鉛蓄電池も日本人の発明

f:id:japanfather:20210228214121j:plain
鉛蓄電池は充電池(二次電池)の一種、世界初の鉛蓄電池は1859年登場、世界初の鉛蓄電池は世界初の充電池、鉛蓄電池の発明者は1834年誕生のフランス人男性のガストン・プランテ。1869年誕生の日本人男性の島津梅次郎(二代目島津源蔵)は1895年に日本人で初めて鉛蓄電池を製造、二代目島津源蔵は1908年に自分の製造した鉛蓄電池を自分の名前のローマ字GenzoShimazuの頭文字のGSと命名、二代目島津源蔵は1917年に電池の会社の日本電池を創業、この時まだ鉛蓄電池の製造で使う亜酸化鉛(鉛の粉)の製造技術は日本人は持って無かったから、二代目島津源蔵は亜酸化鉛を輸入または亜酸化鉛製造技術を輸入ではなく日本人の力で亜酸化鉛を作ることを決意、二代目島津源蔵は1920年に亜酸化鉛製造機を発明、外国人の従来の亜酸化鉛製造技術では亜酸化鉛製造時間149時間でしたが、日本人の亜酸化鉛製造技術ではなんと亜酸化鉛製造時間5時間、製造時間が短くなったことで製造費用が低下、製造費用が低下で定価も低下、鉛蓄電池の定価の低下で鉛蓄電池の量産と普及が増加、亜酸化鉛製造は島津源蔵の発明した「易反応性鉛粉製造術」による亜酸化鉛製造が当たり前になったから、二代目島津源蔵も鉛蓄電池の発明者、鉛蓄電池も日本人の発明、と言えないこともないのです。 しかし、この後、日本人は何年もかけてリチウムイオン電池とリチウムイオンポリマー電池を発明、リチウムイオンポリマー電池は電池の形を薄形にも箱形にもでき、鉛蓄電池と全く同じ形にもでき、リチウムイオン電池鉛蓄電池より小容積で大容量で軽量だから、鉛蓄電池リチウムイオン電池に、ということは、鉛蓄電池も完全に日本人の発明になろうとしています。

f:id:japanfather:20210303202945p:plain日本電池は湯浅蓄電池と平成16年に合併しました。「GSユアサ」は日本人の島津源蔵と日本人の湯浅庄九郎が創業した日本人の会社です。外国人は日本人の会社の責任者になることはできません。真面目で優秀で長年勤務しても外国人は日本人の会社の責任者になることはできません。日本で生まれて見た目も日本人で日本名を使っても外国人は日本人の会社の責任者になることはできません。外国人は日本に帰化して国籍を変えて日本人になっても日本人の会社の責任者になることはできません。外国人は日本に帰化して国籍を変えて日本人になっても日本人の会社の責任者になることはできない理由は、日本人になる為に帰化するのではなく、侵略の為に帰化することが考えられるからです。もちろん在日外国人も外国人です。責任者になりたい外国人は自分の国の組織に勤務して自分の国の組織の責任者になって下さい。しかし責任者になることは最も価値あることではありません。責任者ではない人の方が役目と使命と価値は大きいのです。日本の国会議員などの日本の公務員などの日本人の組織や他の日本人の会社においても同じです。国会議員になりたい外国人は自分の国に住んで自分の国の国会議員になって下さい。アメリカの国会にドイツ人がいるでしょうか。ドイツの国会にアメリカ人がいるでしょうか。ドイツ人の会社のメルセデスの社長がアメリカ人になったらドイツ人はどう思うでしょうか。日本人がアメリカに代々100年住んだらアメリカ人の会社の社長になることができるでしょうか。日本人がアメリカに帰化してアメリカ人になったらアメリカ人の会社の社長になることができるでしょうか。GSユアサの最高責任者は島津源蔵のご子息と湯淺七左衛門のご子息に戻すことが望ましいでしょう。社長は唯一無二ではありませんが創業者は唯一無二で永遠不変です。祖国も唯一無二で永遠不変です。日本人の皆様、祖国「日本」と祖国の人「日本人」と祖国の会社「日本人の会社」を大事にしましょう。