捻線建築と綱吊屋根建築も日本人の発明

 

 

 

    神の傘

    捻線建築は「平成17年2005年登場のスウェーデンのターニングトルソ」「平成18年登場のスペインのHotelーMarques ーdeーRiscal」「平成23年登場のアラブ首長国連邦のキャピタルゲートビル」などのような建築です。捻線建築を見るようになったのは最近です。しかし、日本人は今から58年も前に捻線建築を造っていました。世界初捻線建築「日本国立代々木競技場」昭和39年1964年登場。捻線も曲線の一種、円形も曲線の一種と言えますが、円形建築と曲線建築は58年前よりももっと昔からあります。今から1400年も前の建築「日本の法隆寺」は屋根の裾の線や屋根の天辺の線が曲線ですから曲線建築ですし、今から3500年も前の建築「イタリアのSUーNURAXI」は円形建築で曲線建築、ガスタンクも円形建築です。曲がった角度が不規則だけではなく曲がった方向も不規則なのが捻線(捻れた線)です。日本国立代々木競技場は2本の縄或いは2本の綱のようなものが地から天に向かって伸びている或いは天から地に垂れ下がっているのも特徴で、この部分だけでも素晴らしい意匠でかっこいいですが、日本国立代々木競技場は世界初綱吊屋根建築でもあり、日本国立代々木競技場は当時世界最広無柱屋内空間でもあります。日本人は「とても広くて屋根があって屋内だけど柱が無い空間」「ただの曲線建築ではなくちょっと変わった珍しい新しい曲線建築の捻線建築」を造る為に綱吊屋根を発明しました。日本国立代々木競技場は2本の綱(ケーブル或いはワイヤー)で屋根を吊っていて、2本の屋根吊ケーブルは2本の柱(主塔)で支えています。主塔は屋外からはここが主塔だとはっきりわかる意匠或いは構造になっていて、この特徴を最も大きくしているのは「主塔の高さは屋根の高さよりも全然高い」ということでしょう。屋根吊ケーブルは1本の太さ33cm、1本は37本のケーブルの束、主塔の高さ40m、1本の縄で屋根を吊っているのではなく2本の縄で屋根を吊っている理由は「屋根を吊ることは屋根を引っ張ることでもあり吊るものが非可動部材(非可曲部材)の棒ではなく可動部材の縄で縄が屋根の中央にあり屋根を左右から吊ると縄が歪みやすく特にこの建物のような大屋根だとそうだから一筋縄ではいかない」からで、更に2本の屋根吊ケーブル(メインケーブル)は最も歪みやすい中央の部分の最も主塔から遠い部分へ段々と間隔を広くし更に歪みを減らすようにしています。このように、メインケーブルは2本の間隔が空いているためこの部分にも屋根を設置、この部分の第2屋根(メインケーブルの上に設置の屋根)の小屋根と主塔も可動部材の制振油圧ダンパーでつないでいてむしろ屋根が振れるように(動くように)してあり、むしろ屋根が振れるようにしてある理由はむしろ屋根の振動を減らす為で、制振油圧ダンパーは振れて動くことで制振、このダンパーは制振の役目だけではなくより確実に二重に屋根を支える役目もあり、メインケーブルは屋根の部分(2本の主塔の間の部分)は屋内からも屋外からも見えなく、ダンパーも屋内からは見えませんが屋外からは見える意匠或いは構造になっていて、より綱吊屋根の特徴を出しています。日本国立代々木競技場の大屋根と小屋根は屋根の表面はつながっていないですし、大屋根の縞模様は縦線ですが小屋根の縞模様は横線ですから、小屋根は屋根の上に更に屋根が乗っている越屋根という日本建築の屋根にも見えますし、越屋根は換気の為や採光の為や装飾の為に設置しますが、昔は小屋根の横線の間が硝子になっていて天井からも自然光が入っていたそうですが、縦線では硝子に庇を造ることができないということで横線に、もしくは、長くて雄大な屋根の部分のメインケーブルと同じく横線にしてこの部分の見えないメインケーブルを表現したのでしょうか。日本国立代々木競技場登場以前(昭和39年以前)から吊屋根建築はあり、世界初吊屋根建築は「昭和33年登場のアメリカのIngallsーRink」だと思いますが、この建物は綱で屋根を吊っているのではなくコンクリートの棒で屋根を吊っている棒吊屋根建築で、この建物は固定座席3500席、日本国立代々木競技場は固定座席8636席で下段舞台(アリーナ)にも座席を4124席設置でき、1万3千人を支える屋根をたった2本の柱で支えています。しかし、この2本の柱は屋内においても全く意匠の1つになっていないわけではなく、屋内においても柱が全くわからないわけではありませんが、会場においても会場以外においても屋外の入口付近においても柱がほとんどわからない意匠あるいは構造そして工夫をしています。   

   天と地をつなぐ

   日本国立代々木競技場は建物周辺も変わった形をしていますが、建物周辺も建物と同じくらいとてもお洒落でかっこいいです。「1本から多方向に不規則に伸びていて長さも全て違うから植物のようであるが曲線がなく直線だけの屋外照明」「幅が広くて中央分離帯があり立体だから高速道路のようであるが曲線がなく直線と直角だけの歩道」もかっこよく、逆に建物周辺は直線意匠になっていますが、立体歩道の中央分離帯にある照明だけは曲線意匠で、この照明は昔(日本国立代々木競技場ができた当時から平成になる前まで)の大きい道路によくあった「鳥が羽を広げたような意匠の照明」ですが、支柱の高さは道路の照明よりも低いのが特徴で、低い理由は「道路ではなく歩道であることを照明の高さで表現或いは表示した」のでしょう。僕は初めて日本国立代々木競技場の上から撮った写真を見た時、日本国立代々木競技場の大きい方の建物は上から見ると縄文時代からの日本古来の紋章「二つ巴」に似ていると思いました。二つ巴などの巴紋章は「とても簡素な意匠だがとてもたくさんの素晴らしい意味を持っている意匠」「とてもはっきりした意匠」「強い意匠だが親近性のある意匠」「大人のような確固たる豊富な意匠でもあり子供のような飾り気のない純粋な意匠でもある」「大人の為の意匠でもあり子供の為の意匠でもある」「真面目な意匠だが楽しい意匠」ということを感じます。外国の紋章の方が細かく、外国の紋章も日本の紋章も植物や生物などの地球にあるものを意匠にしていることがほとんどですが、巴紋章は地球にない意匠で意匠性がとても高いと思います。日本国立代々木競技場は立体歩道の側面もそうですが日本の城の石垣のようになっている部分もあり、城の石垣の上に建物が建っているように見える場所もあるため、日本国立代々木競技場は日本の城のようでもありますし、主塔のケーブルの部分から左右に芽や枝のように上に出ているものは日本の神社の屋根の千木のように見えますし日本の神社の屋根の曲線は盛曲線の逆の掘曲線で日本国立代々木競技場の屋根の曲線も富士山の曲線のような掘曲線ですから、日本国立代々木競技場は日本の神社や富士山のようでもあり、窓が横にたくさん並んでいる建物の側面の部分は外から見ますと丸くて薄くて浮いているので、日本国立代々木競技場はUFOのようでもあり、日本国立代々木競技場は船のようでもあり、日本国立代々木競技場は「古いものと新しいもの」「平地と山地」「水面と地面」「地球と宇宙」「現実と非現実」「昔と未來」「天と地」を見事につないでいます。日本国立代々木競技場の建物全体或いは小屋根が船のように見える時、主塔は帆柱や和船水押のように、千木のような部分は帆桁のように、ケーブルは静索(和船水縄や帆船シュラウド)のように、大屋根は帆或いは水面のように見えます。一番下に掲載の紫色の夕陽空の写真のすぐ上に掲載の写真は日本国立代々木競技場の「立体歩道と中央分離帯」「立体歩道の中央分離帯にある鳥が羽を広げたような意匠の屋外照明」が左に、右に「丸くて薄くて浮いている部分」が写っている写真です。日本国立代々木競技場は建物が大小の2棟あり、2棟の設計と意匠は大正2年1913年9月4日誕生の日本人の丹下健三が、大きい方の建物の施工は清水建設が、小さい方の建物の施工は大林組が担当しました。小さい方の建物も綱吊屋根建築ですが、小さい方の建物はケーブルが1本で屋根が左右になく小屋根もありませんが捻線部分は小さい方の建物の方が多いです。だから「大きいのが小さくなった」「小さいのが大きくなった」「大きくなったり小さくなったりしている」という変動や連動が不思議と大小2棟の建物という不動から感じます。清水建設は天明3年1783年誕生の日本人の清水喜助(しみずきすけ)が文化元年1804年に創造した日本人の会社、大林組は元治元年1864年9月14日誕生の日本人の大林芳五郎が明治25年1892年に創造した日本人の会社です。日本国立代々木競技場ができた昭和39年1964年は新幹線0系が開通した年でもあります。新幹線第1号の新幹線0系は世界初超高速電車(時速200キロ超の電車)であり、新幹線0系は当時世界最速時速210キロの電車でもあります。更に日本人は1964年以後「薄くて低電力で電池が長持ちの表示体の液晶」「液晶電卓」「液晶テレビ」「透明液晶」「透明テレビ」「液晶映写機」「撮影部分と記録部分が一体のビデオカメラ」「現像しなくてもいいカメラ」「何回再生しても音質が変わらない奇跡の光ディスク式装置」「3Dプリンター」「電球形蛍光灯」「ノートパソコン」「ハイブリッド自転車」「ハイブリッド自動車」「LED照明」「有機ELテレビ」「有機EL照明」「リチウムイオン電池」などなどを創造、そして、日本人は2027年に世界初時速500キロの電車を創造します。