雨ニモマケズ 防水ヘッドホンも日本人男性の発明

🇯🇵 日本人 宮沢清六 弟 左 右 兄 宮沢賢治29歳

蝶 浅葱斑

    文学と科学

    世界初防水ヘッドホンは昭和58年1983年2月21日登場「井深大盛田昭夫ソニーWMーF5世界初防水オーディオ」に付属のヘッドホン「MDR-E255」です。

防水マイクはMDR-E255登場前からあり、世界初防水マイクは昭和49年1974年登場「井深大盛田昭夫ソニーF-115」だと思いますが、スピーカーはマイクにもなるためマイクとスピーカーは同じですから、F-115登場後に防水スピーカーが登場したと思いますが、マイクやスピーカーの外側に覆いを設置し水がかからないようにしたら防水になるため、屋外マイクや屋外スピーカーはF-115登場前からあったと思いますが、覆った音と覆っていない音は違いますし、覆った音と覆っていない音は違うと言っても防水化には何かで覆うわけですが、音質に影響がない覆いを開発し内側に覆いを設置し覆いを内蔵したら小形になるしマイクらしくなるし全指向防水性にできるから水中に入れても防水になるということで開発したのがF-115だと思います。F-115の音質と防水性と耐久性の定評は素晴らしく、F-115はマイクそのものが防水仕様ですから、東京駅に設置のお天気カメラの屋外カメラと一緒に設置のF-115は横を庇で覆ったっただけで10年間修理無しで使用できたそうです。今はMDR-E255のような大きさどころかMDR-E255よりも小さいマイクは有りますが、MDR-E255登場当時は無く、ヘッドホンは超小形のスピーカーですから、MDR-E255は「ヘッドホンの防水化」ではなく「防水マイクの超小形化」だったと思いますが、世界初ウォークマン昭和54年1979年7月1日登場前は「ヘッドホンは屋外で歩きながら聴くものでもある」という概念や発想が無く「ヘッドホンはスピーカーで大きい音を出すことができない時に使うものである」という概念だけだったため、世界初防水ヘッドホン登場は世界初防水マイク登場の9年も後だったと思います。最初、MDR-E255は単品の販売がありませんでしたが、WMーF5登場の8ヶ月後に世界初単品防水ラジオで世界初スポーツFMウォークマン「SRF-6」登場と同時に単品の販売が登場、WMーF5の付属品のMDR-E255は黒色だけでしたが、単品のMDR-E255は黄色、更に、単品のMDR-E255は丸いプラスチックのケースが付属しケースも黄色、SRF-6の付属品のMDR-E255はSRF-6と同じ「黄色」「黒色」「青色」「赤橙色」の4色、MDR-E255のケースは昭和57年1982年登場の世界初インナーイヤー形ヘッドホン「MDR-E252」のケースのようなコード巻き取り回転盤がついてるケースではありませんでしたが、昭和60年1985年登場スポーツウォークマン第2号WMー75とWMーF75と同時に登場の防水ヘッドホン第2号の単品のMDR-E265に付属のケースはコード巻き取り回転盤がついてるケースになり、色も「黄色」「赤色」「青色」「鼠色」「白色」の5色に増えました。更に、スポーツウォークマン第2号と同時に「世界初の防水一体形オーディオCFS-V75」「世界初のスピーカー搭載の防水ラジオICF-S75」「世界初の防水ポータブルスピーカーSRS-35」登場、この3機種は世界初の家庭用防水スピーカーでもあると思います。

コード巻き取り回転盤ヘッドホンケースは回転盤と巻き取り部分の円周に細かい溝(ギザギザ)を施してありますが、この溝は装飾ではなく、回転盤と巻き取り部分がどの位置でも合いどの位置でも巻き取ることができる為のものという素晴らしい発想ですが、この溝は装飾に見えるのはソニーだからでしょう。コード巻き取り回転盤ヘッドホンケースは世界で唯一ソニーが創造、MDR-E252は世界初のヘッドホンケース付属ヘッドホンでもあり、世界初のコード巻き取りヘッドホンケース付属ヘッドホンでもありますが、MDR-E252登場前は、ヘッドホンにケースを付属しヘッドホンをケースに入れるようにしようという発想もヘッドホンをケースに入れる際にコードを回転盤で簡単に巻き取ることができるようにしようという発想もなく、MDR-E252登場後は、他のオーディオ会社も回転盤はありませんがヘッドホンケース付属ヘッドホンを創造したり、音質も工夫した「池尻光夫アイワHP-V99」「松下幸之助テクニクスRP-HV70」なども登場し、本体と同時にヘッドホンも賑わい今に至っていますが、このような国は世界で日本だけで、日本人の創造力(発明力と工夫力)はテープ式ポータブルオーディオとテープ式ポータブルオーディオ時代に創造したヘッドホンだけを見ましても相当驚きますし、日本民族は世界一の民族であることがわかります。100年後も1000年後も永遠に、世界の人たちは日本人が創造したテープ式ポータブルオーディオとテープ式ポータブルオーディオ時代に創造したヘッドホンの種類の多さ色の多さ工夫の多さ世界初の多さに驚くでしょう。日本人は日本発明意匠の高層建造物「新正倉院」を建て、ここに日本人が創造したテープ式ポータブルオーディオやテープ式ポータブルオーディオ時代に創造したヘッドホンも全てカタログも箱も付属品も説明書も永遠に大事に保存し、永遠に世界一かっこよく展示していきましょう。世界一かっこよく展示と言っても日本人が創造したものは意匠も世界一かっこいいですから、置くだけで十分かっこいいでしょう。

🇯🇵 日本人男性 画家  海北友松  かいほうゆうしょう  山水幽遠

日本人は防水オーディオと防水ヘッドホン創造後も「カセットケースサイズ」「太陽電池内蔵」「無線ヘッドホン」などなどのポータブルオーディオを創造、次々と人類の夢を実現していきます。世界初の無線ヘッドホンポータブルオーディオ「井深大盛田昭夫ソニーWMー505」昭和63年1988年登場、ついに人類は、WMー505で夢の「本体とヘッドホンを繋がなくても聴くことができるポータブルオーディオ」を実現。WMー505登場前から無線ヘッドホンはあり、世界初の無線ヘッドホンは昭和53年1978年登場「井深大盛田昭夫ソニーDR-60TX 」で、DR-60TXは「ヘッドバンド形ヘッドホンDR-60(音声受信部)」「トランスミッターTMR-5(音声送信部)」の両方の電源が電池ですから歩きながら使用できないこともないですが、ウォークマンになることはできない大きさで、WMー505は本体に音声送信部を内蔵、本体に内蔵していてもカセットケースよりも少し大きいだけで、  DR-60は音声受信部と電池をヘッドホンに内蔵していますが、WMー505は内蔵しないで分けてヘッドホンを軽量化、しかし、内蔵しないでではなく、この当時は、インナーイヤー形ヘッドホンの耳に入れる部分という小さい部分に音声受信部と電池を内蔵できる技術がありませんでしたが、 WMー505はウォークマンのヘッドホンの無線化の為に従来の無線ヘッドホンを小形化したものと言えます。日本人は無線ヘッドホンポータブルオーディオも防水化、世界初の防水無線ヘッドホンポータブルオーディオ「井深大盛田昭夫ソニーWMーWX88」平成3年 1991年登場、初期の無線ヘッドホンポータブルオーディオは無線で聴くことはできても、無線で再生や停止などの操作はできませんでしたが、 WMーWX88の1つ前の無線ヘッドホンウォークマンWMー805から無線操作もできるようになり、  WMーWX88はヘッドホンとリモコンは防水ですが本体は非防水、本体は非防水の理由は「小形化の為」「操作はリモコンでできるから本体は鞄などから出さなくていいから本体は非防水でもいい」ということだったと思います。無線ヘッドホンポータブルオーディオも素晴らしい工夫と素晴らしい技術により、次々と進化していきましたが、この歴史もとても貴重で面白く、いつの日か改めて書く予定です。

僕はインナーイヤー形ヘッドホンとコード巻き取り回転盤ヘッドホンケースを世界2番目のインナーイヤー形ヘッドホン「MDR-E262」で初めて知って買って使ってみて「音の良さ」「ヘッドホンに濃い赤色という発想」「ヘッドホンにケースという発想」「ヘッドホンのコードを掃除機のコードのように巻き取る発想」に驚きました。日本人はヘッドホンとヘッドホンコード巻き取り回転盤を内蔵のポータブルオーディオも創造、世界初のヘッドホンとヘッドホンコード巻き取り回転盤を内蔵の再生装置「井深大盛田昭夫ソニーWMー51(テープ式再生専用装置)」昭和62年1987年登場。コード巻き取り回転盤ヘッドホンケースとWM-51のコード巻き取りは手動ですが、日本人は掃除機のコードのようにコードを自動で巻き取ることができるヘッドホンも創造、世界初のコード自動巻き取りヘッドホンで世界初のコード自動巻き取りヘッドホンを内蔵の再生装置「井深大盛田昭夫ソニーWMーEX911(テープ式再生専用装置)」平成6年1994年登場。WMーEX911登場当時のポータブルオーディオはリモコン付属が当たり前だったからでしょうか、WM-EX911もワイヤードリモコン(有線リモコン)を付属、WM-EX911は世界初のリモコンを搭載のヘッドホン内蔵再生装置でもあり、世界初のリモコンにヘッドホンコードを巻き取ることができる装置でもあり、WMーEX911は「ヘッドホン装着場所と珍しい形のリモコンだけで意匠を作っている」「ヘッドホン内蔵再生装置ではないような大きさを実現しWMー51よりも全然薄くて小さい」ことも特徴です。しかし、WMーEX911登場後は、コード自動巻き取りヘッドホンの登場はなく、なぜか、コード巻き取り回転盤ヘッドホンケースの登場もないようになりました。WMー51やWMーEX911は「ヘッドホン内蔵再生装置」と言えますが、ヘッドホン内蔵再生装置は再生装置にヘッドホンを内蔵ですからヘッドホンだけでは再生(聴くこと)ができませんが、日本人は「録音再生装置内蔵ヘッドホン」も創造、世界初の録音再生装置内蔵ヘッドホン「松下幸之助パナソニックSVーSD01(フラッシュメモリ式録音再生装置)」平成12年2000年登場。ヘッドホン内蔵再生装置の登場はありましたが、ヘッドホン内蔵録音再生装置の登場はありません。勿論、日本人は録音再生装置内蔵ヘッドホンも防水化、世界初の防水録音再生装置内蔵ヘッドホン「井深大盛田昭夫ソニーNWD-W253(フラッシュメモリ式録音再生装置)」平成22年2010年登場、NWD-W253の輸出用機種の品番はNWZ-W252、録音再生装置内蔵ヘッドホンはヘッドホンだけで録音と再生ができます。NWD-W253は防水でも泳ぎながらや海水では使用できませんでしたが、ソニーの最新の録音再生装置内蔵ヘッドホンNW-WS625は泳ぎながらでも海水でも使用できます。今のところ、NW-WS625のようなインナーイヤー形ヘッドホンのヘッドホンウォークマンは、左右のヘッドホンをコードで繋いでいますが、近い将来、このコードも無線化し、ソニーWF-SP700Nのような無線ヘッドホンのヘッドホンウォークマン(録音再生装置内蔵ヘッドホン)の登場が予測できますが、インナーイヤー形ヘッドホンの録音再生装置内蔵ヘッドホンのコードは、左右のヘッドホンに音と電気を伝える為だけではなく、ヘッドホンを耳の上で固定の為にもあるため、運動での使用の際はコードがあった方がいいと思いますが、下に掲載したWF-SP700Nは「豆(種)の芽」のような鉤の部品「アークサポーター」が出ていますが、この部品はヘッドホンをより耳に固定の為の部品で、この部品はヘッドホンに非装着にもできますが、この部品をヘッドホン装着し耳に装着したら水泳での使用でも十分固定できると思います。今は、WMー505よりも全然小さいウォークマンで今最も小さい非ヘッドホンウォークマンNW-S315でも音声送信部(ブルートゥース)を内蔵していたり、ソニーWF-SP700Nのようなインナーイヤー形ヘッドホンの耳に入れる部分という小さい部分に音声受信部と電池を内蔵は当たり前になった進化は素晴らしいです。防水ヘッドホンや録音再生装置内蔵ヘッドホンについては「日本父祖発明意匠2022年8月3日防水オーディオも日本人の発明」でも記載しています。

未來のウォークマンは録音再生装置とヘッドホンを繋がなくても、録音再生装置とヘッドホンの2つを持たなくても、録音再生装置が無くても、ヘッドホンだけで、インナーイヤー形ヘッドホンという小さいヘッドホンだけで録音や再生ができ、泳ぎながら聴くこともできるスイムマンでもあり、ヘッドホンも超小形だからヘッドホンも無いようなもの。素晴らしい進化ですね。人間は素晴らしい生物ですね。ウォークマンはどこまで小形化していくだろう、ということは人生の楽しみでしたが、小形化どころか無形化してしまうとは。日本人が発明した液晶も字の形が無いのに字を表示できます。液晶が無かった昭和46年以前は「ニキシー管」「赤色LED」「蛍光表示管」「エルフィン管」で表示していましたが、液晶以外の表示体は字の形が有る所に字を表示します。日本人が発明した分割陽極マグネトロン電子レンジも熱源の形が無いのに食品を温めることができます。未來の世界は無形の世界、霊界のような世界、早送りや早戻しをしなくても聴きたい曲に瞬間移動できる世界、画質や音質が綺麗で綺麗な画質や音質が永遠不変の世界。人間の男は神様が作らなかったものを創造、日本人の男は世界で最も神様が作らなかったものを創造しています。科学技術では宗教よりも確実な人間の素晴らしさを発見できます。

日本人は終戦当時に世界で最も苦労し復活し日本人は戦後も世界で最も発明し大勝利できたのは、昭和6年11月3日に「雨ニモマケズ」の言葉を残した宮沢賢治の強い応援の愛もあるのでしょう。宮沢賢治お兄さんありがとうございます。宮沢賢治お兄さん永遠に永遠に日本人全員をよろしくお願いします。

 

 

暑中見舞申し上げます 防水オーディオも日本人男性の発明

    進歩

    世界初防水オーディオ「井深大盛田昭夫ソニーWMーF5」昭和58年1983年2月21日登場。WMーF5は「世界初防水ポータブルオーディオ」「世界初スポーツウォークマン(スポーツウォークマン第1号)」「世界初防水テープ式オーディオ」「世界初防水テープ式ポータブルオーディオ」「世界初防水ラジオ」「世界初防水ポータブルラジオ」「世界初黄色オーディオ」「世界初防水ヘッドホン付属製品」でもあります。完全に自然な山の「岩」「せせらぎ」「植物」「光」の写真を掲載しましたが、実際はここに「せせらぎの音」もあり、とてもかっこいい神の芸術です。ここは山奥ではなく標高も高くないですが、ここまでは山道がなく、幾ど人が来ない所です。ここのような有名ではない小さな自然も永遠に大事にしていきたいですね。日によって異なる水の量による日によって異なる水の道により、岩の表面に細かい不規則な造形ができています。一体何年でこの造形ができたのでしょうか。1歩1歩。人工もそうです。ソニーもそうです。ソニー製品もそうです。ソニーの発想と技術と意匠は神様と歩いた日本人の先祖の1歩1歩の苦労と愛の造形なのです。ソニーの発想と技術と意匠は人間だけではできない、生きている人間だけではできない、奇跡の発想と技術と意匠なのです。

 

 

    夏には夏のスポーツウォークマン

    上に掲載した写真の泳いでいる人物は日本人の平成天皇と息子の令和天皇、泳いでいる場所は浜名湖で撮影日は昭和44年1969年8月5日、水に浮いているウォークマンは昭和60年1985年登場のスポーツウォークマン第2号WMー75です。スポーツウォークマン第1号WMーF5はオートリバースではありませんがFMラジオを内蔵。WMーF5登場の8ヶ月後の昭和58年1983年10月にスポーツFMウォークマン第1号「井深大盛田昭夫ソニーSRFー6」登場。WMーF5にもFMという文字の記載がありますが、WMーF5はウォークマンFM、SRFー6はFMウォークマンウォークマンFMはFMラジオを内蔵のテープ式ポータブル再生装置でテープだけではなくラジオも聴くことができるウォークマン、FMウォークマンはFMラジオだけ聴くことができるポータブルラジオ、FMウォークマンはラジオだけですから「低価格(SRFー6は13800円)」「小形で軽量で携帯度が高い」「ラジオ受信はテープ再生よりも電池持続時間が長い」という利点があります。ウォークマンFMという名称のウォークマンとFMウォークマンという名称のポータブルラジオの登場は多くありませんでした。FMウォークマンはSRFー6と昭和55年1980年登場のSRFー40の2機種のみ、SRFー40は翌年SRFー30という品番に変わり色も青色1色から赤色と銀色2色に変わりましたが大きさと意匠は変わらなく、SRFー40と同時に登場のAMラジオも内蔵のSRFー80の名称はラジオウォークマン、しかし、SRFー6と同時に登場のウォークマンFM「WMーF20」は同時に登場のラジオを非内蔵のWMー20と幾ど同じ大きさを実現、この技術は小形化技術どころか無形化技術と言えます。

 

     日進月歩

     世界初の電卓「昭和32年1957年登場樫尾四兄弟カシオ14ーA」は机のように大きい装置でしたが、今では小さいどころか電卓という計算機は計算機能として色々な装置に搭載し電卓としての形が無いこともあります。最近、日本人はカードメモリもとても小さくしたり透明の光ディスクメモリも創造。未來の世界は何も無いのに計算や受信や記録再生ができる世界、もう、既に、その世界です。スポーツウォークマン第1号とSRFー6とスポーツウォークマン第2号の本体は防滴よりも防水度が高い防浸で水を濡らすことだけではなく水に浸すこともでき水に浮かばせることもできますが、ヘッドホンは防滴だったので泳ぎながら聴くことはできませんでしたが、日本人は平成25年2013年に世界初泳ぎながら聴くことのできるオーディオで世界初防浸ヘッドホン「❶井深大盛田昭夫ソニーNWDーW270フラッシュメモリ式オーディオ」創造。❶は海水では使用できませんが、日本人は平成28年2016年2月に世界初海水で使用でき海で泳ぎながら聴くことのできるオーディオ「❷井深大盛田昭夫ソニーNWーWS410」創造。❶❷は録音再生装置内蔵ヘッドホン、録音再生装置内蔵ヘッドホンはヘッドホンだけで録音と再生ができます。❶は世界初防水録音再生装置内蔵ヘッドホンではなく、世界初防水録音再生装置内蔵ヘッドホンは❶の3年前の平成22年2010年登場「井深大盛田昭夫ソニーNWDーW253」です。

 

    日本人ならヘッドホンを録音再生装置にしてみせましょう

    世界初録音再生装置内蔵ヘッドホンは平成12年2000年登場「松下幸之助パナソニックSVーSD01」で、SVーSD01は「世界初ヘッドバンド形ヘッドホン一体形オーディオ」「世界初折り畳み式ヘッドホン一体形オーディオ」「世界初身体装着記録再生装置」でもあり、ソニー初の録音再生装置内蔵ヘッドホンは平成13年2001年登場NWーE8P、NWーE8Pは世界初インナーイヤー形ヘッドホンの録音再生装置内蔵ヘッドホンです。録音再生装置内蔵ヘッドホンではない防水オーディオで世界最小の防水オーディオは平成18年2006年登場「❸井深大盛田昭夫ソニーNWーS203F」で、❸は世界最小ディスプレイ搭載オーディオでもあり、久しぶりのF品番でNWウォークマン初F品番でFMラジオ内蔵、しかし、❸はNWウォークマン初FMラジオ内蔵ではなく、1年前の平成17年登場NWーE505/507はFMラジオ内蔵ですがF品番はなく、505と507の違いは内蔵メモリの容量の違いで、❶❷はラジオ非内蔵です。今の機種では「❹NWーS310」もFMラジオ内蔵ですがF品番がありません。形は❸の方がかっこいいですが、❹は今にして選曲釦が歴代ウォークマンで最も大きいのでポケットから出さなくても選曲操作ができるのがいいですし、❹の選曲釦は大きいには大きいですが、空白部分全体に広げた釦で釦なのに少し下がっているため、逆に釦が無いような釦で、このような釦は世界初でしょう。MDウォークマンは本体で曲名入力や曲順変更ができましたが、❹はできません。しかし、❹のデジタルノイズキャンセリング効果とデジタルイコライザー音質は素晴らしいです。

 

    電池も持って外出した懐かしい思い出

    WMーF5とWMー75も本当にかっこいい意匠で本当に欲しかった機種ですが、防水ウォークマンは非防水ウォークマンよりも厚くて大きいからどうしようかと見る度に思いました。世界で3番目に薄いテープ式オーディオWMー20の登場はWMーF5登場の8ヶ月後の昭和58年1983年10月1日ですが、僕が初めてWMーF5を知った時はWMー20が登場していて、WMー20厚さ1.89cm、WMーF5厚さ3.53cm、1.64cmも違います。しかし、❶❷はこのように思うことが全くない素晴らしい進化、❷は昭和59年1984年登場井深大盛田昭夫ソニーMDRーA60」を継承したような素晴らしい意匠です。❶❷のようにインナーイヤー形ヘッドホンの耳に入れる部分という小さい部分に音声記録再生装置と充電池を搭載できるのはフラッシュメモリ発明とリチウムイオン電池発明によるものですが、❶❷を見る度に改めてフラッシュメモリ発明とリチウムイオン電池発明という日本人の技術は素晴らしいと思います。WMー75登場はWMー20登場の2年後の昭和60年1985年ならWMーF5よりも小形にできたと思いますが、WMー75はWMーF5と幾ど変わらない大きさで登場した理由は「電池持続時間を短くしない為」でしょう。WMーF5「高12.80幅09.18厚03.53cm」WMー75「高11.60幅09.65厚03.58cm」で、WMーF5はWMー75よりも01.20cm高くて大きい理由は、音量と選局の回転盤が装置から出ていて防水構造により回転盤の下の部分も出ているしFMラジオ内蔵だから全体としても大きいからでしょう。WMーF5は単3形アルカリ電池2本使用でテープを9時間再生でき、WMー75は単3形アルカリ電池2本使用でテープを10時間再生できますが、WMー20は装置の小形化の為に単3形アルカリ電池1本使用だからテープを5時間しか再生できません。

 

    未來の世界は1回で充分幸せな世界

    「装置は大きいが電池持続時間は長い」方がいいのか「電池持続時間は短いが装置は小さい」方がいいのか、という時代でしたが、この後、日本人は装置の小形化の完了と電池持続時間の長時間化と充電時間の短時間化への道へ歩き出し、見事「装置は小さいが電池持続時間も長く充電時間も短い」ポータブル装置を創造、平成5年1993年に単3形アルカリ電池1本使用でテープを16時間も再生できるWMーEX999創造、平成12年2000年にガム形充電池1本でテープを50時間も再生できるWM-EX2000創造、今では1回の充電で50時間再生できるポータブルオーディオは当たり前、❸は3分充電で3時間再生できます。昭和61年1986年登場スポーツウォークマン第3号WMーF107は世界初で世界唯一の太陽電池を搭載のポータブルオーディオで世界初の充電池を内蔵のポータブルオーディオでもあるため、WMー75「11.60-09.65-03.58cm」WMーF107「11.38-09.50-03.40cm」と第3号も幾ど変わらない大きさです。しかし、色々な小形装置を創造のソニーでも今度は太陽電池を搭載した装置を創造にとても驚きましたし、WMーF107も本当に欲しかった機種の1つです。WMーF107は品番に太陽電池を表現していないのも特徴です。まだこの当時の初期のガム形充電池使用ウォークマンはガム形充電池を装置の中に装着できなく装置の外に装着、装置の外に装着の理由は装置の小形化の為ですが、日本人は装置の中にガム形充電池を装着してもカセットケースサイズで当時世界最小のガム形充電池を使用の装置WMー501を昭和62年1987年に創造。WMー501登場後は他のオーディオ会社もガム形充電池を装置の中に装着できるポータブルオーディオのみ創造。

 

    

    世界最薄テープ式オーディオは平成2年登場1990年登場「井植歳男三洋電機EPー7」薄さ1.55cm、世界で2番目に薄いテープ式オーディオは平成11年1999年登場「ソニーWMーEX20」薄さ1.69cm、EPー7はなぜこの薄さにできたかと言いますと、やはり電池で、ガム形電池という電池使用装置の小形化の為に創造した薄くて小さい電池の位置を更にテープと重ならない位置にしたことで、この薄さにできました。しかし、重ならない位置にあるため、幅はWMー20やWMーEX20よりも大きいです。しかし、幅は大きくなっても世界最薄を作ろうという意気込みや重ならない位置にした発想が素晴らしいです。EPー7の後に登場のESーP7は本体に記載の文字と色以外(形や大きさなど)はEPー7と全く同じだと思います。EPー7やESーP7はこの当時のポータブルオーディオでは幅が大きいですが、だから、ポータブルオーディオではないように見えるという新しい感覚と更なる薄い感覚が発生しています。EPー7とWMー20は薄さ0.34cmの違いですが人間の感覚は素晴らしく、EPー7はWMー20よりも薄いと知らなくても、EPー7の薄さを見た瞬間「EPー7の方が薄いのでは」と思います。

 

    立てば歩めの親心 

    日本人は平成4年登場1992年に世界初で世界最小の切手の大きさのカセットテープ「❺デジタルマイクロカセット」創造、❺の装置の第1号「井深大盛田昭夫ソニーNTー1(平成4年登場)」厚さ231cmですが、❺は厚さ0.50cmですから、後にEPー7よりも薄いテープ式オーディオの登場もあったと思いますが、日本人は平成4年に世界初録音ができて直径6.40cmの光ディスク「❻MD(ミニディスク)」創造、❻の装置の第1号「井深大盛田昭夫ソニーMZー1(平成4年登場)」は厚さ4.30cmで縦と横はCDウォークマンのような大きさ、日本人は平成3年に当時世界最薄世界最小のCD式オーディオ「井深大盛田昭夫ソニーD-J50(厚さ1.48cm)」を創造していたので、MZー1は子供用の弁当箱のような大きさに感じましたが、MZー1の大きさは日本人が昭和59年1984年に創造した世界初ポータブルCDプレーヤー「井深大盛田昭夫ソニーD-50」に似ていて親近感があったり、光ディスクは「選曲が速く一瞬」「MDは録音もでき自分で録音した曲の選曲も速い」「録音や再生を繰り返しても音質が全く劣化しない」「音揺れがない」というテープ式にはない特徴から、テープ式から光ディスク式へ、そして最近ではフラッシュメモリ式もあります。テープとレコードは再生を繰り返さなくても装置を揺らさなくても音揺れとノイズがあり本当の音を出すことができませんでした。しかし、NT-1は本当に素晴らしい音で、第2号のNT-2は世界最小で世界最高音質のテープ式オーディオです。日本人はNT-1でテープ式オーディオを完結しましたが、日本人はNT-1創造の年にもう次なる新しいレコーダーでもっと素晴らしいレコーダー「光ディスク式レコーダー(MD式レコーダー)」を創造したのも素晴らしい歴史です。このことは日本人が新幹線開通の2年前の昭和37年1962年にもう次なる新しい電車でもっと素晴らしい電車「リニアモーターカー」の研究を出発した素晴らしい歴史を思い出します。日本人はMD10周年の平成14年2002年に世界最薄で世界最小の光ディスク式オーディオ「井深大盛田昭夫ソニーMZ-E10(薄さ0.99cmMD式再生専用)」と世界最薄で世界最小の録音できる光ディスク式オーディオ「井深大盛田昭夫ソニーMZ-N10(薄さ1.29cmMD式)」創造。日本人は日本人が創造したポータブルオーディオも全機種永遠に保存し箱もカタログも説明書も全て永遠に保存し永遠に展示していきましょう。できたら展示用と非展示用の両方を用意しましょう。世界には色々な製品や芸術品があり人類は色々なものを創造しましたが、日本人が創造したポータブルオーディオは最も面白いです。下に掲載した写真は、1人の写真の人物と4人の写真の左の人物は日本人のソニーの樋口晃、4人の写真の右の3人は右から日本人のソニーの父の盛田昭夫と日本人のソニーの父の井深大と日本人のソニーの岩間和夫、4人の写真は昭和22年1947年に東京都品川区御殿山のソニーの建物の前で撮影。ソニーは昭和22年に御殿山の日本気化器の使っていなかった倉庫の建物を本社にし、平成19年2007年までの60年間この場所がソニーの本社でした。ソニー樋口晃は平成27年2015年9月30日に102歳で他界、樋口晃は東京通信工業ソニー昭和21年創業からソニーでラジオを担当しました。

 

    多彩咲いた 多才最多

    WMーF5は「黄色」「黒色」「青色」「赤橙色」「緑色」の5色、SRFー6はWMーF5と全く同じ色調で「黄色」「黒色」「青色」「赤橙色」の4色、WMーF5は最初「黄色」「黒色」「青色」だけで「赤橙色」「緑色」はSRFー6と同時に登場、WMーF5とSRFー6は世界初防水ヘッドホン「井深大盛田昭夫ソニーMDRーE255」を付属、赤橙色のWMーF5は赤橙色のMDRーE255を付属、赤橙色以外のWMーF5は黒色のMDRーE255を付属、SRFー6はWMーF5の後に登場だからでしょうかSRFー6は赤橙色以外も本体と同じ色のMDRーE255を付属、MDRーE255は単品としてもSRFー6と同時に登場、単品のMDRーE255は黄色のみでケースが付属しケースも黄色のみ、付属品のMDRーE255はケース非付属、MDRーE255は付属品も単品もコードとプラグの部分は黒色のみです。スポーツウォークマン第2号はFMラジオ非内蔵ですがオートリバースのWMー75とオートリバースでFMラジオだけではなくAMラジオも内蔵のWMーF75の2機種で登場、WMーF5はオートリバースではない理由は、WMーF5登場同時はWMーF5やWMー75の大きさのオートリバースのテープ式オーディオを作ることのできる小形化技術がなかったからだと思います。昭和54年登場ウォークマン第1号TPSーL2や昭和57年登場ウォークマン初オートリバースWMー7のような大きさならオートリバースにできますが、防水ウォークマンは防水構造により非防水ウォークマンよりも大きいのでもっと大きくなります。WMー75は「黄色」「青色」「赤色」の3色、WMーF75は「黄色」「赤色」「鼠色」の3色、鼠色はウォークマンでは初めてで、WMーF75の黄色と赤色はWMー75の黄色と赤色と全く同じ色調、第2号の黄色と青色は第1号の黄色と青色と全く同じ色調です。ソニーは第2号と同時に世界初防水一体形オーディオCFSーV75も創造、CFSーV75の意匠もとてもかっこいいです。この当時、田中久重東芝東芝初の防水ポータブルオーディオRTーV600を創造したり、井植歳男三洋電機三洋電機初の防水一体形ポータブルオーディオMRーU4Mを創造、ソニーとは全然違う意匠が特徴ですが、MRーU4MはWMーF5と同じく青色の釦があり、RTーV600はスポーツウォークマン第1号や第2号と同じく冷蔵庫の扉についてるゴムパッキンのような防水の為のものが本体の片側半分の縁についていたり片側半分同士をギュッと合わせた状態を保ち防水度を保つ為の固定部品がついてます。後に、松下幸之助パナソニックもSHOCKーWAVEという名称の防水ポータブルオーディオを創造、パナソニックSHOCKーWAVEは防変(落としたりした際の変形などの変化を防ぐ構造の)ポータブルオーディオでもあり、躍動感のある力強い派手な意匠も特徴です。

 

    変化を防ぐ

    世界初防水防変ポータブルオーディオは平成4年1992年登場ソニーWMーSX77、WMーSX77はスポーツウォークマンという名称ではなくウォークマンフィールドという名称、しかし、本体にはFIELDという記載はなく、色も濃い鼠色だけでテープ窓の意匠も以前よくあった長円形、しかし、だから、逆に新しく、WMーSX77の本体表面塗装は宇宙空間という非物体の陸地(フィールド)のように深く透明感があり少し光っていて、濃い鼠色は岩という不変物体を連想、WMーSX77のテープ窓はよく見ますと全体が少し盛り上がっていて両端の曲線部分が少し長く付属のリモコンのような形、この形は岩に垂れる水のようです。WMーSX77に付属のワイヤードリモコンは世界初防水リモコン、リモコンも本体と同じく男らしい意匠です。WMーSX77だけでも語ることは山ほどあるので、いつの日かWMーSX77を主題に書く予定ですが、以前『日本父祖発明意匠2021年11月3日「連続瞬間押し釦」と「全操作釦」も日本人の発明』でWMーSX77について記載しました。この頁の右上の検索欄に「WMーSX77」とだけ入力し検索釦を押すと2021年11月3日のを表示します。スポーツウォークマン第2号は防水ヘッドホン第2号MDRーE245を付属、MDRーE245も単品としても登場、しかし、単品の品番はMDRーE265、今回は単品と付属品の品番が同じではない理由は、付属品はケース非付属で単品はケース付属の点は前回と同じですが、MDRーE255のケースはコード巻き取り回転盤がありませんが、MDRーE265のケースはコード巻き取り回転盤がついてるからでしょうか。

 

 

    世界初防水ヘッドホンはインナーイヤー形ヘッドホンとして登場し、防水ヘッドホン第2号もインナーイヤー形で、回転盤がついてるヘッドホンケースは既に昭和57年1982年登場の世界初インナーイヤー形ヘッドホン「井深大盛田昭夫ソニーMDRーE252」に付属していましたが、MDRーE255は耳に入れる部分が少し長くて回転盤がついてるケースに入らなかったため回転盤がないケースだったと思います。MDRーE252のケースとMDRーE265のケースは形が少し異なり、MDRーE252のケースはプラグが収まる部分以外の角もあり正方形ですが、MDRーE265のケースの角はプラグが収まる部分のみで非正方形で円形に近い形で、この形のケースを初めて付属したのは昭和59年1984年登場「井深大盛田昭夫ソニーMDRーE262第2号」です。インナーイヤー形ヘッドホン第2号のMDRーE262第1号はヘッドホンの色は黒赤色のみでコードとプラグは黒色、ケースも正方形で黒色で、僕はインナーイヤー形ヘッドホンと回転盤ヘッドホンケースをMDRーE262第1号で初めて知って買って使っていても、プラグが収まる部分以外の角は無くてもいいし無かったらもっと小さいケースになるということは思い付きませんでした。MDRーE262第2号は第1号とケースの形が違うだけでヘッドホンは同じで黒赤色の色調も全く同じですが3色増えて全部で4色です。

 

 

 

    MDRーE262の黒赤色の色調も本当に素晴らしい色調で、この色調は後に買ったソニーの家具「SUーL92」の側面の木の色調に似ていて、SUーL92の木の色調も素晴らしい色調です。SUーL92は組立式家具ですがとてもしっかりした構造で、表面仕上げも電気製品のように綺麗で驚きました。更に、日本人はプラグが収まる部分の角も最小限にしもっと円形に近くもっと小形の回転盤ヘッドホンケースを付属した「井深大盛田昭夫ソニーMDRーE222」を昭和60年1985年に創造したり、逆に、プラグが収まる部分の角を大きくした回転盤ヘッドホンケースを付属した「井深大盛田昭夫ソニーMDRーE484」を昭和64年1988年に創造したり、プラグ角だけではなくこの角の逆側の角も少し大きくしたがプラグ角はMDRーE484のケースのプラグ角ほど大きくない回転盤ヘッドホンケースを付属した「井深大盛田昭夫ソニーMDRーE575」を平成2年1990年に創造。日本人はソニーが創造した回転盤ヘッドホンケースもカタログも箱も全製品を永遠に保存し永遠に展示していきましょう。

 

 

    MDRーE245は本体と全く同じ色調、MDRーE265はケースもスポーツウォークマン第2号と全く同じ色調、MDRーE245とMDRーE265は耳に入れる部分だけではなくコードとプラグの部分も第2号と全く同じ色調ですが、青色だけは耳に入れる部分のみ青色でコードとプラグは水色に近い薄群青色です。MDRーE265はスポーツウォークマン第2号の本体にも従来のウォークマンの本体にも前回の防水ヘッドホンにもない「白色」が登場、MDRーE265は「黄色」「青色」「赤色」「鼠色」「白色」の5色と多彩ですが、昭和58年1983年登場の世界最小ヘッドバンド形ヘッドホン「井深大盛田昭夫ソニーMDRーW30L」6色、MDRーE222は12色、MDRーE222は世界最多彩ヘッドホンです。今、最多彩のヘッドホンは平成29年2017年登場「井深大盛田昭夫ソニーMDRーEX155」10色です。初期のインナーイヤー形ヘッドホンは耳の窪みに入れる構造でしたが、最近は耳の穴に入れる構造になった理由は、耳の穴に入れた方が音漏れが少ないからでしょう。

 

    黄金の国ジパングの黄金の宝ウォークマン

    WMーF5とWMー75はテープ式ウォークマンの分野だけではなく歴代ウォークマンの分野だけでもなくポータブルオーディオという全体の分野におきましても1番目か2番目か3番目にかっこいい意匠です。僕はWMー75登場当時、WMー75のカタログを本当によく見ていました。どの本よりも、どのテレビ番組よりも、WMー75のカタログを見ていました。家に帰って来ると真っ先にウォークマンのカタログを見ていました。WMー75は船の窓のような、或いは、羅針盤のような丸いテープ窓がスポーツウォークマンにぴったりで素晴らしい発想で最高にかっこいいのは言うまでもありません。WMー75のテープ窓は宝石珊瑚の「赤色のような桃色」を円周に描いてあることもお洒落です。SPORTSやAUTOーREVERSEという字の位置と傾斜角度と色も完璧です。本体正面の下の左右にある2つの丸い銀色のものは装飾だと思いますが、こういうちょっとした装飾もスポーツウォークマンという異色性を大変盛り上げたものにしています。WMー75はオーディオと言うよりも少年の不思議な箱のようです。ウォークマン10周年の盛田昭夫大曽根幸三と歴代ウォークマンの記念撮影では1番前に黄色のWMー75を置き撮影。WMーF5の特徴でかっこいい部分は「傾斜意匠の釦」「上に高く装置から出ている音量と選局の回転盤」「オーディオ初の黄色」です。傾斜意匠の釦は昭和56年1981年登場ウォークマン第2号WMー2からの伝統意匠、伝統どころか、WMーF5はWMー2と幾ど一緒の意匠で、WMー2と幾ど一緒の意匠は他にもWMーF2やWMーDC2などもあり、WMーF2やWMーDC2もWMーF5と同じくWMー2を少し変えた意匠ですが違う個性を放っています。再生釦が再生表示形の三角形で再生釦の全体が再生表示色の緑色で停止釦が停止表示色の青色はWMーF5だけです。WMー2やWMーF5やWMー75の音量回転盤は装置から出ている(WMーF5は選局回転盤も出ている)理由は「装置の小形化の為」だと想いますし、WMーF5は回転盤だけではなく回転盤の下の部分も出ている理由は「防水構造の為」だと想いますし、同じ防水構造でもWMー75とWMーF75は回転盤の下の部分は出ていない理由は「改良した為」だと思います。WMー2やWMーF5の釦は機械式釦、電子式釦は電気で動かすのでテープヘッドの近くに設置しなくてもよく、ウォークマン初電子式釦WMー7がWMー2登場の1年後の昭和57年に登場、WMー7の釦もテープヘッドの近くに設置してなく、機械式釦はクランクという機械で動かすので普通はテープヘッドの近くに設置、しかし、WMー2は異意匠化と異個性化の為にクランクを工夫し機械式釦をテープヘッドの近くに設置ではなくテープ装着面の裏面を正面にした部分に設置、WMー2は世界初釦が側面ではなく正面にあるポータブルオーディオですが、このような技術とたとえ電子式釦だとしても釦を正面に設置の発想と釦で意匠を作る発想は普通ではありません。WMーF5の音量と選局の回転盤の2つの角は真空管アンプ真空管やアンプの回転体のようでポータブルではないオーディオのような雰囲気です。WMーF5は黄色と真逆のような色の黒色も用意というのもいい発想です。防水はいいが色は普通でいいという人の為に黒色を用意、という配慮でしょうか。オーディオに黄色という発想も素晴らしく、スポーツウォークマンの黄色は本当にいい色で、日本用の黄色スポーツウォークマンはWMーF107まででしたが、輸出用はWMーF107以後も登場し、WMーF107登場の昭和61年1986年に輸出用の黄色スポーツウォッチマンFD-45A登場、ソニーの防水装置の黄色は太陽の赤色がもっと輝いた色で黄金色、この黄色に緑色や青色や宝石珊瑚色をちょっと付加したり防水性という新しいポータブル性を付加していることで黄色が輝いています。

 

 

まいどどうも。鳥は皇居湖で泳いでええんよ。アハハハ~。

 日本人に似ている外国人が日本名と日本語を使い国家侵略や企業侵略や技術横領を狙っている。日本人に似ていない外国人も日本人に似ている外国人を使って国家侵略や企業侵略や技術横領を狙っている。このようなことは全ての国が気を付けていますが、日本人は電池を発明し永久磁石を発明し電子レンジ(分割陽極マグネトロン)を発明しテレビを発明し液晶テレビを発明し、日本人は世界一の人種で日本は世界一の国だから世界一気を付けた方がいいのです。

 

 日本人の会社は世界で最も外国人の会社を買収していますが、日本人の会社は外国人の会社を買収の際に「外国人の会社の国の人に似ている人と外国人の会社の国の名前と外国人の会社の国の言語を使って買収しているのではない」ですし「外国人の会社は日本人の会社であることを理解して買収を承知している」のです。

 

    日本人の会社は世界で最も外国に進出していますが、日本人の会社は外国に進出の際に「進出先の国の人の名前と進出先の国の言語と進出先の国の人に似ている人を使って進出しているのではない」ですし「進出先の国の人は日本人の会社であることを承知している」のです。

 

    在日韓国人は自分の国へ帰りましょう。今まで日本にお世話になったことを感謝して帰りましょう。韓国政府は毎年少しずつ在日韓国人を引き取って下さい。統一教会や世界平和家庭連合や天地正教などの韓国人の組織も日本から撤退して下さい。在日韓国人が駄目なら在日中国人や在日モンゴル人も日本人に似ているから在日中国人や在日モンゴル人でやろうとも思わないで下さい。

 

    あの宗教団体と平和団体の日本人幹部は名前は日本名で顔も日本人に似ているが本物の日本人ではなく日本人に成り済ましている外国人ということについてはどうでしょう。

 

    日本で生まれた外国人も自分の意思で日本で生まれたのではないですが、外国人への援助は外国がやるのが第一です。外国人支援所は在日大使館です。

 

    日本人に似ている外国人が日本名と日本語を使い日本人に成り済まして日本で生活しても、とある日本人の組織は「この在日外国人はこの国の人でこの日に来日しここに住んでいる」「この在日外国人はこのような本名でこのような日本名を使っている」「この在日外国人はこのような資金で生活しこのような活動をしている」と管理していますし「この在日外国人は日本国と日本人へは従順か」と監視しています。このような体制は在日外国人が2人でも20万人でも日本に3日間いる外国人も日本で生まれて祖父と日本に何年も住んでいる外国人も同じです。帰化しても「この帰化人帰化前はこの国の人で帰化前はこのような名前でこの日に帰化しここに住んでいる」「この帰化人はこのような資金で生活しこのような活動をしている」と管理していますし「この帰化人は日本国と日本人へは従順か」と監視しています。このような「自分の国の人よりも他の国の人(来日者)を監視し自分の国を守る」という体制は日本だけではありません。また、このような体制は国家だけではなく会社においても「自分の会社の人よりも他の会社の人(来客者)を監視し自分の会社を守る」という体制は普通です。

 

    首相や国会議員や警察官などの公務員は信教の自由がなく、偏った思想を持つことができなく、たとえ偏った思想ではなくても、宗教団体や平和団体などの公務員以外の組織と関係を持つことができなく、公務員以外の組織に祝電を送ることもできません。奥さんもこのことは気を付けていて、子供にも宗教に関わらないように教育をし、お父さんと一緒に頑張っています。ただ、公務員ではない立場においては、ある程度の信教の自由はあります。しかし、国を守る職業の公務員は、帰宅後でも就寝時でもいつでも出動体制ですから、公務員ではない立場においても信教の自由は無いと考えていいでしょう。しかし、よく「日本の警察官は世界一優秀」と聞くように、日本の公務員は宗教のような指導を国から受けます。そして、善を守り善に導く警察官は宗教指導者のようなものです。

 

    侵略防止と捏造教育防止と偏向教育防止の為、外国人でも日本に帰化したら日本の公務員になることができることは禁止します。国会や学校は外国人支援所ではありません。外国人支援所は在日大使館です。どうしても学校の先生になりたい外国人は自分の国に住んで自分の国で学校の先生になって下さい。

 

    侵略防止と捏造報道防止と偏向報道防止の為、外国人でも日本に帰化したら日本人のテレビ局とラジオ局に就職できることを禁止します。テレビ局やラジオ局は在日外国人支援所ではありません。在日外国人支援所は在日大使館です。

 

    侵略防止と捏造報道防止と偏向報道防止の為、外国人でも日本に帰化したら日本人の新聞社で記事を書くことができることを禁止します。新聞社は在日外国人支援所ではありません。在日外国人支援所は在日大使館です。

 

    侵略の為の帰化も考えられることから、外国人でも日本に帰化したら日本名で起業と営業ができることは禁止します。

 

    侵略の為の帰化も考えられることから、外国人でも日本に帰化したら日本人の組織の責任者(首相や大臣や議員や知事や町内会長や社長や課長や署長や工場長や館長や院長や店長など)になることができることを禁止します。優秀で真面目で日本人に似ていて日本人の会社に何年も勤務した外国人も日本人の組織の責任者になることはできません。市長や社長になることが人間として最も価値のあることではありません。

 

    たとえ結婚相手が日本で生まれた人で日本人に似ている人で日本語を話す人で名前も日本名の人で両親もこのような人でも、必ず結婚前に結婚相手が日本人か帰化した日本人か外国人かを正式な書類で確かめましょう。口答だけで確かめるのは不十分です。

 

    たとえ誰かに「あなたの今までの罪をうちの組織の責任者に話すとあなたの罪が晴れます。責任者はあなたが話したあなたの罪を他の人には言いません」と言われても絶対に話してはいけません。たとえ誰かに「あなたの罪を紙に書いてうちの組織に提出したらあなたの罪は組織が責任を持つことになるからあなたの罪が晴れます。あなたが書いたものは誰も見ません」と言われても絶対に書いてはいけません。罪とは自分の行動や言動を相手が嫌かどうかで、自分の行動や言動を相手が嫌ではないなら罪ではありません。

 

    たとえ誰かに「あなたの罪や悩みの原因はあなたに悪霊がいるからです。うちの組織で奉仕活動したり(給料無しで働いたり)うちの組織にお金を払うとあなたから悪霊が出ます」と言われても絶対に働いてはいけませんし絶対にお金を払ってもいけません。給料無しで働いてくれたら雇い側は儲かります。お金での貢献は消費税だけで十分です。本当に正しい宗教者なら奉仕活動しない人でもお金を払わない人でも悪霊を出してあげますし病を治してあげます。イエスキリストは奉仕活動しないらい病人でもお金を払わないらい病人でも無償でらい病を治してあげました。なぜなら、幾どの場合、健康人も無償で健康を得ているからです。

 

    どうしたら給料無しでも働いてくれるか、宗教を利用してみてはどうか、共同の衣食住環境を与えてみてはどうか、どうしたら長く信者でいてくれるか、どうしたら長く信者からお金を取ることができるか、信者と信者で結婚させてはどうか、そうしたら子供も信者になりやすい、宗教だと抵抗があるが平和団体ならどうか、日本ではキリスト教だと抵抗があるが仏教ならどうか、などと考えることについてはどうでしょうか。

 

    日本人は宗教を利用してお金を稼ぐような低級民族ではありません。日本人は宗教法人組織であることを隠し自己啓発のサークルですと嘘を言い手相や名前の占いをし「今あなたは人生の転換期です」と嘘を言い「転換期にこの商品を買うと人生が良くなります」「転換期に自己啓発セミナー費用を払い自己啓発セミナーに参加すると人生が良くなります」と騙し商売を行うような恥ずかしい民族ではありません。

 

    日本人はアメリカ人に原爆を落とされてたくさんの日本人が犠牲になってもアメリカ人からたくさんお金を取るような悪い宗教をアメリカに作りませんでした。日本人はシベリア抑留でたくさんの日本人が犠牲になってもロシア人を騙す悪い宗教をロシアに作りませんでした。

 

    アメリカ人が日本に原爆を落としたくさんの日本人が犠牲になった歴史は永遠に残るのです。アメリカ人が日本に原爆を落としたくさんの日本人が犠牲になっても日本人はアメリカ人に仕返しをしなかった歴史も永遠に残るのです。韓国の宗教が日本で日本人に宗教法人組織であることを隠し自己啓発のサークルだと騙し人生の転換期だと騙し色々なものをしつこく2時間も3時間もかけて売り付けた歴史も永遠に残るのです。

 

    最近は本物の日本人から色々な情報を聞き出す為に私は日本人ですと言う在日外国人がいるということについてはどうでしょうか。たとえ日本人に似ていて日本語を話し名前も日本名で国籍を聞いても私は日本人ですと答えても正式な国籍証明書で国籍を確かめるまでは本物の日本人と信じないようにしましょう。

 

    人生の答えや愛情が周囲から得られなくても宗教団体や平和連合に入らないようにしましょう。世界を良くしたいと思っても宗教団体や平和連合に入らないようにしましょう。人生は常時不十分に感じて当たり前なのです。人生は常時出発だからです。愛は常時不十分に感じて当たり前なのです。愛は常時出発だからです。日本には自己啓発のサークルと言って勧誘したり名前や手相の占いから販売や勧誘をしている外国のキリスト教団体があり、この外国のキリスト教団体は平和連合もやっているので「自分は宗教は嫌いだから大丈夫」という人も注意しましょう。この人はこのような多額の寄付をしたという情報も信じてはいけません。大学のサークルにも入らないようにしましょう。料理教室にも入らないようにしましょう。あの教室の真の狙いは鍋のセットを買わせることです。最初は鍋の販売の話はしません。幼稚園や保育園にも入らないようにしましょう。あの組織に通っている人はみんな自分のお金で費用を出している本物のお客さんでしょうか。通っている人がたくさんいると思わせるための偽客はいないのでしょうか。子供は幼稚園に入るまではかわいいのです。幼稚園に入り卒園し小学校に入った時にはもう昔のかわいさと純粋さはどうでしょうか。子供が変わってしまうのは大きくなるからではないのです。宗教もそうです。みんな本物の信者でしょうか。信者がたくさんいると思わせるための偽信者や本当に献金した信者がいると思わせる為の偽信者はいないのでしょうか。宗教組織のようで実は経済組織であることはどうでしょうか。

 

    お寺の住職という正しい日本らしい役職なら本物の日本人がやっているでしょうか。お寺に用事のある時は必ず住職の国籍を戸籍謄本で確かめましょう。口頭だけで確かめるのは不十分です。国籍を公表できない人は住職をやる資格はありません。仕事は住職以外にもありますし、在日外国人なら自分の国で住職をやりましょう。

 

    外国人が日本のお寺の敷地に住んでお寺の住職やお寺の管理を何年もしても日本の全てのお寺は日本人のものです。外国人が日本の神社の管理を何年もしても日本の全ての神社は日本人のものです。外国人が日本の農地に住んで農業を何年もしても日本の全ての農地は日本人のものです。

 

    イエスキリストは世界一の迫害を受けて駄目な男になったでしょうか。日本は世界一の迫害を受けて戦後も統一教会から迫害を受けて駄目な国になったでしょうか。いいえ、イエスキリストは世界一の男になったのです。日本は世界一の国になったのです。世界で最も美しくて立派な建物はイエスキリストの為の建物教会です。世界の全ての人が祝うクリスマスはイエスキリストの誕生日です。世界の全ての人が使っている西暦はイエスキリスト暦です。世界の全てのコンピューターとテレビとオーディとビデオと電池と照明は日本人の発明品です。

 

おめでとうイエスキリスト。おめでとう日本人。ありがとう神様。

 

記録もできる光ディスク式装置も日本人男性の発明

 

    記録もできる光ディスク式装置の登場は記録装置の夜明け

    世界初記録もできる光ディスク式装置「谷勝馬ティアックLV-200A」昭和61年1986年登場。LV-200Aは録音だけではなく録画もできるため、LV-200Aは世界初記録もできる光ディスク式ビデオでもあります。LV-200AはLD式光ディスク式ビデオで、LD-CLV(直径30cmLD)の片面に最大30分録画でき、LD-CAV(直径20cmLD)では録画できませんが、LD-CAVの再生はできます。最初の写真は夜明けの写真です。

 

     日本の為に苦労と愛を捧げた日本人みんなのお父さん
     世界各国が勝つ為にやった戦争は罪になりません
     本間雅晴は無罪で十字架についたイエスキリストと一緒
     エスキリストは世界一の男で日本人の男も世界一の男
🇯🇵 日本人男性 本間雅晴 明治20年1887年11月27日誕生

 

    高画質ベータ式テープ式ビデオ「EDベータ式テープ式ビデオ」でも、高画質VHS式テープ式ビデオ「SーVHS式テープ式ビデオ」でも、高画質8ミリビデオ式テープ式ビデオ「Hi8式テープ式ビデオ」でも、EDベータ式やSーVHS式よりも高画質のDV式テープ式ビデオ「井深大盛田昭夫ソニーDHR-1000」などでも、PCMプロセッサ内蔵の高音質テープ式ビデオ「ソニーEVーS700」などでも、高音質テープ式オーディオ「DAT式テープ式オーディオ」でも、高画質高音質テープ「メタルテープ」でも、高級なレコード式オーディオでも、テープとレコードは「記録再生体(メモリ)という物体」と「記録をしたり記録を読み取るもの(テープはテープヘッドという物体でレコードはレコード針という物体)」が物体合体により記録をしたり記録を読み取る(再生を行う)ため、記録や再生を繰り返すと音質や画質が劣化、更に、テープとレコードは聴きたい箇所や視たい箇所を出すのに時間がかかる、記録や再生を繰り返さなくても音や映像が揺れる、メモリそのものが耐久性が低い、という問題点もあり、オーディオは何回も聴く為のものでもありビデオは何回も視聴の為のものでもありますが、オーディオテープとレコードには「何回も聴きたいけど何回も聴いたら音質が劣化してしまう」という心配が、ビデオテープには「何回も視聴したいけど何回も視聴したら画質と音質が劣化してしまう」という心配がいつもありました。このような問題点や心配を世界で初めて解決したのが光ディスクです。

 

     世界初 記録もできる光ディスク式装置 
     世界初 記録もできる光ディスク式ビデオ
     世界初 記録や再生を繰り返しても画質と音質が不変のビデオ
🇯🇵 ティアック LV-200A 昭和61年1986年登場 

 

    光ディスクは「記録再生体」と「記録をしたり記録を読み取るもの(レーザーという光という非物体)」が非物体合体により記録をしたり記録を読み取るため、記録や再生を繰り返しても音質や画質が無劣化、更に、光ディスクは聴きたい箇所や視たい箇所を出すのが速い、非物体合体だから記録や再生を繰り返しても音や映像が揺れない、メモリそのものが耐久性が高い、直径12cmの光ディスクは直径30cmや直径20cmであるレコードよりも小さく保管や運搬に便利、という利点もあります。今はこのような利点を持ったメモリはフラッシュメモリもあり、フラッシュメモリ発明は昭和61年以前ですが、昭和61年当時はフラッシュメモリの容量がとても小さく、今のようにフラッシュメモリをオーディオやビデオに応用できるようになったのはもっと後ですが、将来は光ディスクと同じ利点を持ち光ディスクよりも小さいメモリのフラッシュメモリのオーディオやビデオも登場ということは全く予想できないでいました。

 

     レーザー光線の父
     光ファイバーの父
     高輝度実用LEDの父
     PINダイオードの父
      静電誘導の父
🇯🇵 日本人男性 西澤潤一 大正15年1926年9月12日誕生

 

    CDは「カセットテープやレコードよりも音がいい」「カセットテープやレコードと違い釦を押した瞬間に他の曲に移動できる」「レコードよりも小さいからウォークマンにできる」ということで、世界初ポータブル光ディスク式装置で世界初CD式ポータブル光ディスク式オーディオ「井深大盛田昭夫ソニーD-50」昭和59年1984年登場。しかし、光ディスク式装置は1つだけ解決していない問題がありました。振動の問題です。記録再生装置においての振動の問題とは装置が振れると「音や映像が揺れる」「音や映像が飛ぶ」問題、光ディスク式装置の振動の問題は後者で、記録再生装置においての振動の問題の発生は幾ど「ポータブル装置を歩きながらなどの動きながら使用した時」ですが、レコード式装置とテープ式装置は装置が振れなくても音や映像が揺れるという問題があり、レコード式装置とテープ式装置が主流だった時代にレコード式装置とテープ式装置の仕様欄でワウフラッターという表示をよく見たと思いますが、このワウフラッターが装置の自然振動による音揺れの表示で、光ディスク式装置はレコード式装置やテープ式装置と違い非物体合体記録再生装置ですから装置の自然振動による音揺れはなくワウフラッター表示もありません。日本人は光ディスク式装置の音飛びの問題をICメモリ式装置で解決。ICメモリ式装置は物体合体記録再生装置ですが、ICメモリ式装置は世界唯一「動力部品不使用の記録再生装置」ですから、ICメモリ式装置は音揺れも音飛びもありません。光ディスク式装置の音飛び防止機能は「光ディスク式装置の音を内蔵のICメモリ式装置に少しずつ溜めて(記録して)ICメモリ式装置の音飛びしていない音を聴く機能」です。今はアルバム全曲を溜めることのできる容量のICメモリはありますが最初はなかったですし、軽く走ったとしても振動がとても速いわけではないということで、少しずつ溜めて防止。今はアルバム全曲を溜めることのできる容量のICメモリはあるなら少しずつ溜めるのではなく全部溜めたら全く音飛びしませんが、全部溜まるまで(全部録音まで)待たないとなりません。しかし、CD式ポータブル光ディスク式オーディオ(ポータブルCDプレーヤー)は最初から音飛び防止機能を搭載していたのではなく、ソニーD-50も非搭載だからでしょうか、ソニーD-50はウォークマンという名称ではありません。ソニーのポータブルCDプレーヤー第2号「D-50mk2」はCDウォークマンという名称ではなくディスクマンという名称の理由は、第2号においても音飛び防止機能を搭載してなく歩きながら聴くと音飛び発生ということからでしょう。後にポータブルCDプレーヤーは音飛び防止機能を搭載は当たり前になり、ソニーのポータブルCDプレーヤーはCDウォークマンという名称になりましたが、ディスクマンという名称も大人気でみんなポータブルCDプレーヤーのことをディスクマンと言っていてもディスクマンからCDウォークマンになった理由は、後にMD式ウォークマンも登場しMDもディスクたからでしょう。後にCDウォークマンもMDウォークマンも本体での表示は単にウォークマンになっていきます。

 

     光ディスクの父
🇯🇵 日本人男性 米沢成二 昭和14年1939年誕生

 

    見事、ICメモリ式装置で音飛びの問題を解決しましたが、この解決により「ICメモリの音は光ディスクの音よりも良くない」という問題が発生。最近のポータブルCD「田中久重東芝TY-P10」の説明書にも「EPS機能(音飛び防止機能)を使用しない方が高音質」と記載してあります。音飛び防止機能を使用の時は光ディスクの音ではなくICメモリの音です。両者の音はとても大きく異なるわけではありませんが、音飛び防止機能も機能を不使用にもできる機能で、ICメモリの音は光ディスクの音よりも良くないという素晴らしい発見は音飛び防止機能を使用にしたり不使用にした際に発見したと思いますが、日本人はこの問題も解決、ソニーG-PROTECTIONという音飛び防止機能はICメモリ式装置を利用しない音飛び防止機能です。ICメモリ式音飛び防止機能も非ICメモリ式(ソニーG-PROTECTION式)音飛び防止機能も軽く走ったとしても音飛びしません。しかし、ICメモリ式は少しずつしか溜めていないですし、ソニーG-PROTECTION式も軽く走ったとしても振動がとても速いわけではないということからできた方式ですから、装置をとても速く振ると音飛びします。今はソニーG-PROTECTIONのような非ICメモリ式音飛び防止機能を搭載の装置はないと思います。今はICはメモリでもあることやICメモリで音を記録再生は当たり前で、今のウォークマンは全てICメモリ式(フラッシュメモリ式)記録再生装置ですが、世界初ICメモリ式記録再生装置「山崎亀吉シチズンCRYSTRONーLCアラーム(世界初アラーム機能を搭載の液晶式時計/世界初アラーム機能を搭載の液晶式腕時計)」の登場は昭和51年1976年と長い長い人類史ではつい最近のことです。アラーム機能を搭載の腕時計は昭和51年以前からありましたが、以前のアラーム機能を搭載の腕時計は機械式時計で機械式時計のアラーム音は歯車と連携による機械音、液晶式時計(デジタル式時計/電子式時計)は歯車がないのでアラーム音をメモリで鳴らさないとならないということで音を記録再生できるICメモリが誕生。元々ICはテープよりも小形で小形だと小容量ですがアラーム音はピピッという短い音の繰り返しですしICならテープと違い巻戻しをしなくても瞬間で繰り返すことができます。しかし、ICは元々記録再生体ではないですし、トランジスタも元々ラジオやテレビに使用できるものではないですから、日本人はICを記録再生体にしたりトランジスタラジオを創造したことは素晴らしい業績で世界が驚いたことでしょう。ICメモリは長いこと「ROM(装置使用者も記録ができるが電源非通電にしたら記録は残らないICメモリ)」「RAM(電源非通電にしても記録は残るが装置使用者は記録ができないICメモリ)」だけで、人類は長いことROM + RAMのICメモリという理想のメモリを創造できませんでしたが、ついに、東芝の技術者の日本人男性の舛岡富士雄がROM + RAMのICメモリ「フラッシュメモリ」を昭和55年1980年に発明。フラッシュメモリは夢のICメモリですが、フラッシュメモリも最初はとても小容量だったため、最初は音よりも小容量の写真を記録のメモリとして登場、世界初フラッシュメモリ式装置「昭和63年1988年登場富士フイルムFUJIXーDSー1P」はカメラ、DSー1Pは世界初カード式カメラでもあり、写真は音よりも小容量と言いましてもDSー1Pは1枚のカードSRAM(カードフラッシュメモリ)に写真を10枚しか記録できなく、フラッシュメモリの研究を進めてフラッシュメモリを音の記録としても利用できるようになったのは1990年以後、しかし、ICメモリ式音飛び防止機能を搭載のポータブルCDプレーヤーは1990年以前からあった、その理由は、最初のICメモリ式音飛び防止機能のICメモリはRAM、RAMは記録はできても電源非通電にしたら記録が揮発(記録が残らない)というメモリですが、音飛び防止機能は記録を残す機能ではないのでRAMでも大丈夫というわけです。

 

     世界初カーナビゲーション用GPS受信器
     当時世界最小GPS受信器
🇯🇵 日本無線 JLR-963 平成2年1990年3月登場

 

    スマートフォンで映像や音楽を視聴も、インターネットで映像や音楽を視聴も、フラッシュメモリ式装置で視聴なのです。レーザーピックアップやモーターなどの動く部品がないのに映像や音の記録や再生ができる装置は全てフラッシュメモリ式装置なのです。他にありません。インターネットはテレビやラジオと違い受信したものは全て一旦フラッシュメモリに記録しているのです。だから、検索し受信した映像が残るのです。テレビとコンピューターはメモリではなく、メモリ(ビデオ)がないと映像を残すことができません。今のビデオカメラも、今のCD式以外のポータブルオーディオも、フラッシュメモリ式です。本体や説明書にフラッシュメモリレコーダーなどの記載がなくても動く部品がないのに記録や再生ができる装置は全てフラッシュメモリ式です。SDカードはカード形のフラッシュメモリです。電子メールの文字を入力も、スマートフォンに電話番号を入力も、フラッシュメモリに入力なのです。スマートフォンの電話帳を見ることも、フラッシュメモリの記録の再生を見ることなのです。今のコンピューターのメモリのフラッシュメモリは小容積大容量ですから、今はコンピューターとメモリが一体は当たり前で一体でも小さくコンピューター=メモリでもありますが、コンピューターが普及し出した1980年代のコンピューターのメモリはカセットテープとフロッピーディスクだけで、カセットテープとフロッピーディスクフラッシュメモリよりも大容積ですから、昔はコンピューターとメモリが一体は当たり前ではなく一体だと大きくコンピューター=メモリではありませんでした。フロッピーディスクの時代はフロッピーディスク式オーディオもあり、フロッピーディスク式オーディオは「山葉寅楠ヤマハDRC-20」などです。光ディスクもメモリですから光ディスクもコンピューターに応用、世界初のコンピューターに応用の光ディスクはCD-ROM、世界初CD-ROM式装置「ヘラルドフィリップスCM100」昭和60年1985年登場。ROMは使用者は記録ができないメモリですから、CM100は世界初記録もできる光ディスク装置ではありません。

 

     世界初 記録もできる12cm光ディスク式ビデオ
     世界初 MVDISC式光ディスク式ビデオ
🇯🇵 日本電気 MVー10000 平成11年1999年9月登場

    CDは「カセットテープよりも読み取りが速い」「カセットテープやフロッピーディスクと違い記録が劣化しない」「フロッピーディスクよりも容量が多い」ですから、CDならカーナビゲーションに応用できる、CDなら日本地図の全てを1枚のCDに収録できる、1枚のCDに収録できたら1度CDを装着したら交換しなくても日本全国の地図を見ることができる、世界初の車載用CD式光ディスク式オーディオ「古河市兵衛富士通テンCD-1100」昭和58年登場、ということで、日本人はCD-ROM式カーナビゲーションを創造、世界初のCD-ROM式カーナビゲーションで世界初の1度装着したら交換しなくても日本全国の地図を見ることができるカーナビゲーション豊田佐吉クラウンCDインフォメーション」昭和62年登場。ラジオは音を受信だからテープもディスクも何も装着しなくても音を聞くことができる、カーナビゲーションも地図を受信したら何も装着しなくても地図を見ることができる、ということで、日本人は受信式カーナビゲーションのGPS式カーナビゲーションも発明、世界初のGPS式カーナビゲーションで世界初のCDも何も装着しなくても日本全国の地図を見ることのできるカーナビゲーション「松田重次郎ユーノスコスモCCS(カーコミニケーションシステム)」平成2年1990年4月登場。世界初のGPS式カーナビゲーションのGPS受信機は平成2年1990年3月登場「木村駿吉日本無線JLR-963」で、JLR-963は世界初のカーナビゲーション用GPS受信器で当時世界最小GPS受信器です。この後、日本人はポータブルナビゲーションも創造、世界初のポータブルナビゲーションで世界初の歩きながら電子地図を見ることのできる装置で世界初のGPS式ポータブルナビゲーション「井深大盛田昭夫ソニーD-901NV」平成7年1995年8月登場。ポータブルだと自動車以外でもどこでも使用できるため、ポータブルカーナビゲーションではなくポータブルナビゲーションです。D-901NVはGPS受信機非内蔵ですが、日本人はGPS受信機内蔵ポータブルナビゲーションも創造、世界初のGPS受信機内蔵ポータブルナビゲーション「井植歳男サンヨーNV-P1ゴリラ」平成7年1995年11月登場。D-901NVは世界初のポータブル12cmCD-ROM式装置でもあり世界初のCD-ROM式ポータブルナビゲーションでもあり世界初のディスプレイを搭載の12cmCD-ROM式装置でもあり、CD-ROM式装置はCDも再生できるため、D-901NVはディスクマンでもあり、D-901NVは世界初の地図も見ることのできるポータブルオーディオでもあります。日本人はCDという小さくて薄いものに日本全国の地図を収録。日本人は日本全国の地図を見ることもできるポータブルオーディオも創造。奇跡。この後、日本人はCDよりも大容量のDVDを、DVDよりも大容量のBDを創造。奇跡の奇跡。

 

     世界2番目 記録もできる12cm光ディスク式ビデオ
     世界初 記録もできるDVD式光ディスク式ビデオ
🇯🇵 パイオニアDVR-1000平成11年1999年11月登場

 

    世界初のポータブルCD-ROM式装置「ソニーDD-1」平成2年1990年登場、DD-1は世界初のポータブル8cmCD-ROM式装置でもあり世界初のディスプレイを搭載のCD-ROM式装置でもあり世界初の電子書籍でもあります。DD-1はカートリッジに入った8cmCD-ROMを使用しますが、8cmCDシングル(カートリッジに入っていない8cmCD)も再生できるため、DD-1もディスクマンでもあります。世界初の記録もできる光ディスク式装置ティアックLV-200A登場後は「CD-R(CDレコーダー)」「CD-RW(RW=ROM+RAM=使用者も記録もでき電源が入っていない状態にしても記録が残るCDメモリ)」も登場しましたが、光ディスクよりも小さく光ディスクと違い振動の問題がないフラッシュメモリ登場により、今のメモリは幾どフラッシュメモリです。フラッシュメモリ発明者は昭和18年1943年5月8日誕生の日本人の舛岡富士雄です。舛岡富士雄はフラッシュメモリ発明当時は東芝の社員だったため、フラッシュメモリ東芝の発明でもあります。東芝は1799年10月16日誕生の日本人の田中久重が1875年に創業の日本人の会社です。東芝はメモリの製造と販売においての社名を2017年にキオクシアにしましたが、メモリの開発は今も東芝でやっていると思います。キオクシアは社名と言うよりも商品名でしょう。

 

     ティアック/タスカム/エソテリックの父
🇯🇵 日本人男性 谷勝馬 大正8年1919年5月24日誕生


    光ディスク発明者の日本人の米沢成二は光ディスク発明当時は日本人の会社の小平浪平日立の技術者で、日立は1970年代に光ディスクの技術をオランダ人の会社やアメリカ人の会社などに提供、世界初の光ディスク式装置は日本人の会社から登場したのではなくオランダ人の会社とアメリカ人の会社から登場しました。日本初の光ディスク式装置は昭和56年1981年登場の日本初の光ディスク式ビデオで日本初のLD式光ディスク式ビデオ「松本望パイオニアLDー1000」です。世界初の光ディスク式装置と日本初の光ディスク式装置はビデオ、光ディスク式装置の歴史はオーディオではなくビデオで出発。光ディスクは日本人の発明なのに世界初の光ディスク式装置は外国人の会社から登場した理由は「日本への嫉妬防止の為とこのことにより一層の世界普及(世界進出)の為」だったと思います。大発明だとしても、便利な装置だとしても、嫉妬を受けたらどうでしょうか。しかし、ここからが面白いのです。ここからが素晴らしいのです。世界初の光ディスク式装置は外国人の会社から登場で一歩下がって譲った日本人でしたが「世界初の直径12cm光ディスクとその装置」「世界初の片面記録光ディスクとその装置」「世界初の記録もできる光ディスク式装置」は日本人の会社から登場、日本人は今日の完成した光ディスクの世界を、今日の完成した記録再生の世界を創造。この歴史は誰も語っていませんが、素晴らしい歴史で奇跡の歴史です。初期の光ディスク式装置は「使用ディスクはほとんど直径30cmだから保管や運搬が大変で携帯性のあるポータブル装置にできない」「両面記録ディスクだから全ての記録を視聴にはディスクを出して裏返さないとならない」「記録ができない再生専用の装置」でした。しかし、CD登場まで「レコードもカセットテープのように小さかったら保管や運搬が便利だし携帯性のあるポータブル装置にできる」「片面記録にしたら裏返さなくても全ての記録を視聴できる」という発想をしたことがなかったですし聞いたこともありませんでした。世界初の直径12cm光ディスク式装置で世界初の片面記録光ディスク式装置で世界初の光ディスク式オーディオで世界初のCD式光ディスク式オーディオで当時世界最小の光ディスクの直径12cm光ディスクを使用の装置「小平浪平日立DADー1000」「坪田耕一デンオンDCDー2000」「井深大盛田昭夫ソニーCDPー101」昭和57年1982年登場。光ディスク式装置の歴史はビデオで出発、直径12cm片面記録光ディスク式装置の歴史はオーディオで出発、記録もできる光ディスク式装置の歴史はビデオで出発しました。

 

 

    オーディオが直径12cmならビデオも12cmにしたい、ということで、日本人は12cm光ディスク式ビデオも発明、世界初の12cm光ディスク式ビデオで世界初のDVD式光ディスク式ビデオ「田中久重東芝SDー3000(再生専用装置)」平成8年1996年登場。初期の12cm光ディスク式ビデオは記録ができない再生専用装置でしたが、日本人は記録もできる12cm光ディスク式ビデオも発明、世界初の記録もできる12cm光ディスク式ビデオで世界初のMVDISC式光ディスク式ビデオ「岩垂邦彦日本電気MVー10000」平成11年1999年9月登場。世界2番目の記録もできる12cm光ディスク式ビデオで世界初の記録もできるDVD式光ディスク式ビデオ「松本望パイオニアDVRー1000」平成11年1999年11月登場。MVDISCとDVDは非互換、MVDISC式装置は世界でMVー10000だけです。メモリをもっと小さくしたら装置ももっと小さくできる、ということは8ミリビデオの時にもありましたが、日本人は直径64cm光ディスク式装置も発明、世界初の64cm光ディスク式装置で世界初のMD式光ディスク式オーディオ「井深大盛田昭夫ソニーMZー1」平成4年1992年創造。MZー1は世界初のMD式ポータブル光ディスク式装置でもあり当時世界最小の記録もできる光ディスク式装置でもあります。MZー1はCD式ポータブル光ディスク式オーディオのような大きさでしたが、後に、日本人は、MD式もどんどん小形化していき、MDはカセットテープよりも小形ですから、装置もポータブルカセットテープ式オーディオよりも小形になりました。世界最小のMD式ポータブル光ディスク式オーディオで世界最小の記録もできる光ディスク式装置「ソニーMZ-N10」はMD10周年の平成14年2002年登場。

 

 

    光ディスクは特性も見た目も天国なのです。光ディスクの利点は無劣化や瞬間操作性や高携帯性だけでしょうか。光ディスクはレーザーという光で記録したり記録を読み取るようにしたことで人類最高の音と人類最高の画質を出すことができたのです。光ディスクは音質や画質がいいのはデジタルだからだけではないのです。世界初のデジタル録音装置「坪田耕一デンオンDN-023R」の登場は世界初の光ディスク式装置の登場前の昭和47年です。LD式光ディスク式ビデオはPCMプロセッサ内蔵で音はデジタルの機種でも画質はデジタルではありませんでしたが、ビデオの画質であることが信じられない素晴らしい画質にみんな驚きました。光ディスクは光を応用しようと思ったのは高音質化の為や高画質化の為よりも無劣化の為だったと思いますが、結果として高音質と高画質も得たことは発明者や開発者も驚いたと思います。高級なテープ式オーディオでも、デジタル式テープ式オーディオ「DAT式テープ式オーディオ」でも、高級なレコード式オーディオでも、高級なフラッシュメモリ式オーディオ「ソニーDMP-Z1」などでも、ラジオ式オーディオでも、光ディスク式装置の「本来の音の空気感」「本来の音の透明感」「本来の音の立体感(奥行感)」「本来の音の艶」を出すことができないのです、ある程度の音の空気感などは出すことができても。ラジオやインターネットでも光ディスク式装置の音を聴くことができますが「ラジオやインターネットで聴く光ディスク式装置の音」と「光ディスク式装置で聴く光ディスク式装置の音」は同じではないのです。光ディスク式装置の音とフラッシュメモリ式装置の音の違いはとても大きいわけではないので、フラッシュメモリ式装置でも十分ですが、インターネットでいい音だなと聴いていても、光ディスク式装置で聴いてみたらもっといい音だった確率は僕の経験では100%です。ビデオもオーディオでもあり、ビデオにおいても音はとても大事です。

 

     日本無線JRCの父
🇯🇵 日本人男性 木村駿吉 1866年11月12日誕生

 

    ついに人類は創造した。記録もできる光ディスク式装置を。ついに人類は到着した。記録もできる光ディスク式装置に。ついに人類は得た。何回記録しても何回再生しても音質や画質が劣化しない光ディスクというメモリを。ついに人類は得た。何回記録しても何回再生してもメモリそのものも劣化しない光ディスクというメモリを。ついた人類は得た。光ディスクの音という人類最高の音を。おめでとう人類。本当におめでとう。しかし、その人類最高の音は本来の音だった。本来に戻った音だった。

 

 

    日本に住んでいる1億2千万人の日本人は一致団結し日本人の組織の社長や工場長や館長などが日本人に似ている外国人になりわからないうちに外国人に侵略されないように常に監視しましょう。日本人は当分は国際結婚しないようにしましょう。結婚の際は必ず結婚相手の国籍を本物の日本人か外国人か帰化した外国人かを戸籍謄本で確かめましょう。口答だけで確かめるのは不十分です。

 

    「日本で生まれた外国人も好きで日本で生まれたのではないから支援してあげたい」と思うのは当然ですし間違いではありませんが、外国人の支援は外国に任せるのが第一です。

 

    日本人の皆様、今は非常事態なのです。日本人が照明もコンピューターもディスプレイもみんな日本人のものにし、5年後には世界初の時速500キロの電車の開通を予定しているため、日本の発展と技術に嫉妬しているあの日本人に似ている外国人は必死に日本人の邪魔をしようと考えています。日本人は早いうちに「日本人に似ている外国人が侵入しない食料品店」を日本各地に作らないとならないのです。日本人は早いうちに「日本人に似ている外国人が侵入しない政府」を作らないとならないのです。しかし、このような時だからこそ、日本民族が一致団結できる時であり、悪い外国人や悪い宗教団体や悪い平和連合を排除できる時です。

 

    「世界を1つにしよう」という内容は素晴らしいですが、本当の狙いは侵略や商売の場合もあるのです。日本に東京や名古屋があるように、世界にインドやオーストリアがあっていいのです。NECやパイオニアがあるように、イスラム教やヒンドゥー教があっていいのです。東京や名古屋などの46都道府県があっても日本は1つです。神様を信じなくてもいいのです。寄付金は消費税だけで十分です。どうしても寄付により役に立ちたいなら団体などの組織に寄付ではなく本当に明らかに困っている個人に寄付しましょう。この人は多額の献金をしたという情報は信じてはいけません。たとえ本当だとしてもその多額の献金はどういうお金なのでしょうか。

 

    日本人の皆様、相手が子供と一緒の主婦だとしても注意して下さい。人が集まる所やすれ違う時はたとえ相手が子供と一緒の主婦だとしても必ずある程度離れて下さい。野球大会などでの混んだ客席では窃盗詐欺にも注意して下さい。たとえ相手が子供と一緒の主婦だとしても注意して下さい。窃盗詐欺とは例えば「わざとバックの口をあけて置いたりわざと子供を連れて安心させ窃盗しやすい状況を工作」で、窃盗詐欺の目的は「窃盗させ逮捕させ不幸にさせること」です。

 

    在日韓国人は自分の国へ帰りましょう。今まで日本にお世話になったことを感謝して帰りましょう。韓国政府は毎年少しずつ在日韓国人を引き取って下さい。統一教会や世界平和家庭連合や天地正教などの韓国人の組織も日本から撤退して下さい。在日韓国人が駄目なら在日中国人や在日モンゴル人も日本人に似ているから在日中国人や在日モンゴル人でやろうとも思わないで下さい。在日韓国人は日本で薬剤師をやらないで下さい。

 

    小さい組織を手伝う際や小さい組織に所属の際は故障詐欺にも注意して下さい。たとえこのパソコンを自由に使ってもいいですと言われても使わないようにしましょう。

 

DVDも日本人の発明

 

 

 

 

 

 

 

 

    今年、令和4年2022年。令和4年は和暦。2022年は西暦。西暦はイエスキリスト暦。イエスキリストが生まれてから2022年。西暦は世界の全ての人が使っている。イエスキリストは西暦をどうやって勝ち取ったのか。イエスキリストは西暦という大いなる神の恵みをどうやって神から得たのか。イエスキリストは西暦を武力で勝ち取っただろうか。イエスキリストは西暦を武力で得ただろうか。今、世界のビデオとオーディオとコンピューターは日本人が発明した光ディスクとフラッシュメモリと垂直式ハードディスク。光ディスクとフラッシュメモリと垂直式ハードディスクは世界の幾どの人が使っている。日本人は光ディスクとフラッシュメモリと垂直式ハードディスクをどうやって勝ち取ったのか。日本人は光ディスクとフラッシュメモリと垂直式ハードディスクという大いなる神の愛をどうやって神から得たのか。日本人は光ディスクとフラッシュメモリと垂直式ハードディスクを武力で勝ち取っただろうか。日本人は光ディスクとフラッシュメモリと垂直式ハードディスクを武力で得ただろうか。

 

    ベータの8ミリビデオ化の次はLDのDVD化

    光ディスクは昭和14年1939年誕生の日本人の米沢成二が小平浪平日立の技術者だった時に発明しました。光ディスクに必須のレーザーは大正15年1926年誕生の日本人の西澤潤一が発明しました。今回も米沢成二と西澤潤一の写真を掲載しましたが、米沢成二と西澤潤一は大発明家の顔をしていますし、米沢成二と西澤潤は世界に通じる顔をしています。しかし、世界初の光ディスク式装置は日本人の会社の装置ではなく、今も光ディスク発明者と検索しても米沢成二と出て来ないですが、日立は光ディスクの特許を日本だけではなくオランダやアメリカなどでも収得、世界初の光ディスク式装置はオーディオではなくビデオ、ビデオは映像だけではなく音もあるためビデオもオーディオと言えないこともないですが、日本初の光ディスク式装置は昭和56年1981年登場「松本望パイオニアLDー1000(LD式光ディスク式ビデオ)」です。LD(レーザーディスク)などの初期の光ディスクは「直径が30cmもあり運搬や保管が大変」「両面記録のディスクが幾どで両面記録のディスクは裏返さないとならない」というものでしたが、世界初の直径12cm片面記録の光ディスク式装置で世界初の光ディスク式オーディオで世界初のCD式光ディスク式オーディオは日本人の会社の装置「小平浪平日立DADー1000」「坪田耕一デンオンDCDー2000」「井深大盛田昭夫ソニーCDPー101」で、この3機種は昭和57年1982年10月1日登場。

 

 

    光ディスクはLDで普及ではなくCDで普及、光ディスクはビデオで普及ではなくオーディオで普及、オーディオが直径12cm片面記録ならビデオも直径12cm片面記録に、ということで登場したのがDVD、世界初のDVD式光ディスク式ビデオで世界初の直径12cm片面記録の光ディスク式ビデオも日本人の会社の装置「田中久重東芝SDー3000」「松下幸之助パナソニックDVD-A300」「松下幸之助パナソニックDVD-A100」「松下幸之助パナソニックTH-28GD1」で、この4機種は平成8年1996年11月1日登場、TH-28GD1はDVD式光ディスク式ビデオを搭載のブラウン管式テレビ、DVD-A300の写真は日本父祖発明意匠では「2022年9月8日DVDも日本人の発明祖の2」で掲載。ビデオは音だけではなく映像もありますし、世界初のDVD式光ディスク式ビデオ登場前に両面にレーザーピックアップが移動の裏返さなくてもいいオートリバースのLD式光ディスク式ビデオが登場していたこともあり、光ディスク式ビデオの直径12cm化と片面記録化は想像していませんでした。世界初のオートリバースの光ディスク式ビデオも日本人の会社の装置「井植歳男三洋電機SLV-J1」で、三洋電機SLV-J1は昭和63年1988年8月登場。

 

 

    「直径30cmの直径12cm化」「両面記録の片面記録化」という小容積化は小容量化と低音質化と低画質化になったら進化ではないので、ピットの大きさを小さくしピットの量を増やし従来よりも小さいピットに記録でき従来よりも小さいビットを読み取ることのできる新しいレーザーを発明により、DVDはLDよりも小容積ですが容量は同じで音質と画質も同じどころかLDよりも良く、日本人はDVD創造の1年前の平成7年1995年に世界初の家庭用の音と映像の両方がデジタルのビデオで世界初の家庭用デジタルビデオで当時世界最小のデジタルビデオ井深大盛田昭夫ソニーDCRーVX1000(miniDV式テープ式ビデオカメラ)」創造により、DVDはDigitalVideoDiscの頭文字のように、DVDも音と映像の両方がデジタル、LDは音と映像の両方がアナログ、しかし、ソニーEV-S600(8ミリビデオ式テープ式ビデオ)やソニーLDP-730(LD式光ディスク式ビデオ)などの「装置にDIGITALという記載のあるPCMプロセッサ(音質デジタル化装置)を搭載のテープ式ビデオとLD式光ディスク式ビデオ」は音質がデジタルです。ソニーDCRーVX1000登場の2年後の平成9年1997年に世界初の家庭用のデッキ(非ポータブル装置)のデジタルビデオ井深大盛田昭夫ソニーDHRー1000(DV式テープ式ビデオ)」登場。更に、日本人はDVDよりも大容量のブルーレイも発明、世界初のブルーレイ式光ディスク式ビデオも日本人の会社の装置「井深大盛田昭夫ソニーBDZーS77」で、ソニーBDZーS77は平成15年2003年登場。ブルーレイ式光ディスク式ビデオはDVDも再生できますし値段の低下もあり、今はDVDの装置はありませんが、DVDのディスクは今もあります。今はインターネットでもビデオを視聴できますが、インターネットの音と映像はフラッシュメモリの音と映像で、フラッシュメモリの音と映像よりも光ディスクの音と映像の方が良く、光ディスクメモリ以外のフラッシュメモリやテープメモリは平面な感じの音と映像しか再現できませんが、光ディスクメモリは「立体感(奥行感)」「空気感」「透明感」「躍動感」「艶」のある本来の音と映像を再現できる世界唯一のメモリです。

 

 

    日本人はなぜ製品小形化が得意なのでしょうか。比較したなら国土が広いとは言えない日本。大きい体格とは言えない日本人。しかし、そうでも一生懸命な日本人に神様は「小形化技術」「世界最小化技術」という世界のどこの国の人も真似できないものを、お金がたくさんあってもできないものを、頭が良くてもできないものを与えました。直径12cm片面記録の光ディスクを研究したのは日本人だけではなかったでしょう。しかし「レーザーという直線の光なら記録や再生ができそうだしレーザーという光という非物体で記録や再生ができたら記録や再生を繰り返しても画質や音質が劣化しない」「光で再生の方式は記録を読み取る部分(レーザーピックアップ)とディスクが離れているから他の記録箇所(他の曲)に移動の際は水平移動だけでいいから移動が(他の曲を出すのが)速いしディスクの直径を小さくしたら移動の距離も短くなるからもっと速くなる」ということを思い付いた人はいたでしょうか。「再生をしたら(使ったら)劣化していくのは当たり前」「移動は瞬間にできるものではない」としか思っていなかったのではないでしょうか。世界初の光ディスク式装置と世界初のCD式光ディスク式オーディオと初期のDVD式光ディスク式ビデオは再生専用でしたが、日本人は録音できる光ディスク式オーディオと録画できる光ディスク式ビデオも発明、世界初の録音できる光ディスク式オーディオ「井深大盛田昭夫ソニーMZ-1」平成4年1992年登場、世界初の録画できる光ディスク式ビデオ「岩垂邦彦日本電気MV-10000(MVDISC式光ディスク式ビデオ)」平成11年1999年9月登場、世界初の録画できるDVD式光ディスク式ビデオ「松本望パイオニアDVRー1000」平成11年1999年11月登場。ブルーレイ式光ディスク式ビデオは世界初の機種ソニーBDZーS77から録画もできる装置として登場。

 

 

 

わいもひとつよろしゅう。いつも皇居湖におるさかい。

 

    日本人に似ていて日本名と日本語を使う外国人が国家侵略や企業侵略や技術横領を狙っている。日本人に似ていない外国人も日本人に似ている外国人を使って国家侵略や企業侵略や技術横領を狙っている。このようなことは全ての国が気を付けていますが、日本人は電池を発明し永久磁石を発明し電子レンジ(分割陽極マグネトロン)を発明しテレビ(ディスプレイ動画)を発明し液晶テレビを発明し、日本人は世界一の人種で日本は世界一の国だから世界一気を付けた方がいいのです。

 

    日本人の会社は世界で最も外国に進出していますが、日本人の会社は外国に進出の際に「進出先の国の人の名前と進出先の国の言語と進出先の国の人に似ている人を使って進出しているのではない」ですし「進出先の国の人は日本人の会社であることを承知している」のです。

 

 進出後も「日本人に似ていて日本名と日本語を使う外国人によるわからない侵略」を防ぎましょう。1945年にたくさんの日本人がたくさん苦労しても日本人は仕返しをしないで戦争を終わらせたことで日本人が受けている神様からの恵みはとても大きいのです。1945年にたくさんの日本人が犠牲になっても日本人は仕返しをしないで戦争を終わらせたことで日本人が受けている神様からの恵みを大事にしましょう。

 

    日本人の皆様、日本人は世界一素晴らしい人種なのです。顔も心も頭脳も芸術性も日本人は世界一なのです。

 

    人事や採用の際は必ず国籍を帰化人かどうかわかる証明書で確かめましょう。履歴書だけでは不十分です。日本人の組織の大事な会議や大事な部署や役職に外国人を入れてはいけません。特に人事部に日本人に似ていて日本名と日本語を使う外国人を入れてはいけません。不採用の理由は伝えなくていいことになっています。侵略の為の帰化も考えられることから帰化した外国人も日本人の組織の大事な会議や大事な部署や役職や人事部に入れてはいけません。

 

 人生の答えや愛情が周囲から得られなくても宗教団体や平和連合に入らないようにしましょう。世界を良くしたいと思っても宗教団体や平和連合に入らないようにしましょう。人生は常時不十分に感じて当たり前なのです。人生は常時出発だからです。愛は常時不十分に感じて当たり前なのです。愛は常時出発だからです。日本には自己啓発のサークルと言って勧誘したり名前や手相の占いから販売や勧誘をしている外国のキリスト教団体があり、この外国のキリスト教団体は平和連合もやっているので「自分は宗教は嫌いだから大丈夫」という人も注意しましょう。この人はこのような多額の寄付をしたという情報も信じてはいけません。大学のサークルにも入らないようにしましょう。料理教室にも入らないようにしましょう。あの教室の真の狙いは鍋のセットを買わせることです。最初は鍋の販売の話はしません。幼稚園や保育園にも入らないようにしましょう。あの組織に通っている人はみんな自分のお金で費用を出している本物のお客さんでしょうか。通っている人がたくさんいると思わせるための偽客はいないのでしょうか。子供は幼稚園に入るまではかわいいのです。幼稚園に入り卒園し小学校に入った時にはもう昔のかわいさと純粋さはどうでしょうか。子供が変わってしまうのは大きくなるからではないのです。宗教もそうです。みんな本物の信者でしょうか。信者がたくさんいると思わせるための偽信者や本当に献金した信者がいると思わせる為の偽信者はいないのでしょうか。宗教組織のようで実は経済組織であることはどうでしょうか。お寺の住職という正しい日本らしい役職なら本物の日本人がやっているでしょうか。お寺に用事のある時は住職の国籍をパスポートや戸籍謄本で確かめましょう。

 

    神様はお寺や教会にしかいないわけではないのです。神様はどこにでもいるのです。先祖はお墓や仏壇にしかいないわけではないのです。先祖はどこにでもいるのです。先祖は住職にお経を上げてもらうと喜ぶでしょうか。先祖が最も喜ぶことは先祖の血縁者によるお金や職業とは全く関係のない心からの祈りや行動なのです。神様や先祖などの霊はお金や職業とは全く関係ないのです。

 

    外国人が日本のお寺や神社の敷地に住んで何十年も日本のお寺や神社の管理をしても日本のお寺や神社は日本人のものです。外国人が日本の農家に住んで何十年も日本で農業をしても日本の農家と農地は日本人のものです。

 

    日本語の文章を読んでいて、その文章を書いた人の名前も日本名だとしても、日本人の会社の製品よりも外国人の会社の製品について多く書いていたり良く書いている場合「この人は本当に日本人だろうか」「外国人の会社の製品が売れるようにしているのでは」ということを考えてみましょう。

 

    日本人の皆様、今は非常事態なのです。日本を守らないとならないのです。日本人は近いうちに「日本人に似ている外国人が侵入しない店」を日本に作らないとならないのです。結婚の際も国籍を帰化人かどうかわかる証明書で確かめましょう。当分は国際結婚をしないようにしましょう。投票の際も立候補者の国籍を帰化人かどうかわかる証明書で確かめましょう。全国民に本物の日本人かどうかを提示できない立候補者は立候補の資格がなく選挙活動の資格もありません。国会や市議会は国際交流の会ではありません。日本の市議会は日本の市についての会ですから外国人は関係ありません。学校の担任の先生と校長先生の国籍も帰化人かどうかわかる証明書で確かめましょう。口答だけで確かめるのは不十分です。外国人は公務員になることができません。生徒や生徒の家族に本物の日本人かどうかを提示できない教師は教師の資格がありません。侵略の為の帰化も考えられることから当分は「外国人でも日本に帰化したら日本の公務員になることができることは禁止」しましょう。どうしても公務員をやりたい在日外国人は自分の国に住んで自分の国で公務員をやればいいのです。

 

    外国人の支援は外国に任せるのが第一です。

 

    総合電気店には富士通東芝やNECなどの日本人のコンピューター会社の専用の売場はないのに外国人のコンピューター会社の専用の売場はあっても完全に無視して下さい。街には富士通東芝やNECなどの日本人のコンピューター会社の専用の路面店はないのに外国人のコンピューター会社の専用の路面店はあっても完全に無視して下さい。大丈夫です。コンピューターも全てメモリもディスプレイも電池もプロセッサもノートパソコンも全部日本人の発明で特許料が発生しているのです。あのコンピュー会社の専用の売場や路面店はいつもお客さんがいても完全に無視して下さい。大丈夫です。あの店にいくらお客さんがいてもあの店の製品もみんな日本人の技術で日本人のものです。あの店にいくらお客さんがいてもあの店のお客さんはほとんど本物のお客さんではありません。あの店の偽客はみんな本物の日本人ではありません。実はあのコンピュー会社も日本人が運営しているのです。あのコンピュー会社も日本人のものなのです。頭を使って嫉妬防止と世界進出の為にやっているのです。

 

    日本で生まれた在日外国人は日本に住むことよりも自分の国に住むことを考えましょう。日本で生まれた在日外国人は日本で何ができるかを考えるよりも自分の国で何ができるかを考えましょう。

 

天と地を行き交う切符

    世界一の駅、東京駅。東京駅の駅舎は平成24年に大改修を完了、改修したと言うよりも「大正3年竣工当時の建物が戻った」ような素晴らしい美しい完璧な仕上げ、不思議な雰囲気、東京駅は駅舎のある丸の内口に世界最大駅前広場も平成29年に完成、この広場は「日本間」のように装飾が少なく、装飾が少ないから広場を感じるよりも「地球そのもの」を感じ、装飾が少ないから更に駅舎が目立っています。東京駅は八重洲口も大改修を行い、八重洲口は丸の内口とは全く違い新しい雰囲気、世界最大布庇と庇を支えている柱はとても長くて高くてだんだん細くなっていて銀色で楕円形で斜めで新しい意匠ですが、庇の布は「テントの天幕」「幕屋」「帆」のようで懐かしいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

精悍 青函 生還 ブルーレイも日本人男性の発明

    光ディスクの創造は心配のない世界の創造

    全世界にてご活躍の日本人の皆様、本日、令和4年、2022年、7月14日、おはようございます。77年前、昭和20年、1945年、7月14日、青函連絡船11隻「翔鳳丸」「津軽丸」「松前丸」「飛鸞丸」「第二青函丸」「第三青函丸」「第四青函丸」「第六青函丸」「第七青函丸」「第八青函丸」「第十青函丸」がアメリカに攻撃され8隻沈没しました。翌日、7月15日、青函連絡船1隻「第一青函丸」がアメリカに攻撃され沈没しました。犠牲者424人。本日は悲しい日であります。しかし、青函連絡船は生還したのです。青函連絡船の乗客たちは生還したのです。ブルーレイに生還したのです。世界のビデオは日本人が発明したブルーレイになったのです。世界初ブルーレイ式光ディスク式ビデオ「井深大盛田昭夫ソニーBDZーS77」平成15年2003年登場。世界初のビデオも日本人が発明しましたが、世界初のビデオはテープ式で、テープ式ビデオは「録画と再生を繰り返すと画質と音質が劣化」「見たい箇所を出すのに時間がかかる」という問題点がありましたが、光ディスクはこの問題点を解決しました。最初に掲載した映像(写真)は令和3年12月に日本で撮影しました。日本は景色も世界一です。

世界初ブルーレイ式光ディスク式ビデオは録画もできますが、世界初録画もできる光ディスク式ビデオは4年前の平成11年登場の世界初MVDISC式光ディスク式ビデオ「岩垂邦彦日本電気MVー10000」で、MVDISC式登場以前もDVD式とレーザーディスク式の2規格の光ディスク式ビデオがありましたが、レーザーディスク式は「ディスクの両面に記録」「ディスクの直径が30cmもある」「ディスクの直径が大きいから見たい箇所を出すのに時間がかかる」という問題点があり、この問題点を最初に解決したのがDVD式で、世界初DVD式光ディスク式ビデオ「田中久重東芝SDー3000(再生専用)」平成8年1996年11月1日登場、世界初DVD式光ディスク式ビデオは世界初直径12cm光ディスク式ビデオでもあり世界初片面記録光ディスク式ビデオでもあり、世界初DVDは当時世界最大容量ビデオ光ディスクで、レーザーディスクは2時間の映像を直径30cmのディスクの両面で記録、更に、レーザーディスクは映像と音がデジタルではありませんでしたが、DVDは2時間の映像を直径12cmのディスクの片面で記録、DVDはDVDという名称のように映像と音がデジタルです。しかし、世界初デジタルビデオ「井深大盛田昭夫ソニーDCRーVX1000」が平成7年に登場してなかったら、世界初DVD式も映像と音がデジタルではなかったと思いますし、レーザーディスク式も「井深大盛田昭夫ソニーLDPー730などのPCMプロセッサーを内蔵の装置」と「PCMプロセッサーを繋いだ装置」は音がデジタルです。

レーザーディスクのDVD化(直径12cm化と片面化)」は「小形化」だけではなく「大容量化」でもありますが、テープの大容量化はテープの量を増やす、テープの量を増やすとテープが重くなる、テープが重くなると早送りと巻き戻しの回転速度が遅くなる、テープ式はただでさえ聴きたい箇所を出すのに時間がかかるがテープの量が多くて回転速度が遅いともっと時間がかかる、テープの量はテープを装置に装着できる範囲でしか増やすことができない、光ディスクの大容量化はピットの大きさを小さくしピットの量を増やす、ピットの大きさを小さくしピットの量を増やすとピットが増えても重さは変わらないしディスクの大きさを変えないで大容量化できるどころかディスクの大きさを小さくし大容量化できる、しかし、世界初録画もできる光ディスク式ビデオ(世界初MVDISC式光ディスク式ビデオ)登場後に録画もできるDVD式も登場しましたが、DVD式とMVDISC式は「ハイビジョン映像をある程度長時間に十分に録画できるほど大容量ではなくハイビジョン映像は30分しか録画できない」という問題点があり、そうでなくても大容量の方がいいということで登場したのがブルーレイ式です。最初、DVDの容量は片面4.7GB、MVDISC式は片面5.2GB、後に、DVDとMVDISCは両面ディスクも登場、当然、両面ディスクは片面ディスクの倍の容量、しかし、世界初ブルーレイ「井深大盛田昭夫ソニーBF23G」はなんと片面23GBで登場しました。上に掲載のブルーレイが世界初ブルーレイです。

初期のブルーレイはMDのようにカートリッジに入っていましたが、今はカートリッジに入っていません。しかし、放送局用のビデオ光ディスク「プロフェッショナルディスク式ブルーレイ」は今もカートリッジに入っていて、プロフェッショナルディスク式ブルーレイのカートリッジは世界初ブルーレイのカートリッジと同じ形です。僕は初めてMDを見た時「なぜMDはディスクでディスクは正円形なのにカートリッジは正方形ではなく少し長方形か」「なぜディスクは円形なのにカートリッジは円形ではないのか」と思いました。少し長方形の理由は「カートリッジドア(ディスク保護扉)レール(扉が上下/左右に動く部分)をディスクの横に設置してあるため」です。このレールをディスクの上や下に設置だとただでさえカートリッジ収納で厚いディスクが更に厚くなりますし、上や下に設置でもディスクの横の上や下に設置でないとディスクの端の部分を書読できないので結局横に設置となります。ディスク保護扉はディスク挿入と同時に自動で開き、開いて開いた部分が剥き出しになることでディスクを書読できるわけです。そして、ディスクは円形なのにカートリッジは円形ではない理由は、ディスクカートリッジの扉はビデオカセットテープの扉とデジタルオーディオカセットテープの扉と同じく装置に直線移動で装着の際に自動で開く仕組みになっていますが、円形のカートリッジだと扉の形も円の弧に沿った曲線形の扉になりますが、曲線形では直線移動で開くことができなく、四角形の直線形の扉だとできますが、カートリッジが円形で扉が四角形だと扉を開けた時に扉がカートリッジからはみ出てはみ出たら円形ではないですし、円形のカートリッジだと扉を開く為の直線移動装着の際に固定できなく、円形よりも長方形などの四角形の方が保管固定性が高いからです。カセットテープの扉もメモリを守る為に設置してあります。しかし、ディスクが円形ならカートリッジもできるだけ円形に近い形してみたい、ディスクが新しい規格ならカートリッジも新しい形にしたい、ということだったのでしょうか、ブルーレイのカートリッジは従来のディスクカートリッジと違い、前(上)の辺が曲線の形、後ろ(下)の辺は斜線の形で、円形に近い形です。更に、前の形と後ろの形を変えたことで「形で装着方向を表示」という利点も発生、MDのカートリッジは形でではなく「小さい三角形の印で装着方向を表示」しています。更に、従来のディスクカートリッジの扉はカートリッジの外側に設置してあり表面と裏面の両面に出ていましたが、ブルーレイカートリッジの扉はカートリッジの内側に設置してあり表面には出てなく扉がないような新構造です。CDも直径12cmですからカートリッジに入れることも検討したと思いますが「カートリッジだと扉を設置しないとならなく装着方向が決まってしまうがディスクは円形で円形は前後上下がないから装着方向を考えなくても装着できる」「カートリッジに入れると大きくなり直径12cmの進化を発揮できないし光ディスクの美しい虹色が薄れてしまう」「光ディスクはレーザーという非物体で読み取るからディスク表面の影響が少ない」「カートリッジに入れてもCDという新規格のディスクはどのようなディスクかとカートリッジを開けて見たくなる」ということだったと思います。カートリッジに入っているメモリで最も薄くて小さいのはMDですが、MDの扉と扉機構はとても薄くて小さく、僕は初めてMDを見た時、この部分の細かさに驚きましたが、このようなものを作ることができるのは世界で日本人だけでしょう。カセットテープのカセットもカートリッジと言えますが、日本人はカートリッジにおいても日本人ならではの配慮を尽くし、機構と構造だけではなく意匠と表面仕上げも最高です。最近は光ディスクの寿命は10年という情報がありますが、昭和57年にCDが登場した時、どの会社も「CD(光ディスク)はレーザー(という光という非物体)で読み取るから寿命は半永久」ということを言っていたように、実際は光ディスクの寿命は半永久で、フラッシュメモリの寿命も半永久、半永久とは「何か無い限りほとんど永久」という意味で、単に永久とは言えない理由は「光ディスクやフラッシュメモリは飾っておくものではなく使うもの」ということもありますが、最近は光ディスクの表面硬化(ハードコート)技術ができていて、今の技術で表面硬化した光ディスクの表面耐久性は昔の表面硬化していない光ディスクの100倍もあり、表面硬化光ディスクの半永久率は更に高いです。光ディスクは曲げには元々強く、180度曲げても平気で、光ディスクのプラスチックはゴムのようなプラスチックで、180度曲げてもすぐ真っ直ぐに戻ります。どうしても光ディスクの曲げ強度を試したい場合はもしもの場合を想定し何も記録していないディスクでディスクを透明の袋に入れてできるだけディスクを体から離して試しましょう。今の光ディスクはほとんどハードコート光ディスクだと思いますが、はっきりハードコート光ディスクとわからない光ディスクや昔の光ディスクは注意しましょう。ハードディスクの寿命は半永久ではないのでハードディスクのハードは強いという意味ではありません。ビデオやコンピューターなどの記録再生の分野でのハードとは「受動側で不変側の装置」という意味もあり「能動側で変化側のメモリ」との違いを表現の際に使用し、ハードディスク式装置は装置からメモリ(ディスク)を取り出すことができない(メモリを交換できない)という特徴もありますが、装置からメモリを取り出すことができないということはメモリだけど装置でもあるということでハードという名称で、ハードディスクは「名称でメモリを取り出すことができないことを表示」しています。メモリは記録内容が色々と変化しますが、装置で記録を行いますが、装置そのものは変化しません。「DVDのブルーレイ化(大容量化)」は「レーザーディスクのDVD化(大容量化と小形化)」と同じく、ピットの大きさを小さくしピットの量を増やし、小さいピットに記録でき小さいピットを読み取ることのできる新しいレーザー光を発明、ブルーレイのレーザー光はブルーレイという名称のように青色LEDを応用した青色の光です。青色LEDを応用したらもっと容量を増やすことができる、この発想を僕は一度もしたことがありませんでしたし、一度も聞いたこともありませんでした。発想はできても実現できるとは限らないですから、実現したことも本当に素晴らしいと思います。

BDZーS77は意匠も大変素晴らしく、当時世界一個性が強い意匠で、BDZーS77登場後にBDZーS77のような前後に変化のある意匠の自動車が登場し出し、BDZーS77は新製品や新規格や進化ということよりも完成や到着ということを感じる、このようなことを伝えるような意匠をしています。4年前の平成11年登場の世界初SACD式光ディスク式オーディオ「井深大盛田昭夫ソニーSCDー1」は表示の透明板と正面全体を台形に前に出した意匠ですが、逆にBDZーS77は表示の透明板と正面全体を台形に後ろに入れた意匠ですが、表示の透明板はSCDー1よりも厚く、BDZーS77の表示の透明板は見る角度或いは光が当たる角度により青色の鏡のように見える不思議でかっこいい表面になっていますし、リモコンの普及により本体の釦が減った機種や本体の釦を覆う扉がついてる機種が増え、このような扉は外観可変だけではなく誤操作防止にもなり、このような扉がついてるウォークマンもたくさん登場しましたが、BDZーS77の扉はディスク装着部分も覆い、電動で単に平行に手前や横や下に移動ではなく非平行に手前と下に移動という立体移動はBDZーS77の扉が世界初だと思います。ブルーレイの技術もそうですが、このような機構を作ることができるのは日本人だけだと思います。扉を開けた状態のBDZーS77の写真は下に掲載しました。BDZーS77のディスク装着方式はリニアスケーティング式、世界初リニアスケーティング式装置は昭和54年1979年登場「井深大盛田昭夫ソニーTCーK88」で、リニアスケーティング式は引き出しのように装着台が出て装着の方式です。世界初リニアスケーティング式装置はテープ式オーディオですが、この装着方式はテープ式オーディオよりもCD式光ディスク式オーディオで普及、この装着方式を操作してみたくてCD式光ディスク式オーディオ(CDプレーヤー)を買ったという人も多かったでしょう。TCーK88の装着台は動力部分一体、動力部分一体装着台は装着台を出している状態でも全操作ができますが、動力部分一体装着台は装着の際に動力部分(回転部分)に合わせないとならなく、装着台に乗せるだけでは装着できませんが、BDZーS77の装着台は動力部分非一体、動力部分非一体装着台は装着台に乗せるだけで装着できます。

世界初非完全直方体ポータブル装置「井深大盛田昭夫ソニーWMー50」昭和60年1985年登場、世界初非完全直方体非ポータブル装置「井深大盛田昭夫ソニーSLー2100」平成2年1990年登場、WMー50とSLー2100は角がとても丸い直方体だから非完全直方体、SCDー1とBDZーS77も非完全直方体非ポータブル装置です。平成18年2006年7月登場の世界初録画できるHDーDVD式光ディスク式ビデオで世界初HDーDVD内蔵ハードディスク式ビデオ「田中久重東芝RDーA1」はパルテノンシャーシというパルテノン宮殿の円柱のような振動防止部品が4隅についてる非完全直方体非ポータブル装置です。世界初HDーDVD式光ディスク式ビデオ「田中久重東芝HDーXA1(再生専用)」平成18年2006年3月登場、HDーDVDもブルーレイと同じく青色LEDを応用しDVDよりも大容量化した規格ですが、ブルーレイとHDーDVDは互換性がなく、HDーDVDがあった時はベータかVHSかという時代と同じくブルーレイかHDーDVDかと迷うようなことがあったと思いますが、世界初ブルーレイは容量23GB、世界初HDーDVDは15GB、ということで、東芝は平成20年には光ディスク式ビデオをDVDやHDーDVDからブルーレイに変えたということもあり、今はHDーDVDはありません。SCDー1についてとSCDー1の写真は日本父祖発明意匠では2022年7月10日「井深大盛田昭夫ソニーピクチャー」で記載しています。直方体で思い出すのは世界初立方体テレビ「昭和61年1986年登場井深大盛田昭夫ソニーKXー27HV1」です。KXー27HV1は「ブラウン管式テレビも色々な意匠が登場したけど本当にかっこいい意匠の登場がなかった」という心が残らないようにしました。上に掲載したテレビがKXー27HV1です。日本人はブラウン管式テレビも世界一たくさん創造しました。日本人はブラウン管式テレビの分野においても世界初や世界最小も世界一たくさん創造しました。この歴史も奇跡の歴史として永遠に残るでしょう。日本人は日本人が創造したブラウン管式テレビ式も全機種永遠に保存し永遠にかっこよく展示していきましょう。KXー27HV1登場当時は世界のどこにも27形の薄形テレビ(液晶テレビ)がありませんでした。テレビは映写機と違い、他から映さなくても単体で映すことのできる映像装置ですが、日本人は映写機のスクリーンのように薄いテレビ、光ディスク式ビデオを搭載の薄形テレビ、スクリーンのように巻くことができるテレビも創造、下に掲載したテレビは平成13年2011年登場の世界初ブルーレイ式光ディスク式ビデオを搭載のテレビ「早川徳次シャープLC-52DX1(液晶式テレビ)」です。WMー50は角が丸いのは単3形電池の丸い形に合わせたからですが、この発想も僕は思い付きませんでした。WMー50も釦のある側に電池を装着、カセットテープは丸くないのでカセットテープが当たる釦がない側は丸いよりも四角い方が小さいですが、珍しく小形化よりも意匠を優先し、釦のある側に合わせて釦がない側も丸いです。もうWMー50登場当時は世界初直方体薄形電池「ガム形充電池」が登場していましたが「まだ登場して間もない」「丸い意匠を出すことで直方体の電池の登場を誇張」「今後は丸い形の電池を装着の装置の登場はないだろう」ということでWMー50が登場したと思います。WMー50はガム形電池不使用装置でこの時ポータブル装置においても搭載は当たり前の機能になっていたオートリバース機能も搭載していませんが、当時最低価格ウォークマンとして登場、WMー50の最大の特徴は1.9万円という値段でしょう。当時、ウォークマンなどのヘッドホンステレオは「録音機能もオートリバース機能もチューナーも搭載してない機種でも3.0万円位」が普通でした。このように、日本人が創造したものはWMー50だけでも語ること興味あることが次々登場し驚きます。WMー50は釦の部分は丸(曲面)ではなく平面にし釦の意匠も一昨年の昭和58年登場のWMー20とWMーF20と無着色という点以外は全く同じにしているのも面白く珍しく、テープ窓の意匠もWMー20と似ていますが、WMー50のテープ窓は世界初本体の下の部分(釦がない側)も丸いポータブル装置であることを表すように本体の下まであるテープ窓で、下まであるため世界初カセットテープの下の部分も見えるテープ窓でもあります。カセットテープの下の部分も見えるで思い出すのは、世界初下の部分だけではなく全体が見える全体が透明で全体がテープ窓のポータブルオーディオ「昭和62年1987年登場WMー504」と、世界初カセットテープの下の部分(正確には上の部分)が見えるではなく上の部分が出ている「昭和59年登場田中久重東芝KTーAS10」と、上の部分だけではなく横の部分も出ている「昭和59年登場小平浪平日立CPー88R」です。今回、KTーAS10とCPー88Rのテープ窓についての新しい観点を発見しました。日本人はテープ式ポータブルオーディオも世界一たくさん創造しました。日本人はテープ式ポータブルオーディオの分野においても世界初や世界最小も世界一たくさん創造しました。この歴史も奇跡の歴史として永遠に残るでしょう。日本人は日本人が創造したテープ式ポータブルオーディオも全機種永遠に保存しカタログや箱も永遠に保存し永遠にかっこよく展示していきましょう。昭和62年1987年にWMー50と同じ形のWMー51登場、しかし、WMー51は世界初ヘッドホンを収納できる装置、世界初ヘッドホンコード巻き取り回転盤を搭載の装置として登場。初期のウォークマンは大きかったですし、ウォークマン登場当時はヘッドバンドがないヘッドホンで耳に入れるヘッドホンの小形のヘッドホン「インナーイヤー形ヘッドホン」もなかったので、ヘッドホンを収納という発想が出なかったと思いますしできなかったと思います。WMー51もガム形電池不使用装置ですが、この後、この年、日本人は世界初ガム形電池本体内装着ポータブル装置「井深大盛田昭夫ソニーWMー501」創造、WMー501以前は本体の外にしかガム形電池を装着できませんでした。WMー501は世界初アモルファスヘッド搭載ポータブル装置でもあります。WMー501は「世界初ガム形電池使用装置でガム形電池本体外装着のWMー101よりも小さい」ですから、本体内装着化は電池箱不使用化で便利化だけではなく小形化でもあります。WMー101の大きさは112.1 × 074.6 × 022.2、WMー501は107.5 × 074.7 ×  021.0mmです。この後、日本人の創造は「無線ヘッドホンポータブルオーディオWMー505」「録音できる光ディスク式ポータブルオーディオMZー1」「カード式ポータブルオーディオMRーIC1やNWーMS7」「円形光ディスク式ポータブルオーディオDーE01」へ続きます。NWーMS7はNW品番ウォークマン第1号です。

今はポータブル装置はヘッドホンを収納できないほど小形化しましたし、ヘッドホンを収納できるポータブル装置ではなくヘッドホンがポータブル装置のポータブル装置も登場、世界初ヘッドホンがポータブル装置のポータブル装置(記録再生装置を搭載のヘッドホン)「松下幸之助パナソニックSVーSD01(フラッシュメモリ式ポータブルオーディオ)」平成12年2000年登場。直径8cm光ディスク式やマイクロカセットテープ式ならヘッドホンに搭載できないこともないですが、もっと小形のフラッシュメモリ式登場により、世界初記録再生装置を搭載のヘッドホンは理想の大きさで登場しました。井深大盛田昭夫ソニーSRFーR7のようなラジオを搭載のヘッドホンはウォークマン登場昭和54年1979年以前からあっても、ヘッドホンを収納できるポータブル装置が登場しても、将来は記録再生装置を搭載のヘッドホンも登場ということは想像したことがありませんでした。このことだけでも素晴らしい歴史だと思います。日本人は記録再生装置を搭載のヘッドホンも小形化していき、世界最小記録再生装置を搭載のヘッドホン「井深大盛田昭夫ソニーNWーWS620」平成29年登場、SVーSD01はヘッバンド形ヘッドホンですが、NWーWS620はインナーイヤー形ヘッドホン、NWーWS620は意匠も「未来の装置」という感じです。しかし、NWーWS620は「今のポータブル装置にしては電池持続時間が10時間と短い」ですし、将来電池持続時間が長くなったとしても、人間としてオーディオとして「装置を持って聴きたい」「ヘッドホンを装置に繋いで聴きたい」「ピークメーターなどの表示を見ながら録音したり聴きたい」という気持ちもあるため、従来のヘッドホンとポータブル装置が一つではないポータブル装置も登場していくと思います。日本人は「ピットの量を増やす」だけではなく「ピットの面(記録面)も増やすピットの面の積層化」を発明、今は片面4層128GBのブルーレイもあり、世界初片面4層128GBブルーレイ「井深大盛田昭夫ソニーBNR4VAPJ4片面仕様」平成30年2018年登場。BNR4VAPJ4はBDXL式ブルーレイ、BDXL式は平成22年に登場した規格で、BDXL式ブルーレイはBDXL式ブルーレイ式装置でしか録画再生できませんが、今のブルーレイ式装置はほとんどBDXL式で、BDXL式ブルーレイ式装置はBDXL式ではないブルーレイでも録画再生できます。まだ販売はしていませんが、既に日本人は平成22年に片面16層1TB(1024GB)両面仕様のブルーレイを発明、1TBは両面での容量ですが、片面だけでも512GBもあり、ディスクの直径と厚さは従来の光ディスクと不変です。そして、なんと、この平成22年登場16層1TBブルーレイは透明光ディスクです。透明、しかし、まるで、無限に記録できるような超大容量。また日本人は不思議な世界を創造しました。昔、日本人のテレビ(ディスプレイ動画)の発明に液晶の発明に世界の技術者が驚いたと思いますが、今、日本人の16層1TB透明光ディスクの発明に世界の技術者が驚いていることでしょう。

今は記録再生装置は光ディスク式とハードディスク式とフラッシュメモリ式だけ、光ディスク式ビデオはブルーレイ式だけでレーザーディスク式とDVD式とMVDISC式とHDーDVD式はありませんが、ブルーレイ式はDVDも再生できます。ブルーレイ式はCDも再生でき、ブルーレイはオーディオでもありますが、この点はレーザーディスク式において既に実現していて、初期のレーザーディスク式はCDも再生できませんでしたが、CDも再生できるレーザーディスク式が登場した時は「レーザーディスクもCDと同じくレーザーで記録を読み取るんだ」なんて当たり前のことを思ったりしたものです。ハードディスクは日本人の発明ではありませんが、初期のハードディスク式装置は水平式、水平式は小容量で大容積で大電力で全く実用化していませんでしたが、日本人の岩崎俊一が大容量で小容積で小電力の垂直式のハードディスク式を発明したことでハードディスクが実用化したので、ハードディスクも日本人の発明と言えます。日本人はフラッシュメモリの容量もどんどん大きくし、フラッシュメモリで動画も記録できるようにし、今はビデオカメラはフラッシュメモリ式だけで光ディスク式はありませんが、フラッシュメモリも日本人の発明です。フラッシュメモリは世界唯一振動非影響記録再生体ですが、カメラは動かさないように撮る装置ですから大きい振動の影響はありませんが、フラッシュメモリは光ディスクよりも小さいという特徴もあり、カメラもポータブル装置でポータブル装置は小さい方がいいです。

ハードディスクは「寿命が半永久ではない」「メモリ(ディスク)を取り出すことができない」「振動に影響」という問題点がありますし、今はフラッシュメモリも大容量化しましたし、ハードディスクよりもフラッシュメモリの方が「小形」「視聴したい箇所を出すのが速い」ですし、フラッシュメモリ式装置は「世界唯一動力部品不使用記録再生装置で最も修理が少ない記録再生装置」ですから、今後はハードディスク内蔵ブルーレイからフラッシュメモリ内蔵ブルーレイになるでしょう。ブルーレイなどの光ディスクの最大の特徴は「人類が創造した記録再生体で最も画質と音質がいい」ということです。「最近は音楽を聴かなくなった」という人は光ディスクに戻ってみて下さい。CDプレーヤーやブルーレイレコーダーで音楽を聴いてみて下さい。きっとまた音楽を聴くようになるでしょう。もう画質と音質の心配はありません。もう画質や音質の劣化の心配もありません。もうオーディオとビデオとカメラは運搬の心配と置き場所の心配もありません。容量の心配もありません。あの日の青函連絡船は光ディスクとフラッシュメモリと垂直式ハードディスクに変わり、誇らしげに地球を航進、誇らしげに宇宙を航進しているのです。 

 

外国にある日本人の会社サントリー

 

 

     日本人に似ていて日本名と日本語を使う外国人が国家侵略や企業侵略や技術横領を狙っている。日本人に似ていない外国人も日本人に似ている外国人を使って国家侵略や企業侵略や技術横領を狙っている。このようなことは全ての国が気を付けていますが、日本人は電池を発明し永久磁石を発明し電子レンジ(分割陽極マグネトロン)を発明しテレビ(ディスプレイ動画)を発明し液晶テレビを発明し、日本人は世界一の人種で日本は世界一の国だから世界一気を付けた方がいいのです。


 日本人の会社は世界で最も外国人の会社を買収していますが、日本人の会社は外国人の会社を買収の際に「外国人の会社の国の人に似ている人と外国人の会社の国の名前と外国人の会社の国の言語を使って買収しているのではない」ですし「外国人の会社は日本人の会社であることを理解して買収を承知している」のです。

 

    買収後も「日本人に似ていて日本名と日本語を使う外国人によるわからない侵略」を防ぎましょう。1945年にたくさんの日本人がたくさん苦労しても日本人は仕返しをしないで戦争を終わらせたことで日本人が受けている神様からの恵みはとても大きいのです。1945年にたくさんの日本人が犠牲になっても日本人は仕返しをしないで戦争を終わらせたことで日本人が受けている神様からの恵みを大事にしましょう。

 

    日本人の皆様、日本人は世界一素晴らしい人種なのです。顔も心も頭脳も芸術性も日本人は世界一なのです。

 

    人事や採用の際は必ず国籍を帰化人かどうかわかる証明書で確かめましょう。履歴書だけでは不十分です。不採用の理由は伝えなくていいことになっています。日本人の組織の大事な会議や大事な部署や役職に外国人を入れてはいけません。特に人事部に日本人に似ていて日本名と日本語を使う外国人を入れてはいけません。侵略の為の帰化も考えられることから帰化した外国人も日本人の組織の大事な会議や大事な部署や役職や人事部に入れてはいけません。

 

    外国人が日本のお寺や神社の敷地に住んで何十年も日本のお寺や神社の管理をしても日本のお寺や神社は日本人のものです。外国人が日本の農家に住んで何十年も日本で農業をしても日本の農家と農地は日本人のものです。

 

    日本語の文章を読んでいて、その文章を書いた人の名前も日本名だとしても、日本人の会社の製品よりも外国人の会社の製品について多く書いていたり良く書いている場合「この人は本当に日本人だろうか」「外国人の会社の製品が売れるようにしているのでは」ということを考えてみましょう。

 

    日本人の皆様、今は非常事態なのです。日本を守らないとならないのです。日本人は近いうちに「日本人に似ている外国人が侵入しない食料品店」を日本に作らないとならないのです。結婚の際も国籍を帰化人かどうかわかる証明書で確かめましょう。当分は国際結婚をしないようにしましょう。投票の際も立候補者の国籍を帰化人かどうかわかる証明書で確かめましょう。国会や市議会は国際交流の会ではありません。市議会は日本の市についての会ですから外国人は関係ありません。学校の担任の先生と校長先生の国籍も帰化人かどうかわかる証明書で確かめましょう。口答だけで確かめるのは不十分です。日本に住んでいる外国人の支援は外国に任せるのが第一です。

 

    日本で生まれても日本人に似ていても親が外国人なら外国人です。日本に帰化しても本物の日本人と全く同じように生きていくことができるようになるわけではないのです。大きい家に生まれたら苦労しなくても大きい家に住むことができるのです。