TEŞEKKÜR EDERİM
令和6年2024年12月3日から2024年12月8日、日本国王の秋篠宮文仁親王は初めてオスマントルコを訪問、このご訪問で秋篠宮文仁王殿が最初にお会いした人はトルコ人男性 Yalcin Mumcu。さぞかしこの異例の素晴らしい配慮をトルコ大統領エルドアン大統領 Recep Tayyip Erdoğan もご納得だったでしょう。Yalcin Mumcu は2011年3月に日本で発生の震災のトルコ人救援隊の隊長として来日、トルコ人救援隊32人はテントで3週間宿泊し救援活動して下さいました。
2024年12月3日の朝8時、秋篠宮文仁さま東京のご自宅を出発、羽田空港で日本国飛行機に搭乗、3日のトルコ時間の夕方にトルコの首都アンカラはエセンボーア国際空港 Esenboğa Havalimanı に到着、アンカラのホテルに宿泊、翌日4日の正午前に同ホテルで Yalcin Mumcu とお会いし握手、すぐ上に掲載の写真がこの時のご様子です。この時 Yalcin Mumcu 61歳。Yalcin Mumcu の右の男性は日本国駐トルコ特命全権大使の勝亦孝彦。
トルコ人男性 Yalcin Mumcu 2022年
トルコ人男性 Yakup Canbolat 右 2024年8月
今 Yalcin Mumcu はトルコの災害緊急管理 AFAD = Afet ve Acil Durum Yönetimi のアイドゥン県 Aydın ili の局長。Yalcin Mumcu が最初に救援活動をしたのは1999年8月にトルコで発生の震災でしょう。2023年2月にトルコとシリアで発生の震災では日本人救援隊75人と日本人医療隊181人が救援活動を行いました。また、トヨタやソニーやパナソニック等の日本人の会社も経済面で支援。日本とトルコの時差は6時間、日本とトルコの飛行渡航時間は12時間前後、トルコの国土面積は日本の2倍、トルコには81も県があり、東京都も単に東京と言うことが多いように、アンカラ県も単にアンカラと言うことが多いようです。
上に掲載の金色の正方形のものはトルコ人が19世紀に日本人への贈り物として製作した「金の刺繍の卓被(卓上を被う布)」です。トルコ人は明治23年1890年6月に船で日本に来た時にこの卓被を日本人代表の睦仁国王に捧げました。今この卓被は皇居の博物館に収蔵/展示していますが2022年に和歌山県立博物館でも展示したことがあります。最初に掲載の秋篠宮文仁王殿の写真は2024年12月6日午前11時にトルコのイスタンブールにありますチュラーン宮殿で撮影の動画から撮影。
2024年12月4日の午後、秋篠宮文仁王殿は首都アンカラにありますトルコ大統領府 Cumhurbaşkanlığı Sarayı でトルコ大統領エルドアン大統領 Erdoğan とお会いし握手。曇り空でしたが青空のようにトルコ石のように美しい水色の絨毯を敷いて下さいました。絨毯の両側のたくさんの金色の棒も真っ直ぐに綺麗に並べて下さいました。上に掲載の建物がトルコ大統領府、秋篠宮文仁王殿ご到着直前の様子、この建物は2014年竣工、この建物は陸屋根のようですが方形屋根、建築家はトルコ人男性 Şefik Birkiye。トルコ人は1985年3月19日に在イラン日本人をイランでの戦争から救援の為にイランのテヘランにトルコ航空機を用意して下さいましたこともあります。この航空機の機長はトルコ人男性 Orhan Suyolcu です。
トルコ人男性 Cevdet Yılmaz 2024年12月7日
משכןאלוהים
2024年12月5日、礼宮(あやのみや)さま/秋篠宮文仁王殿はトルコのイスタンブールにありますジャーミ Camii「アヤソフィア」を訪問。すぐ上に掲載の写真はアヤソフィアのキリストのモザイク壁画の下でのご様子。1945年8月に原爆という世界一の苦労をした日本人、その代表者がアヤソフィアに来たことにキリストも驚いたことでしょう。日本人の特異な霊的雰囲気はイギリスのチャールズ国王即位式にご出席の秋篠宮文仁王殿からも伝わって参りました。日本人はどこの国の人とも似ていない世界唯一の人種。また、日本人はどこの国の人とも似ている世界唯一の人種。
最初アヤソフィアは教会(キリスト教の礼拝堂)でしたが今はジャーミ(イスラム教の礼拝堂)です。しかし、このようにキリストの壁画は残してあることは素晴らしいことだと思いますし、キリストはイスラム教徒も無宗教徒も永遠に愛していくことでしょう、ご飯が好きな子供もパンが好きな子供も同じように愛していく親のように。
Ertuğrul Fırkateyn Mürettebat 1889年
Yalcin Mumcu 2024年12月4日
日本の東北地方での震災救援活動 2011年3月
私の親を奪った海が憎い
私の子を奪った海が憎い
私も一緒に死ねばよかった
私は涙という塩水を流す
海よりもたくさんの
私の親は海の天使
私の子は海の天使
私の親は海に帰った
私の子は海に帰った
ただいまと
波の音は私の親の歌
波の音は私の子の歌
いつも海にいるよと歌ってる
私の分も長生きして下さいと歌ってる