青色LEDも日本人の発明

     高輝度青色LEDの発見よりは駱駝が針の穴を通る方が容易い

    日本人男性 赤崎勇 昭和4年誕生 窒化ガリウムの父 青色LEDの父

    つゆくさの 青は白くも 変えぬとも 

    日本人男性 中村修二 昭和29年誕生 青色LEDの父 

    令和5年6月1日午前5時22分撮影

 

    日本人男性は発明王

    塗料は赤色と緑色と青色の3色を合わせても白色にならないしこの3色だけで全ての色を作ることができないが、光はこの3色(光の3原色/RGB)を合わせると白色になるしこの3色だけで全ての色を作ることができる。高輝度赤色LEDと高輝度緑色LEDは日本人の西澤潤一が昭和49年1974年に作った。高輝度青色LEDを作ることができたら高輝度白色LEDと高輝度電球色LEDができLED照明ができる。照明はある程度高輝度でないとならない。照明は白色か電球色でないとならない。また、高輝度青色LEDを作ることができたら高輝度全色発光LEDができLEDディスプレイができる。ディスプレイもある程度高輝度でないとならない。ディスプレイは全色発光でないとならない。LEDは白熱電球や蛍光灯よりも長寿命/小電力/低発熱/小容積。LED照明ができたら白熱電球や蛍光灯よりも素晴らしい照明ができる。世界の技術者が高輝度青色LEDを作ろうとした。世界で初めて高輝度青色LEDを作った人は昭和29年1954年5月22日誕生の日本人男性の中村修二。世界で初めて高輝度青色LEDを製造販売した会社は日亜化学工業日亜化学工業は明治45年1912年7月9日誕生の日本人男性の小川信雄が昭和31年1956年に創業の日本人の会社。世界で初めて高輝度青色LED製品を販売した年月日は平成5年1993年12月13日。中村修二は昭和54年1979年に日亜化学工業に入社。中村修二日亜化学工業での活躍で日本での活躍は平成11年1999年までとし、平成12年に外国に移住し世界進出。高輝度青色LEDは窒化ガリウムサファイア基板により実現できたのであるが、昭和4年1929年1月30日誕生の日本人男性の赤崎勇は昭和49年1974年に世界で初めて窒化ガリウムを製造、赤崎勇は昭和53年1978年に世界で初めて窒化ガリウム式青色LEDを製造、この青色LEDは当時世界最高輝度を達成。しかし、まだ、照明やディスプレイに応用できるほどの高輝度ではなかったし、発光電圧非一定の問題もあった。赤崎勇は昭和39年1964年から所属していた松下電器東京研究所から名古屋大学に昭和56年1981年に移動し高輝度青色LEDの研究を続けた。赤崎勇と中村修二の高輝度青色LEDの研究においての心情面の共通点は「孤独」と孤独とは真逆の「協力者」であった。LED照明(白色LEDと電球色LED)は初期のものから光の3原色の3色のLEDを合わせて白色や電球色にしているのではなく、青色のLEDに黄色の蛍光体を合わせて白色や電球色にしている。たから、灯っていない時の発光体(発光素子)の色は黄色。青色のLEDに濃い黄色の蛍光体を合わせると電球色になる。蛍光体式の方が低価格で発光効率がいい。液晶ディスプレイのLEDバックライトの白色LEDも蛍光体式。しかし、蛍光体式は「発光できる色は白色か電球色」で全色発光できなく、ディスプレイには応用できない。だから、三菱オーロラビジョンなどのLEDディスプレイは非蛍光体式(3色式)であるが、3色式の照明もあるにはある。LED照明の登場よりもLED信号機の登場の方が早かった。理由は、高輝度白色LEDや高輝度電球色LED(LED照明)を作るよりも高輝度青緑色LEDを作る方が早かったからであろう。世界初LED信号機平成6年1994年7月登場。世界初LED信号機は方向信号(矢印信号)のみLEDだった。方向信号の光は青緑色。信号機は光を照らし報せるものであるから、信号機も照明のようなものであるが、信号機には白色の光と電球色の光はない。信号機には青色の光もない。信号機の青は青色ではなく青緑色。3ヶ月後の平成6年1994年10月21日に世界初発進信号(3色信号)がLEDの信号機が日亜化学工業の発祥の地の徳島県に登場。世界初LED発進信号のLEDを製作したのも日亜化学工業。今では自転車歩行者用信号機もLEDである。信号機は24時間365日灯っている。信号機は高い位置にある。LEDは白熱電球よりも長寿命/小容積。LED信号機は白熱電球信号機よりも交換が少なく設置も見た目も軽い。LEDは「光がはっきりしていて光が綺麗」という特徴もある。LED信号機は薄くて平らでかっこいい。日本人は液晶テレビを発明しテレビを薄く平らに成したが、日本人は青色LEDも発明し信号機も薄く平らに成した。平成はテレビと信号機が薄く平らに成った時代。日本人はブラウン管も平成時代に平らに成した。平面ブラウン管も高輝度青色LEDと同じく世界の技術者が「作ることができない」と言っていたもの。信号機の発光体はLEDの前は白熱電球だった。白熱電球信号機は1個の光源で光を反射拡散し発光面全体を照らしていたが、LED信号機はたくさんの光源で発光面全体を照らしているため明るいから、LED信号機は庇がないもしくは庇が小さいのも特徴。薄くて平らで庇がないと積雪の問題がないし庇が発光面を遮る問題もない。新しい照明で白熱電球や蛍光灯よりも素晴らしい照明というとLED照明ともう1つ、有機EL照明。有機ELにおいても高輝度有機ELの製造が大変だったが、有機ELにおいては白色の有機ELができる前から光の3原色の3色の有機ELができていたが、有機ELはこの3色を合わせても白色を作ることができない発光体だった。有機EL照明もLED照明と同じく青色の有機ELに黄色の蛍光体を合わせて白色や電球色にしている。たから、有機EL照明もLED照明と同じく灯っていない時の発光体の色は黄色。白色有機ELがなくても青色の有機ELと黄色の蛍光体で白色有機ELと電球色有機ELができるのであるが、有機EL有機ELのディスプレイを創造したかったため、白色も全色作ることのできる光の3原色の3色の有機ELを創造。有機ELディスプレイを創造したかった理由は、液晶ディスプレイは小電力/低発熱/小容積だが「ブラウン管ディスプレイは画面を横から見たり上から見たりした際も本来の画像で視野角180度だが液晶ディスプレイは画面を横から見たり上から見たりした際は本来の画像ではなく視野角が180度なく視野角が広くない」「窓のブラインドは角度を変えて外光を遮るように液晶ディスプレイも液晶分子の角度を変えてバックライトの光を遮って暗い映像や黒い映像を作るが液晶分子も真っ暗や真っ黒にはできないから明暗比が高くない」という液晶ディスプレイの問題点の解決の為である。世界で初めて白色も全色作ることのできる光の3原色の3色の有機ELを作った人で世界で初めて白色有機ELを作った人は昭和34年1959年2月11日誕生の日本人男性の城戸淳二。城戸淳二が世界で初めて白色有機ELを製造した年は日亜化学工業が世界で初めて高輝度青色LED製品を販売した年と同じ平成5年1993年。世界初有機ELディスプレイは「平成13年2001年登場岩垂邦彦日本電気N2001携帯電話のディスプレイ(2.2形画面/テレビチューナー非搭載)」「平成19年2007年登場井深大盛田昭夫ソニーXEL1(11形画面/テレビチューナー搭載)」である。城戸淳二が世界で初めて作った白色も全色作ることのできる光の3原色の3色の有機ELは蛍光発光式。蛍光発光式は輝度が十分ではなく、日本電気N2001の有機ELディスプレイも輝度が十分ではなかった。平成18年2006年にコニカミノルタが世界で初めて青色燐光を製造。赤色燐光と緑色燐光は青色燐光登場前からできていた。青色燐光登場で3色が揃い燐光発光式の白色も全色作ることのできる3色の有機EL登場。燐光発光式は輝度が十分。ということで、翌年の平成19年に輝度が液晶ディスプレイ並みで輝度が十分の有機ELディスプレイのソニーXEL1登場。そして、平成23年に世界初有機EL照明「三井三菱ルミオテックHANGER/VANITY」登場。青色燐光も高輝度青色LEDと同じく世界の技術者が「作ることができない」と言っていたもの。有機ELディスプレイは世界初の有機ELディスプレイ(ソニーXEL1)から「視野角180度」「明暗比100万1」である。しかし、日本人は有機ELディスプレイのように広視野角で高明暗比の液晶ディスプレイも創造。世界初視野角180度明暗比100万1液晶ディスプレイ「ソニーKDL55XR1」平成20年登場。液晶ディスプレイの高明暗比化はただ一面だったバックライトを画素のように細かく制御できるようにし真っ暗い部分は消灯などにより成功。最近はミニLEDという液晶ディスプレイもあるが、ミニLED式液晶ディスプレイは制御式バックライトのLEDが従来よりもミニ。画素が小さく細かいほど高画質のように、バックライトのLEDも小さく細かいほど更に高画質。世界初ミニLED液晶ディスプレイ「早川徳次シャープ4TC65DP1/4TC55DP1」令和3年2021年12月10日登場。日本人はミニLED液晶ディスプレイ創造前からマイクロLEDディスプレイ創造。世界で初めてマイクロLEDディスプレイを作ったのはソニー厚木。ソニーは世界で初めてマイクロLEDディスプレイの実用試作品を平成24年2012年に製造。有機ELは蛍光灯と同じく面発光だからスポットライトにできない。LEDは白熱電球と同じく点発光だが、非制御式LEDバックライトはただ一面の面発光のように、LEDは拡散板で面発光にもできる。ディスプレイ(テレビ)はブラウン管ディスプレイも有機ELディスプレイも全てとても細かいモザイクの1つ1つ(画素)の色や色の濃さ(色の明るさ)を変えて映像を作る。動いている映像も動いているのではなく画素の色や色の濃さを変えて動いているように見せている。映像装置は「プロジェクター/映写機/投映式映像装置/スクリーンと投映装置の2体式映像装置」と「テレビ/ディスプレイ/モニター/自映式映像装置/単体式映像装置」の2種類。テレビは「テレビチューナーを搭載の映像装置」「受信している映像(テレビ放送の映像)という遠い所の映像を見る装置」で、ディスプレイとモニターは「テレビチューナーを非搭載の映像装置」「パソコン用やビデオ用やカメラ用の映像装置」「パソコンで入力している映像やビデオで再生している映像やカメラで撮影している映像という近い所の映像を見る装置」である、ということが多い。テレビ = テレ + ビジョン = TELE(遠い所を)+ VISION(見る)である。しかし、テレビもディスプレイもモニターも映像装置、だから、テレビもディスプレイまたはモニター、ディスプレイとモニターもテレビ、でもあるし、プロジェクターも映像装置、だから、プロジェクターもテレビ、と言えないこともない。LEDディスプレイと有機ELディスプレイは自発光ディスプレイ。自発光ディスプレイは画素そのものが発光体。LEDディスプレイと有機ELディスプレイがなかった時代も自発光ディスプレイはあった。この時代の自発光ディスプレイの発光体は単色ブラウン管/蛍光表示管/白熱電球。世界初自発光ディスプレイ「昭和43年1968年登場ソニーカラービデオパネル」の発光体は白熱電球。初期の三菱オーロラビジョンの発光体は単色ブラウン管。三菱オーロラビジョンは超大画面屋外ディスプレイ。初期の超大画面屋外ディスプレイというとソニージャンボトロン。ソニージャンボトロンの発光体は蛍光表示管。三菱オーロラビジョンについては日本父祖発明意匠では 2020年12月12日「屋外ディスプレイも日本人の発明」で記載。ソニージャンボトロンについては 日本父祖発明意匠2021年1月11日「ジャパンのジャンボなトリニトロンじゃ」で記載。有機EL日本父祖発明意匠2021年5月19日「有機EL表示装置も日本人の発明」』『日本父祖発明意匠2021年5月20日「白色有機ELも日本人の発明」などでも記載。日本父祖発明意匠の全ての頁の右上にある検索欄に「屋外ディスプレイ」「有機EL」「有機EL」とだけ入力し検索釦を押すとより早く探索できる。

 

            おめでとう日本のお父さん    
            ありがとう日本のお父さん  
            奇跡の国  世界一の国  日本 
奇跡の男  世界一の男  日本人の男

 

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日本人男性 西澤潤一 大正15年誕生
赤色緑色黄色LEDの父 レーザーの父
発明者は父で永遠

 

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日本人男性 西澤潤一 大正15年誕生
お言葉と自筆

 

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日本人の会社 日亜化学工業 昭和31年創業

                          

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世界初LED信号機
日亜化学工業  名古屋市役所前交差点信号機
方向信号(矢印信号)のみLED
平成6年1994年7月22日登場

 

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世界初LED主信号機
小糸工業 徳島県徳島市万代町2丁目5番地
平成6年1994年10月21日登場
           

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日本人男性 赤崎勇 昭和4年誕生 写真左
青色LEDの父 発明者は父で永遠

                                                                                       

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世界初液晶ディスプレイ
世界初ポータブル液晶ディスプレイ
世界初テレビ腕時計
世界初ラジオチューナーを搭載のディスプレイ
当時世界最小最薄最軽量ディスプレイ
精工舎T001DXA001DXA002
画面1.2形白黒バックライト非搭載反射形液晶
昭和57年1982年12月登場10万8千円

                                   

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世界初バックライト搭載液晶ディスプレイ
世界初カラー液晶ディスプレイ
世界初スピーカーを搭載の液晶ディスプレイ
世界2番目液晶ディスプレイ
精工エプソン ET−10 画面2形
 バックライトの発光体はLEDではなく蛍光灯
昭和59年1984年登場

 

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世界初LEDバックライト搭載液晶ディスプレイ
ソニー クオリア 005 KDX−46Q005
画面厚130.0mm 画素1920×1080
40形画面KDX−40Q005もある
平成16年2004年11月10日登場

           

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日本人男性 小川信雄 明治45年誕生
 日亜化学工業の父 創業者は父で永遠

青色LEDの父 発明者は父で永遠
日本人男性 中村修二 昭和29年誕生 
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世界初LEDヘッドランプ
レクサスLS600hのヘッドランプ
LEDヘッドランプは小糸製作所が製作
平成19年2007年5月登場

                     

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日本人男性 小糸源六郎 明治16年誕生
小糸製作所の父 創業者は父で永遠

            

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世界初LED電球
東芝 LEL−SL5N−F白色 SL5L−F電球色
長さ101外径066mm 口金E26
平成19年2007年12月20日登場 1万円

 

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日本人男性 赤崎勇 昭和4年誕生
青色LEDの父 発明者は父で永遠

 

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世界最薄LEDバックライト搭載液晶ディスプレイ
ソニー KJ−65X9000C
ソニーKJ−55X9000C
両機種 画面厚004.9mm 画素3840×2160
平成27年2015年10月24日登場

 

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日本人男性 松下幸之助 明治27年誕生
パナソニックの父 創業者は父で永遠

 

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日本人男性 赤崎勇 昭和4年誕生
青色LEDの父 発明者は父で永遠
記念教壇 2015年5月15日 86歳

 

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日本人男性 赤崎勇 昭和4年誕生
青色LEDの父 発明者は父で永遠

 

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東京駅丸の内口 照明は人間が創造した太陽