自由に移動できる水に浮かぶ人工島(海上都市)も日本人の発明

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 未来の人工島は自由に移動できる

 世界初の自由に移動できる水に浮かぶ人工島は昭和50年1975年7月20日に開幕した沖縄国際海洋博覧会で登場の「アクアポリス」である。アクアポリスは世界初の天板付半潜水形浮遊式構造物でもあり当時世界最大の半潜水形浮遊式構造物でもある。アクアポリスの天板(甲板)は正方形で幅(一辺)100mもあるからアクアポリスの天板は陸地のようでありアクアポリスには部屋も厨房もあるしアクアポリスは船ではないからアクアポリスは人工島のようである。甲板(デッキ)が広くて大きいものというとタンカーを思い浮かぶ。しかし平成30年2018年登場の世界最大のタンカー「三井イーグルトレーダー」長さ339.5mであるが幅60mでありタンカーは船である。この万博は翌年1月18日まで開催した。

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 人工島は埋め立てなくてもできる

 アクアポリスは三菱重工広島造船所で造成(写真左)昭和50年4月18日に曳航で広島を出発(写真右)6日後に沖縄に到着。曳航(えいこう)とは「動力搭載の水に浮かぶ物体」による「動力非搭載の水に浮かぶ物体」の牽引移動である。半潜水形浮遊式構造物は船ではないから動力非搭載であり単体では移動できない。半潜水形浮遊式構造物は「潜る」「浮く」とあるように水に浮きながら水に少し(半ば)潜る。少し潜る理由は停泊時は浮いてるだけだと波の影響を受けてしまうからである。停泊時は潜水部分のロワーハル(LoerーHuLL)のバラストタンクに海水を溜め少し潜る。移動時は停泊時より波の影響が少ないし潜水部分が無い方が移動しやすいから移動時はバラストタンクの水を抜いて潜水部分を無くす。

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 浮いてる人は宇宙の人。個性は孤性。

 アクアポリスを設計したのは昭和3年1928年4月1日誕生の日本人の菊竹清訓(写真上)である。写真左は38歳(アクアポリス完成の9年前)の菊竹清訓である。菊竹清訓(きくたけきよのり)の建築は「夢」「新しい」と言うより「宇宙から来た地球人もしくは宇宙人の浮遊式構造物」のようである。アクアポリスという名称はギリシャアクロポリス(丘の上にある神殿)のアクロをアクア(水)にしたものであろう。太い柱がたくさんあるアクアポリスはアクロポリスの神殿のようでかっこいい。現代人がアクロポリスを見ると機械が無かった時代にどうしたらこのようなものを造ることができるのかと驚くが古代人がアクアポリスを見たらどうしたらこのように鉄を加工したり組み合わることができるのかと驚くだろう。

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 発明と世界初は宇宙のどこにも無かった宇宙最高の個性

 日本は昭和47年5月15日に沖縄を取り戻した。沖縄復帰記念式典はこの日に沖縄と東京で開催。那覇市民会館での式典で最初の挨拶をしたのは屋良朝苗(写真下)だった。3年後に開催の沖縄国際海洋博覧会は沖縄復帰記念行事の1つであり世界初の海洋万博である。アクアポリスはもうどこにも無い。しかしアクアポリスを見ると「半潜水移動式海洋掘削装置」を思い浮かぶ。アクアポリスは半潜水移動式海洋掘削装置になったのである。沖縄国際海洋博覧会では世界初の自動運転「沖縄海洋博CVS」「沖縄海洋博KRT」も登場した。あの日の沖縄の日本人の苦労は半潜水移動式海洋掘削装置と自動運転になったのである。あの日の沖縄の日本人は半潜水移動式海洋掘削装置と自動運転で誇らしげにほほえんでいるのである。 

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