

空に描く自由な夢の道と無限の愛の道
日本に住んでいる1億2000万人の日本人の皆様、日産90周年おめでとうございます。ブラジルに住んでいる200万人の日本人の皆様、日産90周年おめでとうございます。アメリカに住んでいる200万人の日本人の皆様、日産90周年おめでとうございます。ハワイに住んでいる30万人の日本人の皆様、日産90周年おめでとうございます。カナダに住んでいる17万人の日本人の皆様、日産90周年おめでとうございます。中国に住んでいる15万人の日本人の皆様、日産90周年おめでとうございます。ペルーに住んでいる10万人の日本人の皆様、日産90周年おめでとうございます。オーストラリアに住んでいる10万人の日本人の皆様、日産90周年おめでとうございます。アルゼンチンに住んでいる8万人の日本人の皆様、日産90周年おめでとうございます。イギリスに住んでいる7万人の日本人の皆様、日産90周年おめでとうございます。ドイツに住んでいる5万人の日本人の皆様、日産90周年おめでとうございます。フランスに住んでいる4万人の日本人の皆様、日産90周年おめでとうございます。メキシコに住んでいる3万人の日本人の皆様、日産90周年おめでとうございます。台湾に住んでいる2万人の日本人の皆様、日産90周年おめでとうございます。イタリアに住んでいる1万人の日本人の皆様、日産90周年おめでとうございます。外国に住んでいる日本人の皆様、日産90周年おめでとうございます。日産自動車は日本人男性が昭和8年1933年に創業の日本人の会社です。

日本人男性の鮎川義介(あゆかわよしすけ/明治13年1880年誕生)は明治43年1910年に福岡県北九州市戸畑区にアジア初の可鍛鋳鉄(かたんちゅうてつ)製作所「戸畑鋳物(とはたいもの)」創業。当初、戸畑鋳物は継手という配管部品を製作。日本人男性の橋本増治郎(はしもとますじろう/明治8年1875年誕生)は1911年に東京都渋谷区広尾に自動車会社「快進社」創業。快進社は1914年に快進社自動車1号「ダット/DAT」創造、DATは快進社に出資した3人の日本人男性「田健次郎(でんけんじろう)」「青山禄郎」「竹内明太郎」の名字のローマ字の頭文字。すぐ下に掲載の自動車が1914年登場ダット。
DATは世界初デジタルポータブルレコーダーの規格でもありますデジタルオーディオテープとしても有名です。世界初デジタルポータブルレコーダー/世界初ポータブルDAT「カシオDA-1」昭和62年1987年7月登場。今のレコーダーはポータブルも非ポータブルも全てフラッシュメモリ式レコーダー、フラッシュメモリ式レコーダーはデジタルレコーダー、ですから、カシオDA-1は今のレコーダーの祖先です。世界初DATは1987年3月登場「エクセリア/アイワXD-001」です。今はDATは製造していませんが、DATのウォークマンやDATのカーオーディオも登場、DATはCDと同じくテープやレコードよりも明らかにいい音で到成した音でした。

橋本増治郎の快進社は大正14年1925年に「ダット自動車」創業。すぐ下に掲載の人物が橋本増治郎。鮎川義介の戸畑鋳物は昭和8年1933年12月26日に神奈川県横浜市神奈川区に自動車製作部門創設。戸畑鋳物は1934年に社名を「日産自動車」にしました。日産自動車の誕生です。しかし、日産自動車は1933年12月26日を創業の年で創業の日としています。戸畑鋳物は1931年にダット自動車を買収しましたが、戸畑鋳物は1931年にダット自動車としてダットソン/DATSON創造、このダットソンがダットサンの起源、当時の日本はSONをソンと言っていたようで、後に、DATSUN/ダットサンに変わり、SUNはスンではなくサンと言うように、SONもソンではなくサンと言うように変わりました。日本人は1980年代までダットサンをたくさん製造、日産の名車「サニー」「ブルーバード」も最初はダットサン、ブルーバード1号「ダットサンブルーバード310」1959年登場、サニー1号「ダットサンサニー1000」1966年登場。

昔、人類は、薪を燃やして薪が煙という排気を出してご飯を作っていましたが、今、人類は、電気で排気を出さないでご飯を作るのが当たり前のように、従来、人類は、ガソリンを燃やしてガソリンが排気ガスを出して自動車や飛行機や船を乗っていましたが、今、人類は、電気で排気を出さないで自動車や飛行機や船を乗るのが当たり前を目前としています。下に世界初量産電気自動車の写真を掲載、世界初量産電気自動車も日本人の会社の発明、東京電気自動車の発明、東京電気自動車は2人の日本人男性「田中次郎(大正6年1917年誕生)」「外山保」が世界初量産電気自動車を創造と同時に創業、東京電気自動車は昭和27年1952年に社名をプリンス自動車に改名、プリンス自動車は昭和41年1966年に日産と合併、1980年代までは単に日産という会社だけではなく日産プリンスという会社もありました。初期の電気自動車の充電池は鉛蓄電池、日本人男性の二代目島津源蔵が易反応鉛粉式鉛蓄電池という低価格で普及形で量産形の鉛蓄電池を発明により電気自動車が量産化できたと思います。すぐ下に掲載の写真は1934年撮影、左3人目が鮎川義介、右の自動車は1934年登場ダットサン2号/日産ダットサン1号/日産自動車1