制御弁式鉛蓄電池も日本人の発明

f:id:japanfather:20210310195608p:plain      花の無い植物にも天は輝く水玉の花を咲かす


   人間が何もしなくても自然に自動で水分を充たす
  その水分は光輝いて心をも動かす

鉛蓄電池は「ベント式鉛蓄電池」と「制御弁式(シール式)鉛蓄電池」の2種類あります。ベント式鉛蓄電池は1859年にフランス人のガストン・プランテが発明、制御弁式鉛蓄電池は1965年に日本人の会社の湯浅蓄電池が発明しました。世界初の鉛蓄電池の登場は1859年で鉛蓄電池の発明者はガストン・プランテですからベント式鉛蓄電池は元来の形式です。ベント形とも言います。湯浅蓄電池は本日の144年前の明治10年(1877年)3月10日誕生の日本人の湯浅七左衛門が大正7年(1918年)に創業、湯浅七左衛門生誕144周年おめでとうございます。湯浅七左衛門の12代前の先祖の湯淺庄九郎は寛文6年(1666年)に湯浅蓄電池とユアサ商事の根源の木炭会社を創業しました。湯浅蓄電池は菱形の中にYSBと書いたものを会社の紋(マーク)にしていた時代がありましたが、YSBは「Yuasa Storage Battery」の頭文字だと思います。「ベント式鉛蓄電池」と「制御弁式鉛蓄電池」の違いは、ベント式鉛蓄電池は使用していると減るのは電気だけではなく電解液も減るため電解液の元である水を補給、補給の水は水道水でも井戸水でもミネラルウォーターでもなく精製水、電解液が減って電池が使用できなくならないように電解液の量を点検、制御弁式鉛蓄電池は使用しても電解液を保持できる構造になっていて電解液が減らないので水の補給をしなくてよく、水の補給をしなくていいということは電解液の量の点検もしなくてよく、液漏れもなく、自然放電も少ないです。この違いと言いますか特徴から、制御弁式鉛蓄電池登場後は世界のほとんどの鉛蓄電池は制御弁式鉛蓄電池になったと十分予測できますので、このことからも、湯浅蓄電池も鉛蓄電池の発明社、鉛蓄電池も日本人の発明、と言えないこともないのです。この後、日本人は何年もかけてNi-MH電池を発明、元来鉛蓄電池は完全放電しなくてもいつでも充電できる充電池でしたが、鉛蓄電池は構造から小形にできなく、小形の充電池はNi-Cd電池がありましたが、Ni-Cd電池は完全放電しなくてもいつでも充電できる充電池ではなく自然放電も多い充電池でした。

  

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