ノートパソコンも日本人の発明

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    ノートを開いたらパソコン(ディスプレイとキーボード)が現れた

    ノートは1冊のノートに無限に記録できない。しかし、パソコンは交換メモリ(ディスクやカード)を交換したら1台のパソコンに無限に記録できる。ノートは鉛筆などがないと記録できない。しかし、パソコンは鉛筆などがなくても記録できる。ノートは見たい(読みたい)箇所が一瞬で出て来ない。しかし、パソコンは(検索欄に見たい箇所を入力し実行釦を押すと)見たい箇所が一瞬で出て来る。ノートは薄い。しかし、パソコンは薄くない。ノートは外でもどこでも使用できる。しかし、パソコンは外でもどこでも使用できない。しかし、日本人は液晶を発明。世界初液晶「小島和三郎日本計算器BUSICOMーHANDYーLC」昭和46年登場。液晶を細かくしてドット(モザイク)にしたらディスプレイという何でも表示できるものになる。液晶は薄くて低電力。一体形パソコン(ディスプレイとキーボードが一体のパソコン)のディスプレイをブラウン管ではなく液晶にしたらノートのように薄くてポータブルのパソコンができる。世界初ノートパソコン「服部金太郎山崎久夫精工エプソンHCー20(輸出用の品番はHXー20)」昭和57年1982年7月登場。HCー20登場以前から一体形パソコンはあり、世界初一体形パソコンは昭和50年1975年登場「IBM5100(ブラウン管式)」で、HCー20登場以前から液晶式一体形パソコンもあり、世界初液晶式一体形パソコンは昭和57年1982年4月登場「GRiDーCompass」だが、HCー20登場以前は電池で使用できるパソコンが無かった。だから、HCー20は世界初「電池で使用できるパソコン」世界初「電池で使用できる一体形パソコン」世界初「電池で使用できる液晶式一体形パソコン」でもある。ノートパソコンは電池で使用でき外でもどこでも使用できるパソコンでないとならない。井植歳男三洋電機は昭和38年1963年に世界最高性能(世界最大容量で世界最長寿命)のNiCd電池「井植歳男三洋電機カドニカ」発明。三洋電機カドニカは平成2年1990年に同じく三洋電機が世界初NiH2電池「三洋電機トワイセル」発明まで世界最大容量で世界最高寿命の充電池だった。見事、日本人は「液晶」「高性能の充電池」を創造により「ノートパソコン」を創造。今では「ノートパソコンだがデスクトップパソコンとして使用」「パソコンはノートパソコンで十分」という人が多いだろう。世界初ノートパソコンHCー20は当時世界最小「パソコン」でもある。三洋電機トワイセルは世界初電池に電気が残っていても(完全放電してからではなくても)いつでも充電できる単1形や単2形などの小形の充電池でもあり、鉛蓄電池という世界初充電池は1859年にフランス人のGastonーPlanteが発明した時から電池に電気が残っていてもいつでも充電できる充電池だが、鉛蓄電池は今も単1形や単2形などの小形にはできない電池で、最近は鉛蓄電池も1980年に日本人の水島公一が発明したリチウムイオン電池になろうとしている。服部金太郎山崎久夫精工エプソンHCー20のディスプレイは角度可変ディスプレイではなかったが、日本人は角度可変ディスプレイを搭載のノートパソコンも創造、世界初角度可変ディスプレイを搭載のノートパソコン「服部金太郎山崎久夫精工エプソンHCー40」はHCー20の2年後の昭和59年1984年登場。更に、HCー40はHCー20よりも大画面になった。更に、日本人は昭和59年にHCー40よりも大画面の角度可変ディスプレイを搭載のノートパソコン「服部金太郎山崎久夫精工エプソンHCー88」創造。しかし、HCー40の角度可変ディスプレイとHCー88の角度可変ディスプレイは「水平角度変換方向」「可変角度量」が異なる。角度可変ディスプレイを搭載のポータブル装置は「携帯の際あるいは運搬の際はディスプレイの角度をディスプレイが装置から出ていない角度に変えて(戻して)装置の大きさを薄く小さく変えた方がいい(戻した方がいい)」のであり、HCー40とHCー88は水平の角度に変える(戻す)のであるが、水平角度に変える方向が「HCー40は後ろ」だが「HCー88は前(キーボードのある方向)」で、HCー40は水平角度時は画面が上向きで画面が剥き出しだが、HCー88は水平角度時は画面が下向きで画面が剥き出しではないから画面の保護や収納ができる。可変角度量はHCー40よりもHCー88の方が多く、HCー88の可変角度量は180度近くあるが、多くても角度変換効果は同じで、180度のうち90度位は下向きに変える為であり画面を見やすく変える為ではない。更に、日本人は昭和60年1985年にHCー88より大画面の角度可変ディスプレイノートパソコン「田中久重東芝T1100」創造。しかし、HCー88の角度可変ディスプレイとT1100の角度可変ディスプレイは「水平角度固定位置」が異なる。水平角度固定位置が「HCー88はキーボードの後ろ」だが「T1100はキーボードの上」だから、T1100は水平角度時は画面の保護や収納だけではなくキーボードの保護や収納もできる。世界初画面を下向きにでき画面の保護や収納ができるパソコンはHCー88ではなく昭和58年1983年登場「早川徳次シャープPCー5000」で、世界初画面の保護や収納だけではなくキーボードの保護や収納もできるパソコンもT1100ではなくPCー5000である。HCー88はキーボードの保護や収納はできないが、HCー88はキーボードの部分にきちんと装着できるキーボードを覆うものを付属。このようなきちんとした配慮も日本人らしくて素晴らしい。世界初角度可変ディスプレイを搭載のノートパソコンHCー40登場以前から角度可変ディスプレイを搭載のパソコンはあった。世界初角度可変ディスプレイを搭載のパソコンはHCー40の2年前の昭和57年1982年4月登場「GRiDーCompass」であるが、昭和57年GRiDーCompassの角度可変ディスプレイはHCー40の角度可変ディスプレイと「水平角度変換方向」が同じで、水平角度に変える方向が「HCー40と同じく後ろ(キーボードがない方向)」だから、昭和57年GRiDーCompassはHCー40と同じく「画面の保護や収納ができなくキーボードの保護や収納もできないパソコン」である。PCー5000の「逆にディスプレイの角度をキーボードのある方向に180度変えたらディスプレイが下向きになり画面の保護や収納ができる」「ディスプレイの角度をキーボードのある方向に180度変えるだけではなくディスプレイをキーボードの上に重ねたら画面の保護や収納だけではなくキーボードの保護や収納もできる」という発想は一体どこから発生したのか。正に「発想の角度の180度変換」であるが、

世界初画面の保護や収納とキーボードの保護や収納ができる装置はPCー5000の6年前の昭和52年1977年登場「早川徳次シャープELー8029電卓」で、ELー8029は世界初「角度可変ディスプレイを搭載の装置」世界初「角度可変ディスプレイを搭載の電卓」世界初「折り畳み式装置」世界初「折り畳み式電卓」でもある。普通は「SERの記載(シリアルナンバーの記載)」「電池交換場所」は本体の背面にあるが、ELー8029はこの2つが装置を開いた内面という本体の正面にあるのも珍しいが、このようにした理由は「開けて使う装置(折り畳み式装置)であることを伝えたかった」「電卓ではないような意匠にしたかった」からであろう。日本人は角度可変キーボードも創造。世界初の角度可変キーボードは昭和59年登場の「沖牙太郎沖電気Lettermate8ポータブルワープロ」のキーボードであるが、ELー8029のキーボードも角度可変キーボードと言えないこともない。角度可変ディスプレイは「装置の大きさを変換の為に創造した」「ディスプレイの見やすさを変換の為に創造した」のであり、角度可変キーボードも「装置の大きさを変換の為に創造した」のであるが、角度可変キーボードは「キーボードの使いやすさを変換の為に創造したのではない」のである。「服部金太郎山崎久夫精工エプソンHCー20」「早川徳次シャープPCー5000」「田中久重東芝T1100」の3機種は薄くて電池も使用できるため世界初ノートパソコンと言えるが、今は世界初ノートパソコンはT1100と紹介していることがほとんどの理由は「今のノートパソコンのディスプレイはみんなT1100のディスプレイような画面収納式」「今のノートパソコンはみんなT1100のように印刷機(プリンター)を非搭載」「PCー5000のディスプレイも画面収納式だがPCー5000は印刷機を搭載であるし印刷機を搭載だからノートパソコンにしては少し大きい」からであろう。今のポータブルコンピューターは印刷機を非搭載で非必需の理由は「メモリがフラッシュメモリで大容量だから印刷という記録(保存)は非必需」「電子郵便(メール)もでき電子郵便は紙は不使用」だからであろうし、印刷機のような非電子装置(機械装置)は電子装置よりも小形化ができないからでもあろう。T1100の液晶ディスプレイは大画面だから写真と動画も表示できそうだが写動(写真と動画)は表示できなく、T1100当時とT1100以前のポータブルコンピューターの液晶ディスプレイは全て写動以外(文字と記号と模様と図形)しか表示できなかった。なぜなら、世界初写動を表示できる液晶ディスプレイ「服部金太郎精工舎テレビウオッチT001」はT1100登場の3年前の昭和57年に登場していたが、T001はディスプレイの大きさ1.2形、ほとんどの装置において小形化はすぐには難しいように、液晶ディスプレイも大画面化はすぐには難しく、世界初写動も表示できる15形液晶ディスプレイ「早川徳次シャープLCー150F1」はT001登場の16年後の平成10年1998年登場だったからである。後に日本人は液晶を液晶ディスプレイにした技術で有機ELも有機ELディスプレイにしていくわけだが、今のように当たり前に薄くてポータブルのコンピューターで写動も見ることができるようになるまで、たくさんの苦労と時間があったのである。ノートパソコンという日本人が創造したノートは無限のように記録できる夢のノート。ノートパソコンという日本人が創造したノートは見たい箇所を探さなくても見たい箇所が一瞬で出て来る夢のノート。無限のように記録でき見たい箇所を探さなくても見たい箇所が一瞬で出て来るノートを想像したことがあっただろうか。日本人は大容量で薄くて小さいメモリ(記録再生体)のフラッシュメモリも発明、今のノートパソコンの内蔵メモリはフラッシュメモリだからメモリを交換しなくても無限のように記録できる。インターネットも映像を電波で受信して使うものであるが、インターネットの画像はテレビ放送の画像とは違い、受信した画像をフラッシュメモリに記録し再生している画像である。だから、インターネットの動画の映像はビデオの動画の映像と同じで、インターネットの文字や写真などの静止画(動画以外)の映像はビデオの静止画(スチル)の映像と同じである。パソコン(家庭用コンピューター)も日本人の発明でインターネットも日本人の発明である。世界初パソコン「小島和三郎日本計算器BUSICOMー141ーPF」昭和46年登場。家庭用コンピューターという小形のコンピューターは計算集積回路(実装計算半導体)という小形の実装装置の発明で実現、世界初計算集積回路で世界初マイクロプロセッサ「嶋正利4004」昭和46年登場。コンピューターとは自動計算装置である。小島和三郎日本計算器BUSICOMー141ーPFは世界初「嶋正利4004を実装の装置」世界初「マイクロプロセッサを搭載の装置」でもある。世界初インターネット「井深大盛田昭夫ソニーキャプテンデコーダー」昭和59年登場。このキャプテン(CAPTAIN)は「CharacterAndPatternTelephoneAccessInformationNetwork」の頭文字で日本語直訳は「文字記号模様電話回線情報網」で7つの頭文字で丁度キャプテンになっている。この規格は昭和53年に日本国と日本電電公社が発明、昭和54年12月から世界で初めて実用実験をし、昭和59年11月に世界で初めて実用化(通信局創設とキャプテン装置の販売)をした。この規格は「キャプテンシステム」「ビデオテックス」とも言い、テレビ放送の次の次の人類第3の映像受信網だが、当初からキーボード入力で商品注文や座席予約もでき、受信だけではなく送信もできる新しい映像網「映像受送信網インターネット」であり、キャプテン式インターネット(初期のインターネット)は「受送信できる映像は写動以外」「電波で受送信ではなく電話回線で受送信」だった。人類第2の映像受信網は文字放送である。未來のノートはパソコンのように無限のように記録でき見たい箇所が一瞬で出て来るノート。未來のパソコンはノートのように薄くてポータブルで鞄に入れてどこにでも持って行くことができどこでも使うことのできるパソコン。更に、日本人は「携帯電話パソコン」も発明、世界初携帯電話パソコン(世界初インターネットができる携帯電話)「古河市兵衛富士通F501i」平成11年登場。F501iの液晶ディスプレイは2形位、2形位で登場が平成11年なら写動も表示できる液晶ディスプレイでも、平成11年は既に2形の写動も表示できるポータブル液晶ディスプレイはたくさんあった、F501iはテレビチューナー非搭載だから大きさも問題ない、F501iはもう少し大きくてもいいと思うほど小さい、しかし、F501iのディスプレイは写動を表示できない。しかし、F501i登場の翌年位から写動も表示できるディスプレイを搭載の携帯電話が登場。なんと、この辺りで、ついに、日本人は世界初有機ELディスプレイ創造。世界初有機ELディスプレイは平成13年2001年登場の「岩垂邦彦日本電気NECーN2001携帯電話」のディスプレイである。N2001はテレビチューナー非搭載、N2001の有機ELディスプレイは写動を表示できる。しかし、有機ELディスプレイも写動を表示できない時代があった。世界初写動を表示できない有機ELディスプレイは昭和62年登場「井深大盛田昭夫ソニーDVRー1000世界初デジタルビデオのディスプレイ」だろう。「杉浦六三郎田嶋一雄コニカミノルタによる青色燐光の発明」「森矗昶昭和電工による高分子の燐光発光赤色有機ELと燐光発光緑色有機ELと燐光発光青色有機ELの発明(赤色燐光と緑色燐光は青色燐光登場前からあった)」「日本人の城戸淳二が以前からあった蛍光発光赤色有機ELと蛍光発光緑色有機ELと蛍光発光青色有機ELで蛍光発光白色有機ELを平成5年に発明した技術を応用しコニカミノルタが燐光発光赤色有機ELと燐光発光緑色有機ELと燐光発光青色有機ELで高輝度実用燐光発光白色有機ELを平成18年に発明」は岩垂邦彦日本電気NECーN2001登場後だったが、N2001の有機ELディスプレイは2.2形という小画面だからさほど問題なかっただろう。世界初11形有機ELディスプレイで当時世界最大画面有機ELディスプレイで世界初テレビチューナー搭載有機ELディスプレイ「井深大盛田昭夫ソニーXELー1」登場はコニカミノルタ高輝度実用燐光発光白色有機EL発明の平成18年の1年後の平成19年である。城戸淳二が平成5年に発明した世界初「蛍光発光白色有機EL」は世界初「白色有機EL」で、有機ELはLEDと違い赤色と緑色と青色の光の3原色を合わせても白色ができない発光体だった。世界には白色がたくさんあるから白色有機ELがないと写動を表示できる有機ELディスプレイができない。世界初白色の照明「蛍光灯」登場以来、世界の照明は白色の照明がほとんどになった。電球色有機ELも白色有機ELがないとできない。白色有機ELがあったら「写動も表示できる有機ELディスプレイ」「有機EL照明」ができる。有機ELディスプレイは見る角度により表示が変化しないし液晶ディスプレイよりも高明暗比で高速応答。有機EL照明はLED照明よりも薄くて小さくて軽量。ということで、世界の技術者が白色有機ELを発明しようと何年も研究したが、ここにおいてもできたのは日本人だけだった。日本人はタッチパネルを発明しタッチパネルを応用し画面釦を発明しディスプレイをキーボードにしキーボードが無いノートパソコン「タブレットパソコン」も発明。世界初タッチパネルは昭和59年1984年登場の「樫尾四兄弟カシオPFー8000電子手帳」「樫尾四兄弟カシオDBー1000腕時計」のタッチパネルで、カシオPFー8000は世界初「手書き入力装置」でもある。なんと、もう既に、カシオDBー1000のタッチパネルは(液晶)画面タッチパネルで、カシオDBー1000のタッチパネルは世界初「画面タッチパネル」である。世界初タブレットパソコンは平成12年2000年登場の「井深大盛田昭夫ソニーIDTーLF1」で、IDTーLF1は当時世界最小「画面釦を搭載の装置」で、画面釦は平成12年以前からATMという大きい装置に搭載していた。更に、日本人はヘッドマウントディスプレイ(眼鏡形ディスプレイ)を発明しヘッドマウントディスプレイを応用しヘッドマウントパソコン「スマートグラス(眼鏡形パソコン)」も発明。世界初ヘッドマウントディスプレイ「井深大盛田昭夫ソニーPLMー50グラストロン」平成7年登場。世界初スマートグラス「服部金太郎山崎久夫精工エプソンBTー100」平成23年登場。日本人はスマートグラスも小形化、今のスマートグラス「精工エプソンBTー30E」の眼鏡は普通の眼鏡のような大きさと重さに進化。未來の眼鏡はパソコンのように無限のように記録でき見たいものが一瞬で出て来る眼鏡。今のタブレットパソコンとスマートグラスは撮影機を搭載。しかし、今のタブレットパソコンとスマートグラスは撮影機を非搭載のように薄くて小さい。未來のノートは撮影機のように書かなくても見ているものを一瞬で記録できるノート。未來の眼鏡は撮影機のように見ているものを一瞬で記録でき記録したものをいつでもどこでも永遠に見ることのできる眼鏡。だが、そう、もう、実現している。世界最高タブレットパソコン「岩垂邦彦日本電気NECーT1195」令和3年3月登場。なんと、T1195は11.5形で薄さ5.8mm。12.6形5.6mm世界最薄タブレットパソコン岩垂邦彦日本電気NECーT1295令和4年3月登場、しかし、12.6形という大きさはタブレットパソコンでは少し大きく、電池持続時間もT1195の方が長い。もちろんT1195も撮影機を搭載していて今の撮影機は写真と動画の両方を撮影できるからT1195はビデオカメラでもある。世界初ビデオカメラはどの位の大きさだったのか。世界初ビデオカメラはあの大きさにディスプレイを搭載していたのか。世界初ビデオカメラのメモリの大きさはどの位で1つのメモリの録画時間はどの位だったのか。世界初ディスプレイを搭載のカメラのディスプレイの大きさはどの位でカメラの厚さはどの位だったのか。12形のブラウン管ディスプレイの厚さはどの位だったのか。田中久重東芝T1100の大きさはどの位だったのか。T1100はビデオカメラを搭載していたのか。T1100登場当時のビデオカメラの大きさはどの位だったのか。素晴らしい。とても大きい恵み。奇跡の奇跡。本当の奇跡。人間は素晴らしい。人間という生物は素晴らしい。思い出してみると、脳という記録再生装置を再生してみると、人間という生物は素晴らしいと思うことはほとんど無かった。しかし、こうして日本人の発明意匠を見ていくと、いつも人間という生物は素晴らしいと思う。いつも感動し心が幸せになる。このような日本人の力は一体どこから発生して来るのか。「眼鏡に搭載できる超小形のディスプレイの技術」「眼鏡の横に搭載のディスプレイの画像を眼鏡の前に持って来る自由曲面プリズムの技術」「大容量で小形の電池の技術」も日本人しか作ることができなくこの技術も日本人が持っているため、今もスマートグラスを製造販売しているのは日本人だけである。上に掲載の鳥の墨画の作者は日本人男性の若冲。

 

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 日本を応援しているようなブログをやっている日本人は自分以外の人にこのようなブログをやっていることを絶対に言ってはいけません。このようなブログに写真を掲載している場合も自分以外の人にこのブログの写真は自分が撮ったということを絶対に言ってはいけません。家族にも絶対に言ってはいけません。またバスや電車などに乗っている時や店にいる時や街角にいる時もこのようなブログをやっていることが周囲の人に絶対にわからないようにして下さい。周囲の人がたとえ車掌や子供と一緒の主婦や中学生だとしても絶対にわからないようにして下さい。このようなブログをやっている日本人はインターネットをやっている時はやっているコンピューターにカメラがついてる場合はカメラをテープなどで塞いで下さい。このようなブログをやっている日本人は大事なことを語る際はコンピューターを送受信できない状態にして下さい。たとえ何かのアプリをアップしなくても録音状態にしなくても送受信できる状態では常にコンピューターのマイクから音声がどこかに届いていることはどうでしょうか。
 日本を応援しているようなブログをやっている日本人は詐欺に注意して下さい。周囲の人が高校生や子供と一緒の主婦だとしても絶対に注意して下さい。もし近づいて来たら弱い人だと思われたくないと思わないで自分から離れて下さい。周囲の人から離れることができないくらい混む乗り物に乗らないようにしたり周囲の人から離れることができないくらい混む所に行かないようにして下さい。たとえ目の前で二輪車に乗った人が倒れて倒れた人の鞄が道に落ちたとしても絶対に拾ってはいけません。ATMの機械が1つだけの銀行ATMに入る際は人が完全にいないか確かめてから入るようにして下さい。このようなATMやコンビニのATMを使用の際は周囲に人がいないか何度も確かめたりカードを入れる時と出す時と番号を入力の際はカードと画面を隠して下さい。夜の駅や電車などで寝てしまっている人を助けようと起こす際も絶対に触って起こしてはいけません。家族以外の人に「私のコンピューターを自由に使用してもいいですよ」と言われてもそのコンピューターが修理しなくていい完全品だとわかっても使用しないようにしましょう。インターネットで何かを買う際はたとえ人口が少なく宅配便の利用者がほとんどいない田舎だとしても宅配日時が遅れることもあることや買う物を見て買うわけではないので完全品ではないものも送って来ることもあるということを前提に買いましょう。
 日本を応援しているようなブログをやっている日本人は飲食店に行かないようにしましょう。飲食店も全ての店が本物の日本人が経営しているでしょうか。楽しそうに見える飲食店だとしても飲食店の客も全ての客が本物の客でしょうか。このようなブログをやっている日本人は食料品店で食料品を買う際も注意して下さい。日本で生まれて日本人に似ている外国人が日本語と日本名で食料品店や食料加工工場に侵入していてこのようなブログをやっている日本人がよく買う食べ物を調査していてこのような食べ物に何かを入れるということはどうでしょうか。
 今は非常事態なのです。日本人の技術力と日本人の発展力に妬んだ外国人がいろいろなことをしようと考えることはどうでしょうか。このような外国人は「日本を応援しているようなブログ」が好きでしょうか。このような外国人は「日本を応援しているようなブログをやっている日本人」のことが好きでしょうか。このような外国人はどの日本人がこのようなブログをやっているか探しこのような日本人にいろいろなことをしようと考えることはどうでしょうか。このようなことをしようと考えるのは外国人だと思わせない為にこのような外国人は「外国人は外国人でも日本人に似ていて日本語と日本名も使う外国人」であることはどうでしょうか。
 日本人に似ていて日本語と日本名を使う人だとしてもパスポートや戸籍謄本で本物の日本人か帰化した日本人か外国人かを確かめるまでは本物の日本人と絶対に信じてはいけません。今後は国籍を確かめることは「外国に入る時と外国から自分の国に入る時」だけではなく「就職の時と人事の時と入会の時」においても世界規模で行うようになるでしょう。しかし日本人のとある組織はどの在日外国人が日本に何年住んでいて日本のどこに住んでいて日本でどういう名前で生活していて日本でどういう活動をしているのかわかっています。

 人に妬まれるほどの「素晴らしい自然の顔」はどんなにお金があってもどんなに頑張っても得ることができません。人に妬まれるほどの「素晴らしい自然の顔」はその顔をした人が若い時にとてもたくさんの人を愛したり若い時にとてもたくさんの自分が願っていない苦労したりその顔をした人の先祖がとてもたくさんの自分が願っていない苦労をした結果なのです。
 人に妬まれるほどの「素晴らしい発明」はどんなにお金があってもどんなに頑張っても得ることができません。人に妬まれるほどの「素晴らしい発明」はその発明をした人の国もしくはその発明をした会社の国がとてもたくさんの人を許したりとてもたくさんの自分が願っていない苦労をした結果なのです。
 もしイエスキリストが十字架というとてもたくさんの自分が願っていない苦労をしていなかったら最も美しい建物であるイエスキリストの為の建物「教会」を世界の人たちがたくさん建立したりしたでしょうか。
 イエスキリストと日本人は世界で最も人から迫害を受けた歴史を持っているのです。この歴史は永遠の宝なのです。イエスキリストと日本人は世界で最もたくさんの人を許した歴史を持っているのです。この歴史は永遠の宝なのです。イエスキリストと日本人は世界で最もたくさんの自分が願っていない苦労をした歴史を持っているのです。この歴史は永遠の宝なのです。あなたのその涙は神様の涙なのです。神様は日本人のことが大好きなのです。イエスキリストは日本人のことが大好きなのです。神様とイエスキリストは日本人のことが大好きであることは本物の日本人を見た瞬間にわかるのです。子供は親を愛さなくても親は子供を愛しているように人間は神様とイエスキリストを愛さなくても神様とイエスキリストは人間を愛しているのです。

  日本人の会社の外国拠点や日本人学校や日系人の会などの外国にある日本人の組織においても「日本人に似ている外国人によるわからない侵略」を気をつけないとならないのです。永遠に気をつけないとならないのです。責任者の人事などにおいても必ず国籍をパスポートや戸籍謄本で確かめましょう。
 祖父の代から日本に住んでいて日本人に似ていて日本に帰化した外国人だとしても外国人は日本のテレビ局で働くことはできません。祖父の代から日本に住んでいて日本人に似ていて日本に帰化した外国人だとしても外国人は日本の新聞社で働くことはできません。祖父の代から日本に住んでいて日本人に似ていて日本に帰化した外国人だとしても外国人は日本の公務員になることはできません。日本に帰化したら本物の日本人と同じことができるようになるわけではありません。日本人になる為の帰化ではなく日本侵略の為の帰化である可能性もあるからです。
 祖父の代から日本に住んでいて日本人に似ている外国人は日本に住むことよりも自分の国に住むことを考えましょう。祖父の代から日本に住んでいて日本人に似ている外国人は日本で頑張ることよりも自分の国で頑張ることを考えましょう。
 日本人の大きい会社は日本人の小さい老舗の後継ぎが日本人に似ている外国人にならないように監視と支援をよろしくお願いします。
 外国人が日本のお寺や神社の敷地に住んで何十年も日本のお寺や神社の管理をしても日本のお寺や神社は日本人のものです。外国人が何十年も日本で農業をしても日本の農地は日本人のものです。
 神様はお寺や教会にしかいないわけではないのです。神様はどこにでもいるのです。先祖はお墓にしかいないわけではないのです。先祖はどこにでもいるのです。先祖は住職にお経を上げてもらうと喜ぶでしょうか。先祖が最も喜ぶことは先祖の血縁者によるお金や職業とは全く関係のない心からの祈りや行動なのです。神様や先祖などの霊はお金や職業とは全く関係ないのです。