祝 つちやたびムーンスター 150周年

    この度、この旅、この足袋。

    日本に住んでいる1億2000万人の日本人の皆様、つちやたび月星靴ムーンスター創業150周年おめでとうございます。ブラジルに住んでいる200万人の日本人の皆様、つちやたび月星靴ムーンスター創業150周年おめでとうございます。アメリカに住んでいる100万人の日本人の皆様、つちやたび月星靴ムーンスター創業150周年おめでとうございます。ハワイに住んでいる30万人の日本人の皆様、つちやたび月星靴ムーンスター創業150周年おめでとうございます。中国に住んでいる15万人の日本人の皆様、つちやたび月星靴ムーンスター創業150周年おめでとうございます。イギリスに住んでいる7万人の日本人の皆様、つちやたび月星靴ムーンスター創業150周年おめでとうございます。ドイツに住んでいる5万人の日本人の皆様、つちやたび月星靴ムーンスター創業150周年おめでとうございます。フランスに住んでいる4万人の日本人の皆様、つちやたび月星靴ムーンスター創業150周年おめでとうございます。ベトナムに住んでいる2万人の日本人の皆様、つちやたび月星靴ムーンスター創業150周年おめでとうございます。台湾に住んでいる2万人の日本人の皆様、つちやたび月星靴ムーンスター創業150周年おめでとうございます。インドネシアに住んでいる2万人の日本人の皆様、つちやたび月星靴ムーンスター創業150周年おめでとうございます。イタリアに住んでいる1万人の日本人の皆様、つちやたび月星靴ムーンスター創業150周年おめでとうございます。外国に住んでいる日本人の皆様、つちやたび月星靴ムーンスター創業150周年おめでとうございます。つちやたび月星靴ムーンスター嘉永4年1851年誕生の日本人男性の倉田雲平(くらたうんペい)が明治6年1873年に創業の日本人の会社です。倉田雲平の家の家号は槌屋、倉田雲平は足袋の製造販売から出発、ということで、最初の社名で店名はひらがなで「つちやたび」で、社名は昭和24年1949年に「日華ゴム」に、昭和37年に「月星ゴム」に、昭和47年に「月星化成」に、社名はこの後「月星靴」「月星シューズ」に、令和5年2023年の今の社名は「ムーンスター」です。倉田雲平ムーンスターは今も日本製が多いということも特徴、日本製は昔よりも減りましたが、だから、日本製の価値は昔よりももっと高くなっています。倉田雲平ムーンスターの本社は倉田雲平の出生地の日本国の筑後国(ちくごのくに)は御井郡(みいぐん)という今の福岡県は久留米市にあります。

倉田雲平ムーンスターで最も有名な製品は「ジャガー Σ」でしょう。ジャガー Σは非常に軽いスニーカー、ジャガー Σ第1号重さ350g、ジャガー Σ第1号昭和55年1980年登場、ジャガー Σ第1号は1年で100万足を売上げたそうで、ジャガー Σは昭和55年から5年で1000万足を売上げたそうです。上に掲載のジャガー Σは令和5年の今販売しているマジックテープ式のジャガー Σ03、ジャガー Σ03は「マジックテープの曲線」「マジックテープの覆いにある円形と長円形の通気穴」「金色の字」の意匠がかっこいいです。このような意匠の靴は世界でジャガー Σ03だけですし、倉田雲平ムーンスターで靴の外側に金色の字を使用しているのもジャガー Σ03だけです。ジャガー Σは紐式のジャガー Σ04も「すき間が大きく軟らかいメッシュ生地の靴舌(シュータン)」も昔から変わっていません。今もジャガー Σは全部日本製、靴底に MADE IN JAPAN と彫刻してあります。ジャガー Σ03を履きこなすのは簡単ではありません。値段が高い服を着たら誰でもお洒落な人になるのではありません。顔と体形が良くてもお洒落な人とは限りません。日本製はどんな値段の製品でも「どこか不思議な品質の良さと個性」があります。最近、倉田雲平ムーンスターにエイトテンス(810s)という部門が誕生、810s = 10のうち8のみ = 八分目、という意味ですが、技術や芸術の分野においても何においても10よりももっと11や12であることがありますし、10を超越した11や12を創造でないとならないこともあります。倉田雲平ムーンスターエイトテンスの製品は通常の靴屋には置いてありませんが、倉田雲平ムーンスターの世界唯一の路面店ムーンスター自由が丘」には置いてあります。ということは、ムーンスター自由が丘には世界唯一の靴が置いてあるということです。自由が丘は渋谷から東急電車ですぐ、ムーンスター自由が丘は自由が丘駅からすぐです。自由が丘駅の次の駅が田園調布駅です。自由が丘はお洒落な日用品の路面店が多い街で有名です。しかし、逆に、ジャガー Σ03やジャガー Σ04などの通常の月星靴ムーンスターの製品は今のところムーンスター自由が丘には置いてありません。倉田雲平ムーンスターは革靴も素晴らしいです。倉田雲平ムーンスターの日本製の革靴は本当に素晴らしいです。下に掲載の縦書きの日本語を書いた人は天明4年1785年誕生の日本人男性の韶仁(つなひと)親王です。一番下に掲載の植物は外を歩いていた時に偶然出会った自然に輪形になった珍しいカタバミ。輪に光のような黄色い花がまるで太陽系のようですし、春の草花では珍しい黒緋色や葡萄茶色のような葉は地面を飾るもみじのようです。この植物は令和5年4月に撮りました。輪の中には枯れ葉が2枚。この枯れ葉を取って撮ろうと思いましたが、取らないでおきました。なぜなら、輪が枯れ葉を讃えているように思ったからですし、全く自然な方がいいと思ったからです。雑草という植物は1つもありません。天が育てた(日光と雨だけで育った)植物は人間の欲が入っていないのでもっと良い気を放っています。ただし「道の角にある植物」と「綺麗ではない水の端にある植物」は人間の色々な気を吸収し人間を守っていることが多いと思いますので、ここにある植物は綺麗な植物でも家に飾らない方がいいと思います。すぐ下に掲載の人物が倉田雲平、次に掲載の人物は明治20年1887年10月19日誕生の66歳の倉田泰蔵、倉田泰蔵は倉田雲平の二男、次に掲載の人物は1923年誕生のイタリア人男性 GIANNI RAIMONDI です。一番最初に掲載の月という名の星は絵ではなく写真、令和5年6月午前3時台に撮りました。月は大体いつどこで見ても綺麗ですが、この時の月は「月の周囲の雲」と「月が映っている水面」がいつもよりもふわっとやわらかく奥行感と透明感があったと同時にどこか懐かしい光景でした。あの月はお父さんが見ていた月と同じ月。あの月は150年前の人が見ていた月と同じ月。あの月は1500年前の人が見ていた月と同じ月。

            おめでとう日本のお父さん    
            ありがとう日本のお父さん  
            奇跡の国  世界一の国  日本 
奇跡の男  世界一の男  日本人の男