白い城の城戸の輝度が軌道に乗るか時々どきどきしたが起動した
世界初の有機ELの登場は最近ではないのに、なぜ世界初の有機EL照明の登場は最近だったのか。白色有機ELが無かったからである。最も普及している照明の光の色は「白色」だから白色有機ELがないと照明にならない。太陽の光の色は金色や橙色の時もあるが白色の時の方が多い。白色の光は白色の塗料と違い無色透明で存在感が無い。白色の光は色が重なっても色の変化が無い。電球は白色の光が無いが蛍光灯は白色の光も有る。電球より蛍光灯の方が低電力(低発熱)で長寿命で高輝度。だから、電球より蛍光灯の方が普及。金色有機EL(電球色有機EL)も白色有機ELがないとできないことは電球色有機ELの登場は白色有機ELの登場の後だったことが証明している。
有機ELの表示装置化をできたなら有機ELのテレビ化ができたと思うが、なぜ世界初の有機ELテレビの登場は世界初の有機EL表示装置の登場の14年も後だったのか。白色有機ELが無かったからである。世界には白色がたくさんあるから白色有機ELがないと映像にならない。
有機ELは「発光性のある有機物(有機色素または蛍光色素)」を「電気で発光(ElectroLuminescence)」の発光体である。有機色素は「高分子の有機物」であり、高分子の有機物は「ポリマー」とも言うため、有機ELは「発光ポリマー」とも言う。有機ELは「OLED」とも言うが、この名称は「OrganicLightEmittingDiode(有機発光ダイオード)」の頭文字である。
白色有機EL登場以前から赤色有機ELと緑色有機ELと青色有機ELはあり、光はこの3色の光だけで全ての色の光を作ることができ、白色の光も作ることができるが、面白いことに、有機ELはこの3色の光を合わせても白色の光を作ることができなかった。世界の技術者を奮い立たせ。ここにおいてもできたのは日本人だけだった。日本人の城戸淳二は、平成5年1993年に、蛍光発光の赤色有機ELと緑色有機ELと青色有機ELを分散の「分子分散形(単層形)白色有機EL」を発明。この白色有機ELが世界初白色有機ELである。日本人の城戸淳二は、平成7年に、蛍光発光の赤色有機ELと緑色有機ELと青色有機ELを真空蒸着で積層の「積層形(多層形)白色有機EL」を発明。「雲」「雪」「塩」「白砂糖」「波」「泡」は透明の粒の集合体だが白色なのは「粒の大きさがとても小さい」「粒の大きさが不規則である」から光を分散(不規則反射)しているからである。粒の大きさがとても小さくても粒の大きさが規則(一定で同じ)だと白色にならない。
日本人の会社のコニカミノルタは、平成18年2006年に「青色燐光」を発明、そして、コニカミノルタは、平成18年に「燐光発光の青色有機EL」を発明。燐光発光の青色有機EL登場以前から燐光発光の赤色有機ELと緑色有機ELはあり、燐光発光の赤色有機ELと緑色有機ELは作ることができたが、青色LEDと同じく、白色有機ELと同じく、どこの国の人も、青色燐光と燐光発光の青色有機ELは作ることができなかった。コニカミノルタは、平成18年に、燐光発光の赤色有機ELと緑色有機ELと青色有機ELを「城戸淳二が発明した有機EL白色化技術」を応用し「燐光発光の白色有機EL」を発明。蛍光発光は発光利用率25%で後の75%は熱になる、しかし、燐光発光は発光利用率100%で明るいし熱の発生も少ない、更に、蛍光発光より燐光発光の方が長寿命、ということで、平成18年登場「世界初の燐光発光白色有機EL」は「当時世界最高発光効率有機ELで当時世界最長寿命有機EL」になった。発光効率が高いほど明るい。この発明により、翌年の平成19年に世界2番目の有機ELテレビで世界初の11形有機ELテレビで当時世界最大の有機ELテレビ「ソニーXELー1」が登場でき、平成23年に世界初の有機EL照明「三菱三井ルミオテックHANGER」が登場できただろう。
コニカ(小西屋六兵衛店)は弘化3年誕生の日本人の杉浦六三郎が明治6年に創業の日本人の会社。ミノルタは明治32年11月20日誕生の日本人の田嶋一雄が昭和3年に創業の日本人の会社。コニカとミノルタは平成15年2003年に統合したがカメラの製造はしない会社になった。しかし、有機ELの照明化と有機ELのディスプレイ化(テレビ化)は城戸淳二の発明により、そして、コニカミノルタの発明により実現したのである。
山道で木のすき間から降臨した白色の光と出会った。地から成長した野生の白色の植物と出会った。僕は白色の光と白色の植物と三位一体になった。野生の植物は神が育てた植物である。もし光が無かったらどうやって生きていったらいいだろう。光は命。光は魂。光は愛。