後に登場の新しい規格のオーディオデジタルマイクロカセットも回転ヘッド式オーディオ、回転ヘッド式オーディオは世界でDATとデジタルマイクロカセットの2規格のみ、固定ヘッド式ビデオはなく、幾どの回転ヘッド式装置は低速大容量化でき、DATも低速大容量化できますが、デジタルマイクロカセットは回転ヘッド式装置で唯一低速大容量化できない装置両面仕様のカセットテープを使用の装置です。
 テープ式装置のデジタル化は回転ヘッドでのみできるというわけではなく、dccは固定ヘッド式デジタルオーディオ、世界初dccパナソニックRS-DC10フィリップスDCC-9001992年平成4年9月登場。しかし、固定ヘッド式装置は回転ヘッド式装置よりも小容量記録再生のため、DATのデジタル音は非圧縮デジタル音ですが、dccのデジタル音は圧縮デジタル音、圧縮デジタル音は非圧縮デジタル音よりも低音質、しかし、非圧縮デジタル音はアナログ音よりは高音質、ということで、デジタル音の圧縮化により固定ヘッド式装置のデジタル化ができ、デジタルオーディオの固定ヘッド化によりアナログオーディオカセットテープとの互換化ができたと思います。dccは世界唯一デジタルオーディオカセットテープとアナログオーディオカセットテープの両方を使用できる装置ですがアナログオーディオカセットテープでは録音できない装置です。
 世界初dcc登場の1992年平成4年は世界初MD登場の年でもあります。世界初MDソニーMZ-11992年平成4年11月1日登場。MZ-1は何かの形や大きさに似ていませんか。MZ-1は世界初ポータブルCDソニーD-50の形や大きさに似ています。録音できなかったD-50は録音できるMZ-1になって登場、といったことを表現したのでしょうか。今はMZ-1のような非劣化で瞬間移動でき録音もできるポータブル装置はフラッシュメモリ式装置もありますが、MZ-1登場当時は世界でMZ-1だけでMD式装置だけでした。
 MZ-1は世界初記録もできる光ディスク式デジタルオーディオ」「世界初記録もできるポータブル光ディスク式装置でもありますが、世界初記録もできる光ディスク式装置ではありません。光ディスクそのものがオーディオよりもビデオの方が先だったのと同じく、世界初記録もできる光ディスク式装置もオーディオよりもビデオの方が先でした。世界初記録もできる光ディスク式装置は1986年昭和61年登場ティアックLV-200ALD式光ディスク式アナログビデオ非ポータブル装置です。しかし、LV-200Aは非家庭用装置で発売の発表もなかったため、MZ-1も世界初記録もできる光ディスク式装置と言えます。LV-200Aは世界初記録もできる光ディスク式ビデオ世界初装置使用者が記録した映像と音声も劣化しないビデオでもあります。
 世界初家庭用記録もできる光ディスク式ビデオの登場はLV-200A登場の13年後でした。世界初家庭用記録もできる光ディスク式ビデオ日本電気MV-10000MVDISC式1999年平成11年9月登場。MVDISCはカートリッジ収納直径12cm両面仕様光ディスク。MV-10000は世界初で世界唯一のMVDISC式光ディスク世界初記録もできる光ディスク式デジタルビデオ世界初装置使用者が記録した映像と音声も劣化しない家庭用ビデオ」でもあります。なんと、MV-10000で、ついに、人類は初めて、夢の劣化しないビデオを得たのです。劣化しないビデオはMV-10000登場以前に劣化しない再生専用ビデオLD式光ディスク式ビデオ」劣化しない非家庭用ビデオLV-200Aが登場していましたが、記録もできるビデオで家庭用のビデオで初めてビデオと言えないこともないですから、記録もできる家庭用の劣化しないビデオMV-10000の登場は本当に素晴らしいことです。世界初動画記録再生装置Proszynski-Pleograf1894年登場から105年後の1999年、世界初量産ビデオソニーPV-1001962年登場から37年後の1999年、ついに、人類は初めて、夢の画質が劣化しない動画記録再生装置MV-10000を得たのです。

 

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 世界初 デジタルビデオその3                            
 世界初 家庭用デジタルビデオデッキ                  
 世界初  DV式カセットテープ式ビデオ                    
 世界初  miniDV式カセットテープも使用できる装置
 ソニー DHR-1000 1997年平成9年登場                            

 FROM GOD AND JAPAN MAN FOR YOUR HEAVEN

 

 世界初光ディスク式デジタルビデオは世界初DVD、世界初DVDは1996年登場東芝SD-3000再生専用、世界初記録もできるDVDは1999年11月登場パイオニアDVR-1000、世界初デジタルビデオは1987年登場ソニーDVR-1000カセットテープ式非家庭用ビデオデッキ、世界初家庭用デジタルビデオは1995年登場ソニーDCR-VX1000miniDV式カセットテープ式ビデオカメラ、世界初家庭用デジタルビデオデッキは1997年登場ソニーDHR-1000DV式カセットテープ式ビデオ、パイオニアDVR-1000は世界2番目記録もできる光ディスク式ビデオ、ソニーDHR-1000は世界初miniDVとDVの両方を同じ装着位置に装着でき記録再生できる装置でもありますが、このような装置は1984年昭和59年登場パイオニアCLD-9000以来、パイオニアCLD-9000は世界初CDとLDの両方を同じ装着位置に装着でき再生できる装置です。ソニーDHR-1000は他にも世界初があります。ソニーDHR-1000は世界初家庭用装置だが非家庭用装置のような意匠で従来からあるような意匠の装置でもあります。非家庭用装置は家庭用装置にはない魅力を持っていますが、非家庭用装置と家庭用装置の融合は意外とありませんでしたし、特にソニーDHR-1000のような新しい規格の世界初の製品は新しい意匠で創るのが当たり前でした。いつもデジタルビデオも日本人男性の発明と題してソニーDHR-1000について書きたいと思っていますが、日本人の創造は世界一多いのでいつになるかわかりません。
 分割大容量化8ミリビデオはデジタルビデオではなく映像はデジタルで記録再生できなくてもPCMプロセッサ内蔵で映像の音声はデジタルで記録再生でき、分割大容量化8ミリビデオはビデオとオーディオの音声だけではなくテレビチューナーの音声もデジタル、当時のテレビはアナログテレビで音声もアナログ、ですから、ソニーEV-S600のテレビチューナーでテレビ放送を視聴しているとテレビ放送にしては音がいいとみんな不思議そうに言いました。LDもデジタルビデオではなく映像はデジタルで再生できなくてもPCMプロセッサ内蔵で映像の音声はデジタルで再生できる装置が登場、世界初PCMプロセッサ内蔵LDで世界初デジタル音声LDは1986年登場ソニーLDP-730、しかし、LDはデジタルビデオではなくても光ディスクですから、記録した映像の画質ではないような、再生している映像の画質ではないような、素晴らしい画質でした。光ディスク式ビデオはLDだけだった時代はEDベータやS-VHSの登場もありましたがLDが最も高画質のビデオでした。ただ、LDは再生専用装置で後に録画もできる装置になることもありませんでした。

 

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 世界初 劣化しないビデオ                                    
 世界初 家庭用記録もできる光ディスク式ビデオ
 世界初 記録もできる光ディスク式デジタルビデオ
 世界初 世界唯一 MVDISC式光ディスク式ビデオ        
 日本電気 MV-10000 1999年平成11年9月登場                 

 FROM GOD AND JAPAN MAN FOR YOUR HEAVEN

 

 分割大容量化8ミリビデオはオーディオとして使用した時のみ分割大容量化できビデオとして使用した時は分割大容量化できません。分割大容量化8ミリビデオは1つのカセットテープで最大24時間録音できますが24時間録画はできません。分割大容量化8ミリビデオはビデオとして使用した時は普通の8ミリビデオ分割大容量化できない8ミリビデオと一緒、8ミリビデオテープの最大容量は2時間、低速大容量化はビデオとして使用した時もでき、2時間の2倍化で4時間、8ミリビデオの最大録画時間は4時間、しかし、ビデオカメラは低速大容量化できなく、8ミリビデオカメラの最大録画時間は2時間、ベータとVHSもカメラは低速大容量化できなかったと思いますが、ビデオウォークマンは第1号ソニーGV-88ミリビデオ式から低速大容量化でき、ビデオウォークマンもビデオカメラと同じくポータブルビデオですから、ビデオカメラは低速大容量化できなかった理由は画質重視の為でしょう。アナログビデオでの低速大容量化=低画質化、この画質の変化は確実にはっきりわかりました。世界初家庭用デジタルビデオソニーDCR-VX1000」1995年平成7年登場以前のビデオは全てアナログビデオ、Hi8もEDベータもアナログビデオです。
 ソニーEV-S700開発当時はビデオとして使用した時も分割大容量化でき分割大容量化で映像と映像の音声も記録できるようにしたかったのは山々だったと思いますがデジタルの映像や音声なら分割大容量化しても低画質化や低音質化はないがデジタルオーディオ技術音声デジタル化技術はあるがまだデジタルビデオ技術映像デジタル化技術がないたとえデジタルビデオ技術があったとしても映像は音声の何倍も大容量だから分割化で映像と映像の音声も記録できるようにしたとしても大容量化はできない」「もっと大きいカセットテープならある程度は分割大容量化で映像と映像の音声も記録できるがせっかく小形化した8ミリビデオをまた大きくしたくないテープ式装置はテープを早送りや巻き戻しをして記録再生箇所移動のため移動時間が長いから1つのテープで24時間録画できても便利ではない部分もあるということだったと思います。   

 

🇺🇦
ウクライナ人男性 VASYL VIRASTYUK
1974年昭和49年4月22日誕生 

 

 分割大容量化8ミリビデオはオーディオとして使用した時のみ分割大容量化でき分割大容量化で記録できるのは音声のみ、しかし、使用のメモリは音声だけ記録できるオーディオカセットテープではなく映像も記録できるビデオカセットテープ、その理由は分割大容量化で音声を録音をデジタルで録音はアナログで録音よりも大容量でオーディオカセットテープよりもビデオカセットテープの方がテープの幅が大きく音声記録部分だけではなく映像記録部分もあり映像は音声の何倍も大容量だからビデオカセットテープの方が大容量だからでしょう。
 今の時代もデジタルで録音リニアPCMで録音はアナログで録音MP3などで録音よりも大容量です。今のポータブルレコーダーリニアPCMレコーダーやICレコーダーや今のウォークマンなどのフラッシュメモリ式レコーダーはリニアPCMで録音かMP3などで録音か選択できる装置が多いですが、リニアPCMで録音はMP3などで録音よりも録音時間が短く、デジタル録音の方が録音時間が短い理由はデジタル録音の方が大容量で容量をたくさん使うためです。選択できるようになっている理由は特に高音質で録音ではなくてもいい低音質で録音して容量を節約というためです。しかし、確かに、リニアPCMで録音の音質はMP3などで録音の音質よりも高音質ですが、この違いの大きさはフラッシュメモリ式装置のようなデジタル式装置におきましては、アナログビデオの低速大容量化で録画の画質と標準速度で録画の画質の違いの大きさやメタルカセットテープの音質とノーマルカセットテープの音質の違いの大きさのように大きいわけではなく、このことはCDで経験している人が多いと思いますが、CD式装置というデジタル式装置はPCMプロセッサ非内蔵でもデジタル録音ではないCDでもテープ式装置やレコード式装置のアナログ式装置よりも音がいいのと一緒です。
 8ミリビデオ登場前からありましたビデオのベータとVHSも音声のみの記録再生もできオーディオとしても使用できましたがビデオは値段が高いベータとVHSはテープが大きいということでオーディオとして使用していた人はいませんでした。しかしデジタル録音再生は今のところビデオでしかできないビデオだがテープの大きさがオーディオのテープと一緒2時間テープで24時間も録音再生でき更にデジタル録音再生できるということならビデオをオーディオとして使用したいと思います。デジタル録音再生できるビデオは分割大容量化8ミリビデオが世界初ではなく世界初は1981年登場テクニクスSV-P100、しかし、SV-P100は分割大容量化8ミリビデオと違い分割大容量化できなく映像の音声はデジタル録音再生できません。

 

 日本人は8ミリビデオよりも高画質のVHSS-VHS発明、そして、日本人はS-VHSと同画質の8ミリビデオHi8発明、更に、日本人はS-VHSとHi8よりも高画質のベータEDベータ発明、そして、まだ最初はテープ式でしたが、日本人はEDベータよりも小容積高画質のビデオデジタルビデオDVminiDVマイクロMV発明、ビデオの高画質化はデジタルビデオで到成、テープ式ビデオはテープ式デジタルビデオDVminiDVマイクロMVで到成、ビデオカセットテープの小形化はマイクロMVで到成、マイクロMV式ビデオカセットテープは最大容量は小さいですが世界最小ビデオカセットテープです。
 日本人は光ディスク式ビデオの分野においても小容積化と高画質化を進め、日本人はLDと違い直径12cmで片面仕様でLDよりも小容積だがLDと同じ容量でLDと違いデジタルビデオでLDよりも高画質の光ディスク式ビデオDVD発明、DVDは世界初光ディスク式デジタルビデオ、そして、日本人はDVDと同容積同画質だがDVDよりも大容量の光ディスク式ビデオBD発明、日本人は世界で初めてBDでメモリの積層化を行い、日本人は片面16層512GB両面仕様32層1024GBのビデオ光ディスクも2010年に発明。この1024GBのビデオ光ディスクはBD式ですから1024GBもあっても音声だけではなく映像もデジタルで記録再生できます。
 日本人は最初は写真や音声しか記録再生できなく小容量だったフラッシュメモリも映像も十分記録できるほど大容量化、今のビデオカメラはフラッシュメモリ式ビデオカメラと書いてなくても全部フラッシュメモリ式ビデオカメラ、ビデオはBDとフラッシュメモリで到成、フラッシュメモリはオーディオの分野でも活躍、音楽配信で音楽を聴くなどのインターネットで音楽を聴くこともフラッシュメモリで音楽を聴くこと、なぜなら、元々インターネットは検索し受信したものは全て自動で一旦メモリに記録していて今のインターネットのメモリはフラッシュメモリだからで、一旦メモリに記録している理由は、インターネットはテレビ放送やラジオ放送と違い送信し続けている電波を受信ではないからで、ディスプレイテレビだけでは記録できなくメモリとメモリ装置もないと記録できないのは昔と一緒、昔と一緒ですが、今のメモリはとても大容量で小容積のため、メモリを装着しなくても最初から内蔵しているメモリでインターネットを使用できパソコンを使用できる点は昔と一緒ではありません。
 日本人はテープ式オーディオの分野においても小容積化と高音質化を進め、日本人は小形のカセットテープマイクロカセット発明、そして、日本人はオーディオカセットテープと同じ大きさのカセットテープを使用の従来よりも小容積のカセットテープを使用のテープ式デジタルオーディオDAV分割大容量化8ミリビデオdcc発明、更に、日本人は従来よりも小容積のオーディオカセットテープを使用のテープ式デジタルオーディオDATデジタルマイクロカセット」発明、デジタルマイクロカセットは世界最小オーディオカセットテープ」「世界最小カセットテープ当時世界最小メモリですが、デジタルですから素晴らしい音質でしたし最初から最大容量2時間もありました。更に、日本人はデジタルマイクロカセットよりも小容積大容量のメモリSDカード式フラッシュメモリ発明。フラッシュメモリ式装置はテープ式装置の問題点だけではなく光ディスク式装置の装置が振れると音が飛ぶという問題点も解決。しかし、非ポータブルの光ディスク式装置はこの問題点は幾どなく、ポータブルの光ディスク式装置もフラッシュメモリを応用したことでこの問題点は解決。日本人は高層建築の新しい正創院を建て、ここに日本人の発明品を収蔵し、試聴できるほどの量が残っている発明品は試聴もできるようにし、本体はもちろん箱も説明書も永遠に保管していきましょう。
 日本人は光ディスク式オーディオの分野においても小容積化と高音質化を進め、日本人はCDよりも小容積の光ディスク式オーディオMD発明、録音もできるCD式光ディスク式オーディオCD-R発明、MDは圧縮デジタル音のため音質はCDよりも低音質でしたが、日本人はCDと同じ音質で録音再生できるMD式光ディスク式オーディオHiMD発明、フラッシュメモリ式オーディオもデジタルオーディオですが、光ディスク式オーディオはフラッシュメモリ式オーディオよりも高音質です。
 日本人はテレビの分野におきましても小容積化と高画質化を進め、日本人は8ミリビデオ発明の3年前の昭和57年1982年にブラウン管テレビよりも小容積のテレビ液晶テレビ発明、液晶テレビで初めて腕時計テレビ壁掛けテレビ画面10形でも携帯性のあるポータブルテレビにできるを実現、世界初液晶テレビは腕時計テレビ、しかし、液晶テレビ視る位置や角度によって映像が変化してしまう速い動きの映像は動きが滑らかではないというブラウン管テレビにはなかった問題点があったことから、日本人はこのような問題点がない薄形テレビ有機ELテレビ発明、日本人は世界初有機ELテレビ登場前後に先程書きました液晶テレビの問題点を解決、更に、日本人は世界初有機ELテレビ登場後に有機ELテレビと同じ明暗比1
: 100万の液晶テレビも創造しましたし、有機ELテレビは世界初の機種からディスプレイ部厚さ3.0mmを実現しましたが、日本人は2015年平成27年に画面65形でディスプレイ部厚さ4.9mmの液晶テレビも創造しました。更に、日本人は高輝度薄形テレビLEDテレビ発明、今の三菱オーロラビジョンはLEDテレビ、更に、日本人は従来のLEDテレビよりも小容積高画質のLEDテレビマイクロLEDテレビ発明。
 日本人は照明の分野におきましても小容積化と長寿命化と低電力化を進め、日本人は白熱電球と蛍光灯よりも小容積長寿命低電力の照明LED照明有機EL照明発明。
 日本人はオーディオとビデオとテレビと照明の分野におきましても問題点を1つ1つ解決していき、できることを1つ1つ実現していき、1歩1歩理想に近づき、日本人は今日の光ディスクとフラッシュメモリ液晶テレビ有機ELテレビとLEDテレビとLED照明と有機EL照明の理想世界を創造したのです。

 

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    世界初 リニアスケーティング式回転ヘッド式装置
    世界初 リニアスケーティング式ビデオ
    世界初 リニアスケーティング式ベータ
    世界初 リフトアップリニアスケーティング式装置
    ソニー SL-HF705 1985年昭和60年登場

INVENTED AND MADE IN JAPAN WITH GOD

 

    幾どのリニアスケーティング式装置以外のテープを側面に横に装着の装置はテープ扉を開かなくてもテープを入れるだけでテープを装着できました。カーオーディオ以外のテープを側面に横に装着の装置は装置の上面にテープ窓を設置し上面からテープの残量と回転が見える装置にしていたことが多かったですが上面からテープの様子が見える装置上面にテープを装着の装置」のようなもので、上面にテープを装着の装置は上に他の装置を置く重ねることができない空間が広くないラックや棚に置くとテープ交換ができないもしくはしやすくなくテープの様子が見えないもしくは見やすくないという問題点があり、この問題点を解決のために、世界初テープを側面に縦に装着の装置で世界初テープの様子が側面から見える装置ソニーTC-5350SDカセットテープ式オーディオ1974年登場。しかし、まだ、世界初ベータ1975年5月登場ソニーSL-6300と世界初VHS1976年10月登場ビクターHR-3300はテープを上面に横に装着の装置でしたが、後に、オーディオもビデオも側面に装着の装置のみになっていき、側面に装着が当たり前になっていきました。しかし、テープを側面に装着でもテープの様子が側面から見えるのはテープを縦に装着だからで、ビデオは固定ヘッドよりも大きい回転ヘッドでビデオテープはオーディオテープよりも大きいのでテープを縦に装着だと装置の高さ厚さが大きくなってしまうということで、ビデオにおいてはテープを側面に装着の装置はテープを横に装着の装置だけでしたが、ソニーEV-S700は世界初テープを横に装着だがテープの様子が側面から見える装置でもあります。
 分割大容量化8ミリビデオ4機種1985年6月登場ソニーEV-S7001986年登場ソニーEV-S600ソニー1987年登場ソニーEV-S8001989年登場ソニーEV-S900のS600はS700の低価格版で普及版、S700とS600は100%同機能で幾ど同意匠、S700とS600は側面正面の下の部分の色がS700は銀色だがS600は黒色S700はDAVと記載だがS600はDIGITALと記載の2箇所のみ異なり、S800とS900はリニアスケーティング式装置、S800は世界初リニアスケーティング式8ミリビデオ、S800は世界初回転盤搭載8ミリビデオでもあり、8ミリビデオはカセットテープが小さいからリニアスケーティング装置にできたのではなく、ベータ初リニアスケーティング式装置で世界初リニアスケーティング式ビデオソニーSL-HF705はS800登場の2年前の1985年11月登場。リニアスケーティング機構とはメモリ装着部分が引き出しのように直線動作リニア滑り出て来るスケーティング機構、リニアスケーティング機構はよくCDプレーヤーに搭載でCDの人気と普及により普及しました。
    SL-HF705は世界初引き出しを出してても記録再生できるリニアスケーティング式ビデオ、しかし、S800は引き出しを出してると録画再生できなく、SL-HF705は世界初リフトアップリニアスケーティング式装置、しかし、S800はリフトアップ機構はなく、このリフトアップ機構はカセットテープが取り出しやすいように電動でリフトアップ、リニアスケーティング式装置も日本人の発明、世界初リニアスケーティング装置ソニーTC-K88カセットテープ式オーディオ1979年登場、TC-K88も引き出しを出してても記録再生できるリニアスケーティング式装置、TC-K88は世界初引き出しを出してても記録再生できるリニアスケーティング式装置でもあります。リニアスケーティング装置は見た目を異意匠化でき操作性も異操作化できテープヘッド等の書読部分を常時覆うことができるため書読部分が埃の影響がないという利点もあります。
   
S700とS600はソニー製品にしてはピークメーターが大きく、このようなソニーの枠を越えた意匠のソニー製品は当時は珍しかったと思いますが、会社の枠を越え全世界の代表であることを意匠においても表現したのでしょうか。

 

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ソニーの父 日本人男性 井深大
1908年明治41年4月11日誕生

 

 世界初8ミリビデオテープは世界初ヘアーライン仕上げカセットテープでもあり、特異のヘアーライン仕上げに普通の鼠色もお洒落ですし、左右の大きさが異なっていたり角張っているが斜線もあるテープ窓も全く新しくかっこよく、しかし、包装のグラデーション意匠はソニーのベータテープやオーディオテープを受け継いでいて、銀色の包装はソニーのオーディオメタルテープのMetal-ESを受け継いでいたり、8ミリビデオテープはオーディオテープと一緒の大きさだからケースも一緒という点もベータとVHSと異なる点です。
    ソニーEV-S700とソニーEV-S600は全体としては特異な意匠を施工しないで斜め6段の表の世界唯一の部分を目立たせたと思います。最初に掲載した写真が斜め6段の表の写真です。斜め6段の表は斜めではなくても垂直でも良かったと思いますが、この斜めはヘリカルスキャン式回転ヘッドの水平に記録よりも垂直に記録の方がたくさん記録でき更に垂直よりも斜めの方がたくさん記録できるの斜めを表現したのでしょうか。ヘリカルスキャン式回転ヘッドは斜めに記録や再生を行うため斜めに傾いています。世に登場した回転ヘッドの幾どはヘリカルスキャン式回転ヘッド、世界初ヘリカルスキャン式回転ヘッド1955年昭和30年登場、ヘリカルスキャン式回転ヘッドは回転ヘッドの小形化とメモリテープの小形化を実叶、回転ヘッドの小形化とテープの小形化の実叶はビデオの小形化を実叶、ビデオの小形化はビデオの量産化と家庭用化と一般化を実叶、そして、ついに、世界初量産ビデオで当時世界最小ビデオソニーPV-100オープンリールテープ式1963年昭和38年登場、世界初家庭用ビデオソニーCV-2000オープンリールテープ式)1965年昭和40年登場。ヘリカルスキャン式回転ヘッドを発明した人は日本人男性の沢崎憲一さわざきのりかず1913年大正2年4月16日誕生です。
    EV- S700は世界初1つの電子釦で2つの操作ができる釦を搭載の装置でもあります。EV-S700の1つの電子釦で2つの操作ができる釦は中央にある録画録音釦の下のSELECT釦の横に並んだ釦のうち文字照明が上下2段ある釦でSELECT釦を押すと文字照明の光灯が上下に変化の釦です。この上下という垂直と白色の垂直線は分割大容量化の垂直分割を表現したのでしょうか。1つの釦で2つの操作ができると釦の量が2分の1でよく、釦が多い今の装置には素晴らしい発想だと思いました。この後、1987年に1つの釦で2つの操作どころか全操作ができる釦長押し釦連続瞬間押し釦を世界で初めて搭載の装置パナソニックRQ-JA160ポータブルカセットテープ式アナログオーディオ登場。今では幾どのポータブル装置の電源釦が長押し釦、長押し釦の発想はEV-S700の1つの電子釦で2つの操作ができる釦から得たのでしょうか。
    世界初オーディオカセットテープの大きさのメモリで24時間録音再生できる装置ソニーEV-S700は小容積大容量メモリの父祖であり、ソニーEV-S700はデジタルレコーダーの父祖多操作釦の父祖でありました。      

     

  








 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あけましておめでとうございます令和6年2024年

 

 

 

 



 

 

 

 

 

 

    芸術技術についてますます云い支えます

    書き初め(かきぞめ)を最初に掲載、一筆書きで「迎春」と書き初めました。書く前に匠意デザインしたのではなく書きながら一瞬で匠意、しかし、全部で20ほど迎春の字を匠意しましたが、ある程度は、書くに従い段々と思い付いた「迎の之繞はこの形がいい」「之繞と旁はある程度離してもいい」「春の日の形も普通の四角形ではなくてもいい」といったことの結集でもあります。
    龍の絵を書いた人は日本人男性の雪村(せっそん文亀4年永正元年1504年誕生)です。この絵も「力強いし個性も強いが自然だしやさしいし意匠性と品性と霊性も高い」という日本人ならではの創造性を持っています。この絵においてもやはり雲の形意匠がかっこいいです。このような雲の形意匠は珍しく、この雲は登龍の様子を強調の線でもあり、音でいう効果音、白色の部分は雲の他に水にも見えます。天を仰ぎ天に昇る龍の絵は珍しいのではと思いましたし、龍の絵にしては龍を小さく描いているのも珍しいのではと思いましたが、3人の日本人男性「葛飾北斎」「酒井抱一」「鈴木其一」もこのような龍の絵を書いていますし、この3名はこの雪村の龍の絵の龍よりも小さい龍を書いています。葛飾北斎が書いた龍と富士山の墨画は富士山の雄大さを表す為に龍を小さく書いたのでしょうか。また、葛飾北斎が書いた龍と富士山の墨画は龍の周辺が黒くて暗いのは宇宙や霊界の見た目の様子や人間が完全にわかることができない様子を表しているのでしょうか。
    東京国立博物館では令和6年2024年の正月も日本人男性の長谷川等伯(はせがわとうはく天文8年1539年誕生)の松の墨画の展示を1月2日から1月14日まで行います。長谷川等伯の松の墨画は他の種類や複製品がなく、東京国立博物館に本物1つあるのみ、似ている絵もありません。東京国立博物館はとても広く大きい博物館であることにも驚きますが、東京国立博物館の周りもとても広く大きいことにも驚きます。東京国立博物館は令和6年2024年152周年。東京国立博物館につきましては日本父祖発明意匠では2022年10月15日と2022年10月22日の「祝 東京国立博物館 150周年」でも掲載記載しています。
    龍の絵の上に掲載した空雲の写真は正月に撮ったのではありませんが、下の雲が龍のような形、龍の髭が前の何かと繋がっているような形、曲線なのも珍しいしかっこいいです。後ろの白い雲も北斎の赤富士の絵の雲のようにいい形、空の青色もいい色、後光の光量と光色も最高、少し暗いのもいい雰囲気、この写真は令和4年2022年朝6時台に撮りました。この写真も日本父祖発明意匠の写真ですから完全無加工写真、実際の光景、色の加工もしていません。
北斎や広重の絵は想像の部分もありますが実際の部分もあることから、この写真を見るまでは北斎の赤富士の絵を見て「このような雲は本当にあるのであろうか」と思っていました。
    龍の絵の下に掲載したのは日本の奈良は法隆寺にあります木の写真、根っこに近い所の木の表面の写真、令和5年2023年12月撮影、木の断面(年輪)の写真ではありません。この木は法隆寺鏡池の近くにあります。この木も「力強いし個性も強いが自然だしやさしいし意匠性と品性と霊性も高い」という創造性を持っています。しかし、この木を創造したのは人間ではありません。この木はとても太いです。不思議で珍しい自然造形は他の部分にもあります。年輪のような形模様は円い形のようで四角い形でもあったり、段々深くなっていて立体になっているのも珍しいしかっこいいです。いったい何年でこの模様ができたのでしょうか。何年でこの模様になったのでしょうか。生きているから他の模様に変化していくのでしょうか。とても少しずつ変化していくからわからないでしょうか。日本にはこのような霊木がとてもたくさんあります。
    法隆寺の木の写真の下に掲載したのは日本人が世界に誇る光ディスクの写真、CD登場当時は光ディスクについて知らない人が多いということでこのような写真や光ディスク式装置のこの部分を絵にした説明をよく拝見したもので少し懐かしいですが、なんと、この光ディスクは「片面200GB両面仕様400GBの容量の光ディスク」「片面8層の光ディスク」「透明光ディスク」です。この光ディスクは日本人の会社パイオニアが平成20年2008年に発明、方式はレーザー光の色が青紫色ですからブルーレイ式、世界初ブルーレイ平成15年2003年登場、初期のブルーレイは1層23GB、平成16年2004年には1層25GBに、25GB × 8層 × 両面2 = 400、既に、この光ディスクは全てのブルーレイ式光ディスク式ビデオで実用記録再生仕様、勿論、8層が両面にあり全部で16層でも厚さは従来の光ディスクと一緒の1.2mmです。1層23GBだったブルーレイを1層25GBに増化した技術は、平成15年以前にMDの最大容量を非積層化で74分から80分に増化した技の応用でしょう。
    日本人の会社TDKは平成22年2010年に「片面512GB両面仕様
1024GBの容量の光ディスク」「片面16層の光ディスク」「1024GBの透明光ディスク」発明。TDKは1層23GBや25GBだったブルーレイを1層32GBに増化、32GB × 16層 × 両面2 = 1024、1024GB = 1TB、既に、この光ディスクも全てのブルーレイ式光ディスク式ビデオで実用記録再生仕様、また、16層が両面にあり全部で32層でも厚さは従来の光ディスクと一緒です。従来よりも厚さ容積が大きいと装置や容器に装着できなかったり上手く記録や再生ができません。容積を大きく変えないで容量を大きく変える技術は細密化技術、細密化技術は小形化技術。光ディスクにおいては「ピットを小形化」「小形化した新しいピットを書読できる新しいレーザーを発明」により容積を大きく変えないで容量を大きくできるわけですが、このような発想はできたとしても実現もできるのは世界で日本人だけです。ブルーレイを実現した日本人ですが、今では当たり前のブルーレイですが、最初は「本当にブルーレイを実現できるだろうか」と思ったのでしょうか。
    もう1024GBの光ディスクを作る技術はできていますが、今量産している光ディスクで最も容量の多いのはブルーレイ式光ディスク片面128GB片面仕様、今のところ両面仕様のブルーレイ式光ディスクはありません。128GBは400GBよりは少ないですが、
DVDの最大容量は片面47GBですから、128GBでも素晴らしい進化です。光ディスクは「テープよりも容量が多い」「テープやレコードよりも音がよくフラッシュメモリよりも音がいい」「テープやレコードと違い劣化がなく記録再生箇所移動速度が速い」最高のメモリです。
    昔はテープにおきましては積層化技術と同じような技術の垂直分割化技術があり、テープを物体としては不変に垂直に6分割し容量6倍化とテープ回転速度2分の1化し容量2倍化で容量2時間カセットテープだと6 × 2 × 2 = 24で世界初2時間テープ1本で24時間録音できる装置「ソニーEV-S700(世界初8ミリビデオ式テープ式ビデオ当時世界最長記録再生時間記録再生装置)」昭和60年1985年6月登場、昔は光ディスクにおきましては積層化技術や垂直分割化技術がなく、光ディスクにおきましては回転速度を変えることによる容量増化はできない或いはしたくないにより、初期のブルーレイ式光ディスクは1層のみで容量23GBでしたが、メモリの積層化はフラッシュメモリにおきましてもできるようになっていき、フラッシュメモリにおきましても容量増化が進んでいます。
    メモリの積層化3次元化の発想は「日本人男性の岩崎俊一が小容量大容積大電力で全く実用化していなかったハードディスクを垂直化により大容量小容積小電力にし昭和53年1978年に実用化」の垂直化から得たのでしょうか。
世界初積層メモリパナソニックLM-BRM50(ブルーレイ式光ディスク)」平成16年2004年7月31日登場、世界初積層メモリを記録再生できる装置パナソニックDMR-E700BD(ブルーレイ式光ディスク式装置)」平成16年2004年7月31日登場。三洋電機は1年前の平成15年2003年に「世界初2層光ディスク書読レーザー(ブルーレイ式)」を発明、メモリにおいての書読とは「書き込み記録」「読み取り再生」です。東芝は平成28年2016年に「世界初64層メモリ(フラッシュメモリ式)」発明。
   
今の駅周辺は新しく線路を敷く土地がない。だからと新しい駅が従来の駅から遠いと便利ではない。地上水平には土地がなくても地下垂直にはある。ということで、世界初時速500キロ電車日本超電導リニアは幾ど地下を走行で地下鉄のようになるわけですが、積層化はメモリよりも交通においての方が早く、地下鉄と高架鉄道と高架道路も積層化、日本初地下鉄は昭和2年1927年開通の東京銀座線、東京銀座線はアジア初地下鉄でもあります。
    メモリの積層化 = メモリの容積を変えないでメモリの容量を変える。箱の容積(箱の大きさ)を変えないで10しか入らなかった箱を1000入る箱に変える。映像や音は物体ではない。メモリの積層は物体かどうかわからない。物体ではなくてもこの世においては信じられない芸技です。

 

            おめでとう日本のお父さん
            ありがとう日本のお父さん
            奇跡の国  世界一の国  日本
奇跡の男  世界一の男  日本人の男

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ありがとう令和5年2023年 平等院鳳凰堂970周年

 

 

 

 空はいつもと同等だった  いつもと同等に綺麗だった
 平等院は写真と同等だった  写真と同等にかっこよかった
 同等でいい  違くなくていい
 既に最高だから  もっといいものは無いだろうから
 ありがとう空  
 ありがとう平等院 
 僕と空は永遠に一緒だよ  
 僕と平等院は永遠に一緒だよ 
 君と空は永遠に一緒だよ  
 君と平等院は永遠に一緒だよ
 ありがとう神様  
 ありがとうお父さん
 僕と神様は永遠に一緒だよ  
 僕とお父さんは永遠に一緒だよ 
 君と神様は永遠に一緒だよ  
 君とお父さんは永遠に一緒だよ

 

 

 

    日本に住んでいる1億2000万人の日本人の皆様、平等院鳳凰堂970周年おめでとうございます。ブラジルに住んでいる200万人の日本人の皆様、平等院鳳凰堂970周年おめでとうございます。アメリに住んでいる200万人の日本人の皆様、平等院鳳凰堂970周年おめでとうございます。ハワイに住んでいる30万人の日本人の皆様、平等院鳳凰堂970周年おめでとうございます。カナダに住んでいる17万人の日本人の皆様、平等院鳳凰堂970周年おめでとうございます。中国に住んでいる15万人の日本人の皆様、平等院鳳凰堂970周年おめでとうございます。ペルーに住んでいる10万人の日本人の皆様、平等院鳳凰堂970周年おめでとうございます。オーストラリアに住んでいる10万人の日本人の皆様、平等院鳳凰堂970周年おめでとうございます。アルゼンチンに住んでいる8万人の日本人の皆様、平等院鳳凰堂970周年おめでとうございます。イギリスに住んでいる7万人の日本人の皆様、平等院鳳凰堂970周年おめでとうございます。ドイツに住んでいる5万人の日本人の皆様、平等院鳳凰堂970周年おめでとうございます。フランスに住んでいる4万人の日本人の皆様、平等院鳳凰堂970周年おめでとうございます。メキシコに住んでいる3万人の日本人の皆様、平等院鳳凰堂970周年おめでとうございます。台湾に住んでいる2万人の日本人の皆様、平等院鳳凰堂970周年おめでとうございます。イタリアに住んでいる1万人の日本人の皆様、平等院鳳凰堂970周年おめでとうございます。外国に住んでいる日本人の皆様、平等院鳳凰堂970周年おめでとうございます。

 

 

    平等院は970年前の永承8年/天喜元年1053年以前から日本人男性の藤原頼道を頭にたくさんの日本人男性による建設により鳳凰堂は1053年に竣工した日本人の神殿です。掲載の建物が平等院鳳凰堂、今月の紅葉の時期に撮影、最初の写真は午前9時台に撮りました。平等院の写真は日本父祖発明意匠では2023年12月18日「祝 180周年 松阪屋嘉八本店 京都宇治茶」でも掲載しています。
    平等院は今も970年前と同じく宗教団体ではありません。平等院は日本の平和や日本民族の幸せはもちろん世界の平和や世界の人の幸せも願う神殿ではありますが、日本と日本民族は日本と日本民族が愛し守るのが第一であることから、日本人に成り済ました外国人不審者による侵略防止と偏向運営防止の為、外国人は平等院で勤務できません。日本に帰化した外国人も平等院で勤務できません。外国人への支援は外国が行うのが第一で外国で就職に困ったら自分の国に戻るのが第一です。そもそも神殿は職場ではなく、神殿は商売を行う所でもありません。元々平等院も入場料無料でした。平等院におきましても職員採用の際は必ず本物の日本人か帰化した日本人か外国人かわかる国籍証明書で国籍の確認をお願い致します。日系人の会などの外国にある日本人の組織におきましても日本人に成り済ました外国人不審者の侵入防止を会員みんなで社員みんなでやって下さい。
    同じ人間なのに外国に行く時や外国から帰った時にパスポート提示はなぜだろうと思う心は正しい心です。では、なぜ、パスポート提示を行うのでしょうか。その理由は悪い人がいるからです。日本政府は国際連合と連携し日本の国際港と国際空港の出入国管理局に日本人に成り済ました在日韓国人が勤務していないか調査して下さい。

 

            令和05年  2023年  日本人の発明

網膜投影ファインダー  QDレーザ  NEOVIEWER
家庭用全自動炊飯器  パナソニック  SR-AX1
自動運転コンバイン  クボタ  DRH1200A-A
芯出量調節自動式シャープペン  三菱  クルトガダイブ
芯自動回転自動式シャープペン  三菱  クルトガダイブ
全固体電池式電気自動車  日産  ハイパーフォース 

            おめでとう日本のお父さん    
            ありがとう日本のお父さん  
            奇跡の国  世界一の国  日本
奇跡の男  世界一の男  日本人の男

 

世界初 網膜投影ファインダー
世界初 応全視力ファインダー
QDレーザ NEOVIEWER 令和5年2023年3月登場
装着のカメラはソニーDSC-HX99

INVENTED AND MADE IN JAPAN

 

🇪🇸JoseCarreras🇮🇹LucianoPavarotti🇪🇸PlacidoDomingo
🇨🇦FrankGehry
🇯🇵EiichiShibusawa

 

 来年も日本父祖発明意匠でしか見ることができない写真と文章と意匠にご期待下さい。