祝 平成天皇誕生日

 

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 平成は「テレビが平たく平らに(薄く平面に)成った」時代

 全世界にてご活躍の日本人の皆様おはようございます。本日、令和3年12月23日、平成天皇88歳誕生日おめでとうございます。明仁天皇88歳誕生日おめでとございます。平成天皇は10歳代の時に戦争を経験、戦時は、お父様の昭和天皇は緊張とせわしい生活だったり、疎開し親元から離れて生活したり、さみしい思いをしたと思います。広島と長崎では何十万人という日本人が犠牲になった時も、日本人みんなと涙の生活をしたと思います。しかし、日本人の世界一の苦労の涙は世界一の発明と世界初として戻ったのです。戻った時は戸を大きく開けて迎えたのです。離れていた子供が無事に戻った時は戸を大きく開けて喜ぶように。神様は世界一苦労した日本人に発明と世界初という世界一の恵みを世界で最も与えて下さいました。発明という技術力は軍事力より世界を征服できます。日本人は平成時代も世界で最も発明と世界初を遂行しました。発明と世界初は長い長い人類史で一度も登場したことがない奇跡です。奇跡は科学技術に起きます。平成は「厚くて曲面のブラウン管テレビ」が「薄くて平面(平たくて平ら)の液晶テレビプラズマテレビ有機ELテレビ」に成った時代です。世界初「液晶テレビ(テレビチューナー非搭載)服部金太郎精工舎T001テレビウォッチ(1.2形白黒)」昭和57年1982年12月登場。世界初「プラズマテレビ(テレビチューナー非搭載)篠田傳古河市兵衛富士通PDSー1000(21形カラー)」平成5年1993年9月登場。世界初「プラズマテレビ(テレビチューナー搭載)篠田傳古河市兵衛富士通PDTー2100(21形カラー)」平成5年12月登場。世界初「有機ELテレビ(テレビチューナー非搭載)岩垂邦彦日本電気N2001携帯電話(2.2形カラー)」平成13年登場。世界初「有機ELテレビ(テレビチューナー搭載)井深大盛田昭夫ソニーXELー1(11形カラー)」平成19年登場。液晶テレビは昭和時代の発明、しかし、最初、液晶テレビは、ただ大画面化は難しくなかったが商品化できるほどの画質で大画面化は難しかった、だから、世界初液晶テレビは1.2形、だから、最初、液晶テレビは「ポータブルテレビ単体」あるいは「ポータブルビデオやポータブルオーディオと一体のテレビ」の小画面テレビとして活躍していた、と思いますが、世界初「ポータブルではない液晶テレビ(テレビチューナー非搭載)早川徳次シャープLLー10RA(10.4形カラー)早川徳次シャープLLー14SAT(14.2形カラー)」平成5年登場、世界初「15形液晶テレビ(テレビチューナー搭載)早川徳次シャープLCー150F1」平成10年登場、世界初「30形液晶テレビ(テレビチューナー搭載)早川徳次シャープLCー30BV3」平成13年登場、だから、液晶テレビも平成時代の発明と言えます。「ポータブルビデオやポータブルオーディオと一体のテレビ」については「日本父祖発明意匠2020年11月15日ディスプレイとテレビチューナーを搭載のポータブルビデオも日本人の発明」でも記載。最初、液晶テレビは、大画面化は難しかったとしても、なぜ「世界初液晶テレビ」を「ポータブルテレビ単体ではなく腕時計というポータブル時計と一体のテレビ(テレビ腕時計)として創造」したのか、ということを、最近思うようになりました。世界初液晶テレビ登場当時は思いませんでしたが。テレビ腕時計として創造した理由は、一言で言いますと「画面の大きさで液晶テレビという大発明を大発明に感じないものにしたくなかった」ということだったと思います。「ついに、液晶のテレビ化に成功、しかし、まだ、液晶テレビの大画面化は難しい、今の技術だと1.5形が最大、しかし、世界のどこよりも先に液晶テレビを出したい、しかし、世界初のテレビが1.5形だとどう思うだろう、確かに液晶のテレビ化技術は素晴らしいが1.5形しかないのかと、1.5形にしかできないのかと、だったら、腕時計と一体にしたらどうだろう、液晶テレビは薄いから腕時計に搭載できる、1.5形では大きくて腕時計できない、しかし、1.2形なら腕時計にできる、1.2形でもテレビ腕時計ならどう思うだろう、腕時計にテレビがついてるなんて信じられないと、腕時計という薄い時計にテレビを搭載はブラウン管テレビではできないから液晶テレビは大発明だと、世界最小1.5形テレビ松下幸之助パナソニックTRー001(白黒ブラウン管テレビ)昭和45年登場、1.2形ならついでに世界最小テレビになる、しかし、まだ、腕時計にスピーカーとテレビチューナーも搭載できる技術はない、映像をある程度長時間表示でき腕時計に搭載できる大容量で小容積の電池を作る技術もない、しかし、昭和54年にウォークマンというスピーカーを非搭載でヘッドホンだけで聴くポータブルオーディオ登場、だったら、テレビ腕時計もスピーカーを非搭載にしよう、そして、テレビチューナーと電池はテレビ(腕時計)と分けたら、テレビ腕時計ができる」ということだったと思います。「世界初液晶テレビのテレビチューナー」は1年前の昭和56年登場の世界2番目ウォークマン井深大盛田昭夫ソニーWMー2より少し長い」ですが、FMチューナーも搭載で「井深大盛田昭夫ソニーWMー2より1.05cmも薄い1.9cm」を実現。「ポータブルテレビチューナー(世界初液晶テレビのテレビチューナー)」と「ポータブルオーディオ(ウォークマン)」は同じではありませんがポケットに入れるものという点では同じです。世界初液晶テレビはアナログテレビ、しかし、今の日本のテレビはデジタルテレビ、だから、今の日本では世界初液晶テレビでテレビ放送を見ることができませんが、アナログテレビの国なら見ることができたり、改造したら、デジタルのテレビチューナーやブルーレイレコーダーなどを繋げることができると思います。世界初「液晶テレビのテレビチューナー」は当時世界最小「テレビチューナー(縦12.50横07.45厚01.90cm)」ですが、今世界最小「デジタルテレビチューナー(縦00.69横00.69厚00.10cm)井深大盛田昭夫ソニーSMTーEW100」平成27年2015年登場。「井深大盛田昭夫ソニーSMTーEW100はFMチューナー非搭載」ですが「FMチューナー搭載でも世界初液晶テレビのテレビチューナーより小形」でしょう。世界初「有機ELテレビ井深大盛田昭夫ソニーXELー1」は最初から「画面の薄さ3mm」「明暗比100万:1」を実現しました。最初、有機ELテレビは、液晶テレビよりも薄くて高明暗(高コントラスト)でした。しかし、日本人は「有機ELテレビのように薄くて高明暗の液晶テレビ」も発明しました。世界最薄「4.9mm液晶テレビ井深大盛田昭夫ソニーKJー65X9000C(65形)」平成27年登場。49mmではなく4.9mm。信じられない進化です。世界初「明暗比100万:1液晶テレビ井深大盛田昭夫ソニーKDLー55XR1」平成20年登場。ブラウン管はドイツ人のカールフェルディナントブラウンが1897年に発明しました。しかし、ブラウン管をテレビに応用は日本人の高柳健次郎と日本人の会社の東芝が1926年に発明した世界初テレビが世界初でしょう。日本人は「厚いテレビ」「薄いテレビ」だけではなく「曲がるテレビ」「巻き取りテレビ」も発明しました。世界初「曲がるテレビ井深大盛田昭夫ソニー(2.5形カラー)有機ELテレビ」平成19年2007年登場。世界初「巻き取りテレビ井深大盛田昭夫ソニー(4.1形カラー)有機ELテレビ」平成22年登場。下の写真が世界初巻き取りテレビです。世界初「巻き取りテレビ」は「巻き取り棒の直径4mm」「画面の薄さ0.08mm」で世界最薄「テレビ」です。0.8mmではありません。0.08mmのテレビを想像したことがあったでしょうか。日本人は「曲がる有機ELテレビ」だけではなく「曲がる液晶テレビ」「曲がるプラズマテレビ」も発明しました。世界初「曲がる液晶テレビジャパンディスプレイFULLーACTIVEーFLEX(5.5形カラー)」平成29年登場。世界初「曲がるプラズマテレビ篠田傳プラズマチューブアレイシプラ(1m角連結無限形カラー)」平成20年登場。最初の写真は冠を装着の王様が空飛ぶ魚に乗っているような雲の形の不思議な写真ですがコンピューターグラフィックでも加工写真でもありません。3番目の写真の絵の作者は不明ですが人物は藤原鎌足と息子の定恵(右)と不比等、2番目の写真は平成天皇(左)と息子の令和天皇です。

 

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 平成は「ブラウン管テレビが平らに成った」時代

 日本人は全てのテレビ「ブラウン管テレビ」「白熱電球テレビ」「液晶テレビ」「プロジェクションテレビ」「プラズマテレビ」「有機ELテレビ」を発明しました。日本人はブラウン管テレビから「トリニトロンブラウン管テレビ」「薄くて平面のブラウン管テレビ(偏平ブラウン管テレビ)」を発明しました。日本人はトリニトロンブラウン管テレビから「ワイドテレビ」「非偏平ブラウン管で厚いが平面のブラウン管テレビ」を発明しました。日本人は白熱電球テレビから「全天候巨大画面テレビ」「蛍光表示管テレビ」「LEDテレビ」「マイクロLEDテレビ」を発明しました。日本人は液晶テレビから「テレビ腕時計」「壁掛テレビ」「液晶プロジェクター」「テレビを搭載の撮影機」「立体テレビ」「裸眼立体テレビ」「ヘッドマウントテレビ」「透明テレビ」「携帯テレビ電話」「360度裸眼立体テレビ」「レーザー液晶プロジェクター」「8Kテレビ」「8Kプロジェクター」「16Kテレビ」「360度透明裸眼立体テレビ」を発明しました。日本人はレーザー液晶プロジェクターから「網膜放映テレビ」を発明しました。日本人は有機ELテレビから「曲がるテレビ」「巻き取りテレビ」を発明しました。世界初「薄くて平面(平たくて平ら)のブラウン管テレビ井深大盛田昭夫ソニーFDー200偏平ブラウン管テレビ(2形白黒)輸出用の品番FDー210」昭和57年登場。「2形の偏平ブラウン管テレビ」は「松下幸之助パナソニックTRー001などの1.5形の非偏平ブラウン管テレビよりも薄い」です。世界初「偏平ブラウン管テレビ」は世界最薄「ブラウン管テレビ」でもあります。しかし、偏平ブラウン管テレビを発明し偏平ブラウン管テレビを第2のウォークマン「ウォッチマン」として何機種も創造した井深大盛田昭夫ソニーも、井深大盛田昭夫ソニー初「液晶テレビGVー8(3形カラー)」を昭和63年に創造した後は、偏平ブラウン管テレビを創造しませんでした。その理由は「偏平ブラウン管テレビは従来のブラウン管テレビの画面の後ろから放映を画面の下から放映に変えて薄くした、だから、画面の後ろは薄くて短いが画面の下は厚くて長い、だから、従来のブラウン管テレビと同じく液晶テレビのように画面だけで放映できるテレビではないから液晶テレビより大きい、画面の後ろは薄いと言っても下からの放映を受け取る為に画面の後ろもしくは画面の前に少したが空間(厚さ)を設置、だから、世界初液晶テレビは薄さ1.11cmだが世界初偏平ブラウン管テレビは薄さ3.30cm、更に、偏平ブラウン管テレビはカラーにできない、液晶テレビの方が低電力、偏平ブラウン管テレビの開発を進めるより、液晶テレビの大画面化を進める方がいい」ということだったと思います。「偏平ブラウン管テレビ」は「ポータブルテレビ単体のみ」「薄くて平面の偏平ブラウン管テレビは第1号井深大盛田昭夫ソニーFDー200だけ」「第1号以後の機種は薄いが曲面の偏平ブラウン管テレビ」「第1号以後の井深大盛田昭夫ソニーFDー10は薄さ4.15cmと第1号以後の機種は第1号よりも厚い」です。「下からの放映を受け取る為に画面の後ろもしくは画面の前に空間を設置」と書きましたが「平面の偏平ブラウン管テレビは画面の後ろに空間を設置」してあり「曲面の偏平ブラウン管テレビは画面の前に空間を設置」してあります。「井深大盛田昭夫ソニーGVー8」は世界初「ビデオウォークマン」当時世界最小「ディスプレイとテレビチューナーを搭載のポータブルビデオ」です。ビデオウォークマンは画面が見やすいように画面を立てて画面の角度を可変できる機種がほとんどですが、当時としては大画面の4形液晶テレビを搭載のビデオウォークマン第2号「井深大盛田昭夫ソニーGVー9」は画面を立てると液晶テレビの薄さに驚きました。しかし「世界初ポータブルではない液晶テレビの登場は平成5年」「平成時代に入ってもほとんどのポータブルではないテレビはブラウン管テレビ」「世界初ポータブルではない液晶テレビ2機種の大きい方の早川徳次シャープLLー14SATは14形だが平成時代に入る前からポータブルではないテレビは14形では不十分」ということで、日本人は平成時代に入ってからもブラウン管テレビの開発を進めました。ついに、日本人は「夢の大画面の平面ブラウン管テレビ」を発明しました。ブラウン管発明の1897年から100年の1歩前または1歩先の99年の1996年、ブラウン管テレビ発明の1926年から丁度70年の1996年平成8年、ついに、世界初「28形の平面ブラウン管テレビ井深大盛田昭夫ソニーKVー28SF5スーパーフラットトリニトロン」登場。「井深大盛田昭夫ソニーKVー28SF5」は世界初「平面の非偏平ブラウン管テレビ」世界初「ポータブルではない平面ブラウン管テレビ」世界初「平面トリニトロン」でもあります。しかし「非偏平ブラウン管(従来のブラウン管)テレビは厚いテレビ」ですから「平面の非偏平ブラウン管テレビも厚いテレビ」です。「平面トリニトロン」の名称は「フラットトリニトロン」ではなく「スーパーフラットトリニトロン」の理由は「井深大盛田昭夫ソニーは平面トリニトロン発明の4年前の1992年にほとんど平面の(平面に近い)トリニトロンのスーパートリニトロンを創造」「14年前の1982年に世界初平面ブラウン管テレビの偏平ブラウン管テレビを創造」したからだと思いますし、この2つの創造も尊いものにしたかったからでしょう。もしかしたら、平成4年にもうスーパーフラットトリニトロンは出来ていたけどすぐには、ということだったのでしょうか。下の写真が世界初スーパーフラットトリニトロンで世界初平面トリニトロンで世界初ポータブルではない平面ブラウン管テレビです。1992年平成4年登場世界初「スーパートリニトロン」は「井深大盛田昭夫ソニーKVー29ST1」です。「井深大盛田昭夫ソニーKVー29ST1」のリモコン「井深大盛田昭夫ソニーRMーJ109ふしぎリモコン」は世界初「回す釦を搭載のリモコン」世界初「画面入力リモコン」世界初「曲面リモコン」です。「井深大盛田昭夫ソニーRMーJ109の画面入力」は「回す釦を回し画面の釦を選択し回す釦を押し決定し送信(入力)のリモコン」ですから「初期のリモコンのように釦が少ない」のも特徴で「曲面リモコン」は大変珍しく「曲がった部分だけではなく全体の意匠も井深大盛田昭夫ソニーらしい素晴らしい意匠」です。井深大盛田昭夫ソニー大発明の1つ「トリニトロン」は世界唯一「画面の横は曲面だが縦は曲面ではなく垂直のブラウン管」というのが長年の誇りでした。トリニトロン以外のブラウン管は全て縦も曲面の画面です。「平面の画面のブラウン管テレビはできない」というのが長年の定説で「平面の画面のブラウン管テレビ」は長年の夢でした。日本人は「スーパーフラットトリニトロン」で長年の夢を叶えたことは本当に素晴らしいことだと思います。日本人の長年の誇りは永遠の誇りに変わりました。この技術だけでも日本人の技術は本当に素晴らしいと思います。世界の人たちは「なぜ日本人は夢を実現できるのか」と不思議に思っていることでしょう。日本人の会社は井深大盛田昭夫ソニーだけでも本当にたくさんのブラウン管テレビを創造しました。日本人はブラウン管テレビも世界で最も創造しました。品番の表を見ますと「こんなにたくさん創造したのか」と驚きます。全機種「世界の歴史に永遠に残るもの」「日本人として永遠に誇ることのできるもの」です。日本人はブラウン管テレビにおいても世界一です。僕は「本当に真っ平らのポータブルではないブラウン管テレビ」を初めて見た時、とても驚きました。僕は「薄いテレビ」「平面テレビ」を1度も想像したことがありませんでした。「テレビは厚いから映像を表示できる」「プロジェクターのスクリーンは平面でテレビの画面は曲面」と思っていました。日本人はブラウン管テレビは未完成あるいは不十分で世界のテレビを厚くて曲面のブラウン管テレビから薄くて平面の液晶テレビなどに変えたのではありません。日本人は世界のどこの国の人も創造できなかった平面ブラウン管テレビを創造しブラウン管テレビを完成し、液晶テレビなどの平面で更に薄いテレビの世界を創造しました。日本人は世界最小ブラウン管テレビも創造したことも驚きの歴史です。世界初「平面テレビ(平らのテレビ)」は世界初「偏平ブラウン管テレビ」ではありません。世界初「平面テレビ」は世界初「白熱電球テレビ」です。世界初「白熱電球テレビ井深大盛田昭夫ソニーカラービデオパネル(100形)」昭和43年登場。「白熱電球テレビ」も他のテレビと同じく「光の3原色で色と色の明るさ(色の濃さ)を細かく制御し映像を作るテレビ」です。しかし、白熱電球は長寿命ではないからでしょうか、白熱電球テレビは第1号だけで第1号は販売品ではなく展示品でした。しかし「白熱電球テレビの技術」は「昭和60年登場井深大盛田昭夫ソニージャンボトロン(2000形カラー)として活躍」しましたし、今でも「岩崎弥太郎三菱オーロラビジョンや井深大盛田昭夫ソニークリスタルLEDなどのLEDテレビとして活躍」しています。「井深大盛田昭夫ソニージャンボトロン」は「白熱電球を3色一体の蛍光表示管に変えたテレビ」です。「ブラウン管式の初期の岩崎弥太郎三菱オーロラビジョン」は「白熱電球を単色ブラウン管に変えたテレビ」です。平成5年1993年に3人の日本人「中村修二」「天野浩」「赤崎勇」が青色LED発明により岩崎弥太郎三菱オーロラビジョンはブラウン管式からLED式に変わりました。「井深大盛田昭夫ソニージャンボトロン」については「日本父祖発明意匠2021年1月11日ジャパンのジャンボなトリニトロンじゃ」でも記載しています。「岩崎弥太郎三菱オーロラビジョン」については「日本父祖発明意匠2020年12月12日祝150周年三菱屋外ディスプレイも日本人の発明」でも記載しています。世界初「プロジェクションテレビ」は昭和58年1983年登場「井深大盛田昭夫ソニーKPRー4610(46形カラー)」だと思います。「プロジェクションテレビ」は「3管プロジェクターもしくは液晶プロジェクターの本体とスクリーンをテレビの形にしたテレビ」「プロジェクションテレビが登場していた時のプロジェクターはブラウン管テレビより低輝度低画質だったからプロジェクションテレビもブラウン管テレビより大画面だが低輝度低画質」「ブラウン管テレビを40形より大きくできる技術がない時代のテレビ」「もしブラウン管テレビを40形より大きくできる技術があってもブラウン管テレビより薄いテレビ」です。世界初「液晶プロジェクター山崎久夫エプソンVPJー700(最大100形カラー)」は平成元年1989年登場ですから「井深大盛田昭夫ソニーKPRー4610」は「3管プロジェクター式プロジェクションテレビ」です。「液晶プロジェクター式プロジェクションテレビ」は「平成6年登場井植歳男三洋電機THDー40A1」などで「井植歳男三洋電機THDー40A1」は世界初「家庭用3D映像装置」世界初「3Dテレビ」世界初「裸眼3Dテレビ」です。世界2番目「平らのテレビ」は「世界初偏平ブラウン管テレビ」で世界3番目「平らのテレビ」は「世界初液晶テレビ」で世界4番目は「世界初プロジェクションテレビ」で世界5番目は「世界初プラズマテレビ」で世界6番目は「世界初スーパーフラットトリニトロン」で世界7番目は「世界初LEDテレビ」で世界8番目は「世界初有機ELテレビ」で全部日本人の発明です。「スーパーフラットトリニトロン登場後(井深大盛田昭夫ソニーKVー28SF5登場後)」は「他の会社のブラウン管テレビの画面も平らになった」「平らの画面のブラウン管テレビは当たり前になった」ですが「平らの画面のブラウン管テレビは当たり前になった時」は「液晶テレビ出発の時」でした。

 

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 平成は「照明が平たく平らに成った」時代

 宇宙最厚の照明は神様が創造した太陽です。太陽は厚さ(直径)13億9270万m。宇宙最薄の照明は日本人が創造した有機EL照明です。世界初有機EL照明は薄さ3mm。有機ELを製品化(テレビ化や照明化)の際は有機ELに保護膜などを設置で厚くなるので有機EL(光源)そのものはもっと薄い0.0001(1万分の1)mm。世界初有機EL照明「岩崎弥太郎三菱ルミオテックHANGER&VANITY」平成23年2011年9月1日登場。下の写真が世界初有機EL照明です。「有機ELは日本人の発明ではない」ですが「有機ELは光の3原色を合わせても白色の光にならない」「白色の光がないと照明にできない」「日本人の城戸淳二は平成5年1993年に白色有機EL発明」「電球色有機ELも白色有機EL発明によりできた」ということで「有機EL照明は日本人の発明」です。このように「全て日本人の発明ではない」「全く新しい技術を発明ではなく従来の技術を応用した新しい技術」の方が「新技術への嫉妬を和らげることができる」「あの国の人はできなかったが日本人はできたという二重の評価も生じる」のです。有機ELについては「日本父祖発明意匠2021年5月20日白色有機ELも日本人の発明」「日本父祖発明意匠2021年5月21日有機EL照明と薄くて曲がる照明も日本人の発明」でも記載しています。「薄さ4mmの白熱電灯(ハロゲン灯)松下幸之助パナソニックMBー36M18」「薄さ(直径)2mmの冷陰極管(蛍光灯)」もありますが「薄い(小さい)白熱電灯は板ではなく点」「薄い(細い)蛍光灯も板ではなく棒」「点と棒は平たい(薄い)あるいは平ら(平面)とは表現しない」「平たくて平らの照明器具に小さい白熱電灯や細い蛍光灯や小さいLEDをたくさん設置したら平たくて平らの照明になるが光源そのものは平たくて平らではない」です。冷陰極管は「青色LED発明により白色LED登場そしてチップLED登場によりLEDバックライト登場まで蛍光灯バックライトとして活躍」していましたが、LEDの方が「低電力」「高輝度」「長寿命」「小形」ということで、今のバックライトの光源はみんなLEDです。有機ELと比較においても、LEDの方が「低電力」「高輝度」「長寿命」「小形」ということで、有機EL照明は普及していません。液晶テレビはバックライト搭載、有機ELテレビはバックライト非搭載、だから、液晶テレビより有機ELテレビの方が「薄い」「高明暗」ということで、有機ELテレビは普及しました。しかし、有機EL照明も「LEDと同じ性能に進化」「発熱量が少ないという利点」で活躍していくでしょう。日本人の会社「杉浦六三郎コニカ」「田嶋一雄ミノルタ」はもうカメラを製造していません。しかし、杉浦六三郎田嶋一雄コニカミノルタは「平成18年に世界で初めて青色燐光を発明」「城戸淳二が3原色の有機ELで世界で初めて白色有機ELを作った技術を応用し以前からあった赤色燐光と緑色燐光と新技術の青色燐光の3色の燐光で燐光発光の白色有機ELを発明」「白色有機ELは燐光発光以前は蛍光発光のみで蛍光発光は低輝度でテレビや照明に応用は不十分」「燐光発光の白色有機EL発明により有機ELテレビと有機EL照明が実用化」ということで「有機ELテレビと有機EL照明の発明者は城戸淳二だけではなく杉浦六三郎田嶋一雄コニカミノルタ有機ELテレビと有機EL照明の発明社」「杉浦六三郎田嶋一雄コニカミノルタはカメラを作っていた時よりも素晴らしい会社になった」ですし、今は井深大盛田昭夫ソニー松下幸之助パナソニックもカメラを作るようになったので、日本人のカメラ会社は減っていないですし、減っていないどころか、有機ELテレビと有機EL照明を創造しテレビと照明を増やしテレビと照明を平たく平らに成しました。

 

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 平成は「釦が平たく成った」時代

 釦は「押す釦」「回す釦」「移す釦」「触れる釦」「翳す釦」の5種類、押す釦は「厚い釦」「薄い釦(平たい釦)」の2種類、移す釦(移動式釦)は「スライド釦」などです。最初「触れる釦」は金属製だけでしたが、日本人は樹脂製の「触れる釦」も発明しました。世界初「樹脂製の触れる釦」は昭和59年1984年登場「樫尾四兄弟カシオPFー8000」です。世界初「樹脂製の触れる釦」は世界初「電波と光と金属以外の反応体(センサー)」世界初「入力操作できる触れる釦」世界初「タッチパネル」でもあります。「金属製の触れる釦の応用例」は「自動扉の釦」「エレベーターの釦」などです。昔、僕の家の近くにできた百貨店のエレベーターの釦が触れる釦とわかった時、とても驚きました。「押さなくても触れるだけでいいなんて未来の世界だ」と驚きました。この百貨店ができたのは樫尾四兄弟カシオPFー8000登場前ですから、この百貨店のエレベーターの触れる釦の触れる部分は金属製で、エレベーターの釦が金属製ということはほとんどないですから珍しいと思いましたし、触れるだけで反応の釦だから触れる部分が金属製になっていると思いました。触れる釦のエレベーターの釦も押す釦のエレベーターの釦と同じく操作しますと釦に電気が付いて反応したことを操作した人に報らせる仕組みになっていますが、昭和時代は触れる釦は珍しかったですし、固定式釦の触れる釦は非固定式釦の押す釦より反応感覚が薄いので、この百貨店ができた当時、この百貨店のエレベーターの釦を操作した人が普通とは違う釦の触れる釦に驚いたり不思議そうに見たりちゃんと反応しているか(操作できているか)心配したりしていたことを思い出します。技術進歩のとても素晴らしい思い出です。「樫尾四兄弟カシオPFー8000のタッチパネル」は「透明ではないタッチパネル」ですが、日本人は透明タッチパネルも発明しました。世界初「透明タッチパネル」は平成3年1991年登場「井植歳男三洋電機JJーP101カセットテープ式ポータブルオーディオ」です。1982年登場世界初「CDプレーヤーの1つ井深大盛田昭夫ソニーCDPー101」や1985年登場世界初「完全カセットケースサイズ井深大盛田昭夫ソニーWMー101カセットテープ式ポータブルオーディオ」など、101は世界初を意味していることもあります。「タッチパネルの透明化」ができたなら「透明のパネルであるテレビの画面もタッチパネル化」ができる、ということで、日本人はタッチパネル画面「画面釦」も発明しました。世界初「画面釦を搭載の装置」はATMなどのポータブルではない装置だと思いますが、世界初「画面釦を搭載のポータブル装置」は世界初「タブレットコンピューター」だと思います。世界初「タブレットコンピューター」は平成12年12月1日登場「井深大盛田昭夫ソニーIDTーLF1(10.4形液晶テレビ)」です。タブレットコンピューターもどんどん平たく成っています。世界最薄「タブレットコンピューター」は令和3年2021年2月25日登場「岩垂邦彦日本電気T1195(11.5形有機ELテレビ)」です。「ソニーIDTーLF1は薄さ3.90cm」ですが「岩垂邦彦日本電気T1195は薄さ0.58cm」です。今のタブレットコンピューターは撮影機としても使用できます。11.5形有機ELテレビを搭載の撮影機は3形有機ELテレビを搭載の撮影機より大きいですが、ブラウン管テレビだったら撮影機に搭載も長時間持つこともできないですから、大きいというよりも「薄い」「未来の世界」「奇跡の世界」「素晴らしい進化」です。「タブレットコンピューター」は「テレビとキーボードが一体でキーボードがないポータブルコンピューター」です。「スマートフォン」は「電話機能を搭載の小形のタブレットコンピューター」「画面釦を搭載のインターネットができる携帯電話」です。世界初「インターネットができる携帯電話」は平成11年1999年2月22日登場「古河市兵衛富士通F501i(画面釦非搭載ドット液晶)」です。「古河市兵衛富士通F501i」は世界初「iモードを搭載の携帯電話」当時世界最小「インターネットができる装置」でもあります。日本人は押さなくても触れなくてもいい釦「翳す釦」も発明しました。世界初「翳す釦」は平成26年2014年登場「岩垂邦彦日本電気フィンガージェスチャー」だと思います。しかし、初期の翳す釦はセンサーが不十分だったからでしょうか「初期の翳す釦は釦から50cm遠い所でしか操作できない釦」でしたが、日本人は「ホバーセンサー」「3次元距離センサー」を発明したことで「今の翳す釦は釦から近い所で操作できる釦」です。「田中久重小平浪平井深大盛田昭夫ジャパンディスプレイ」は令和2年に「ホバーセンサーを発明」「ホバーセンサーの翳す釦を発明」しました。「フィンガージェスチャー式翳す釦」「ホバーセンサー式翳す釦」は「釦が空中に浮いていない翳す釦」ですが、日本人は「釦が空中に浮いている翳す釦」も発明しました。世界初「空中式翳す釦」は令和元年2019年登場「岩崎弥太郎三菱空中タッチディスプレイ」です。「令和元年の岩崎弥太郎三菱の空中式翳す釦」は「液晶ディスプレイなどの普通のディスプレイの映像をビームスプリッターと反射板で空中に浮いてるように表示し空中の映像の釦を翳し操作」で「どの釦を翳しているか(操作しているか)は3次元距離センサーで計測」します。世界初「3次元距離センサー松下幸之助パナソニック3DーLiDAR」平成29年登場。初期の空中式翳す釦は「厚くて触れる釦を翳す釦にできない翳す釦」で、ホバーセンサー式翳す釦は「薄いが同じく触れる釦を翳す釦にできない翳す釦」ですが、日本人は「薄くて触れる釦を翳す釦にできる翳す釦」も発明しました。「薄くて触れる釦を翳す釦にできる翳す釦」は令和2年登場「木村延吉凸版印刷薄形空中タッチディスプレイ」令和3年登場「佐久間貞一大日本印刷ホロタッチパネル」などです。「木村延吉凸版印刷薄形空中タッチディスプレイ」「佐久間貞一大日本印刷ホロタッチパネル」は「触れる釦の画面に映像結像プレートやホログラムフィルムを装着し触れる釦の映像を空中に浮いてるように表示し空中の映像の釦を翳し操作」で「どの釦を翳しているかはセンサーで計測」します。「翳す釦の利点」は「手袋を装着した手でも操作できる」「濡れた手で操作しても装置が濡れない」「修理が少ない」です。「翳す釦」は「新しい技術」ですが「日本人はすでにもう翳す釦においてもたくさんの工夫と配慮を遂行している」ことに驚きます。カセットテープ式ウォークマンの時が一番そうだったと思いますが、日本人は新しいものを創造後すぐに工夫と配慮を遂行します。「翳す釦」も「画面釦」で「画面釦」は「映像釦」です。「映像」は「非表示にもなるもの」ですから「映像釦」は「非表示にもなる釦」です。「非表示にもなる釦」は薄いどころか「非物体釦」「霊体釦」です。「非表示にもなる」は「表示にもなる」でもあり「非表示」は「無形」でもあり「表示」は「有形」でもありますが「無形にも有形にもなる非物体」は「映像」「霊体」の他に「気体」があります。「蒸気」という気体は「温度差で煙りのように有形にもなる(目に見えるものにもなる)非物体」です。「湯気」は「有形の蒸気」「有形の非物体」です。「息」という気体は「蒸気のように水分が多く温度が低くない」ので「息」も「温度差で煙りのように有形にもなる非物体」です。「蒸気」「息」は「水分という物体にも非物体にもなる気体」です。霊体は一体どういう時に目に見えるものにもなる非物体なのでしょうか。霊体も物体にもなるのでしょうか。今は音量を釦で操作できる装置はありますが、昔はありませんでした。昔は音量を「回転体(厚い回転盤)」「回転盤(薄い回転体)」で操作の装置だけでした。世界初「音量を釦で操作できる装置」世界初「音量釦を搭載の装置」は昭和56年1981年登場「井深大盛田昭夫ソニーTCーFX1010カセットテープ式レコーダー」です。「井深大盛田昭夫ソニーTCーFX1010」はヘッドホンの音量も録音の音量も全て釦で操作できる世界初「全釦装置」でもあります。「音量釦」は「電子式釦」で「電子式釦」は「薄い(平たい)釦」です。世界初「電子式釦を搭載のポータブル装置」の「井深大盛田昭夫ソニーWMー7カセットテープ式プレーヤー」も昭和56年登場ですが「井深大盛田昭夫ソニーWMー7」は「再生や停止などは電子式釦ですが音量は電子式釦ではなく回転盤」で「音量を釦で操作できないポータブル装置」で「音量釦を非搭載のポータブル装置」です。世界初「音量を釦で操作できるポータブル装置」で世界初「音量釦を搭載のポータブル装置」は平成4年1992年登場「井深大盛田昭夫ソニーNTー1カセットテープ式レコーダー」です。下の写真が世界初「音量を釦で操作できるポータブル装置」で世界初「音量釦を搭載のポータブル装置」です。今は世界のどの装置でも音量も釦でピピっと操作できますが、その世界初が井深大盛田昭夫ソニーTCーFX1010で、今は世界のどのポータブル装置でも音量も釦でピピっと操作できますが、その世界初が井深大盛田昭夫ソニーNTー1です。昔、テレビにおいても、チャンネルは「回転体(ダイヤル)」から「釦」に変わっても、音量は変わらなかったように、テレビにおいても音量の釦化は遅く、音量の釦化は遅かった理由は、音量の釦化は難しい技術だったからでしょう。「音量の釦化」は「音量のデジタル化」です。世界初「音量釦」は世界初「デジタル音量」です。世界初「デジタル装置」は世界初「デジタル録音装置」です。世界初「デジタル録音装置」は昭和47年登場「坪田耕一デンオンDNー023R」です。世界初「デジタル録音装置」は「とても大きく家庭用ではなかった」です。装置の小形化の得意な日本人は「小形のデジタル録音装置」の「家庭用デジタル録音装置」も発明しました。世界初「家庭用デジタル録音装置」は昭和52年登場「井深大盛田昭夫ソニーPCMー1」です。昭和55年に日本人の西谷隆夫はもっと小形のIC形のデジタル装置「デジタルシグナルプロセッサ」を発明しました。世界初「デジタルシグナルプロセッサ」は昭和55年登場「岩垂邦彦日本電気NEC μPD7720」です。世界初「音量釦を搭載の装置」の登場は世界初「デジタルシグナルプロセッサ」の登場の1年後ですから、もしかしたら「音量の釦化」は「デジタルシグナルプロセッサの発明によるもの」でしょうか。井深大盛田昭夫ソニーは音量の釦化による装置の全釦化の為に「オーディオシグナルプロセッサ」というICを発明したというようなことがソニーTCーFX1010のカタログに記載してありますが、このICはデジタルシグナルプロセッサを応用したものでしょうか。デジタルシグナルプロセッサもそうですが日本人の発明したものは世界のほとんどの人が使用しています。「ポータブル装置での平たい釦での再生や停止などの操作」は井深大盛田昭夫ソニーNTー1登場の11年前の1981年登場の「井深大盛田昭夫ソニーWMー7で実現」していて「井深大盛田昭夫ソニーWMー7登場以後」は「平たい釦を搭載のポータブル装置がたくさん登場」しましたが、なぜか、面白いことに、井深大盛田昭夫ソニーNTー1は「音量の操作」は「平たい釦(電子式釦)」にして新しいものに変えましたが「再生や停止などの操作」は「厚い釦(機械式釦)」にして古いものに戻しています。井深大盛田昭夫ソニーNTー1は全く新しい規格のカセットテープ式レコーダー「デジタルマイクロレコーダー」ですから、最初は再生や停止などの操作は機械式釦でないと操作できなかったのでしょうか。3年後の平成7年登場の世界2番目「デジタルマイクロレコーダー」の「井深大盛田昭夫ソニーNTー2」は全操作を電子式釦でできます。井深大盛田昭夫ソニーWMー7の「釦の電子化(釦の平面化)」は「意匠の特色化」よりも「操作の遠隔化(リモコン化)」です。機械式釦では遠隔操作できません。井深大盛田昭夫ソニーWMー7は世界初「リモコンでも操作できるポータブル装置」でもあります。釦につきましては日本父祖発明意匠2021年11月3日「連続瞬間押し釦と全操作釦も日本人の発明」でも記載しています。「画面釦」「翳す釦」のような「非表示にもなる釦」の「押す釦」もあります。世界初「非表示にもなる押す釦を搭載の装置」は昭和61年1986年登場「井深大盛田昭夫ソニーKXー27HV1トリニトロン式ブラウン管式テレビ」だと思います。「井深大盛田昭夫ソニーKXー27HV1」の「非表示にもなる押す釦」は「電源釦とコントロール釦以外の釦」です。「電源釦の下にある釦」が「コントロール釦」です。平成2年1990年登場「井深大盛田昭夫ソニーSLー2100カセットテープ式ビデオ」も「非表示にもなる押す釦を搭載の装置」です。「井深大盛田昭夫ソニーSLー2100」の「非表示にもなる押す釦」は「全釦」です。「非表示にもなる押す釦」も「画面釦」「翳す釦」と同じく「灯る」ことで「表示」します。「井深大盛田昭夫ソニーSLー2100」は「電源釦を含む全釦を正面の扉の内側に搭載」していて「正面の扉を開くと釦が灯る」構造で「井深大盛田昭夫ソニーKXー27HV1」は「コントロール釦を押すと釦が灯る」構造です。ただし「液晶の画面釦」は灯らなくても(光らなくても)表示できます。「液晶の画面釦を搭載の装置」は平成2年登場「井深大盛田昭夫ソニーRMTー2100リモコン」や平成6年登場「岩崎弥太郎三菱SIMON携帯電話」などです。日本人は「ブラウン管」「蛍光表示管」「エルフィン管」「白熱電球テレビ(昭和43年登場井深大盛田昭夫ソニーカラービデオパネル)」「液晶」「液晶テレビ」「LEDテレビ」「有機ELテレビ」「プラズマテレビ」と、たくさんの「表示体」を創造しましたが「光らなくても表示できる表示体は液晶と液晶テレビだけ」です。ただし「後光(バックライト)を搭載の液晶と液晶テレビは光らなくても表示できる表示体ではない」です。「後光を非搭載の液晶テレビ」は「服部金太郎精工舎T001テレビウォッチ」「昭和61年登場早川徳次シャープJCーTV10(2.5形白黒)」などですが、本体周囲の光を後光にしています。「井深大盛田昭夫ソニーKXー27HV1」「井深大盛田昭夫ソニーSLー2100」は「釦が灯っていなくてもかっこいい」ですが「灯っているともっとかっこいい」です。「井深大盛田昭夫ソニーKXー27HV1」は「業務用ではない」ですが、なぜか、どこの電気屋さんにも置いてありませんでした。その理由は、テレビチューナーを非搭載のテレビ(モニター)だからでしょうか。しかし「井深大盛田昭夫ソニーKXー27HV1」はとてもかっこいいので、色々な所に置いてありました。「非表示にもなる釦」は「画面釦(画面のタッチパネル)」「翳す釦」「押す釦」の他にも「画面ではないタッチパネル」もあります。「非表示にもなる画面ではないタッチパネルを搭載の装置」は平成27年2015年登場「松下幸之助パナソニックキューブル洗濯機」などです。「松下幸之助パナソニックキューブルの非表示にもなる画面ではないタッチパネル」も「灯る」ことで「表示」します。「非表示にもなる釦」は「非表示の時は操作できない」ので「釦の非表示化」は「誤操作の防止化」でもありますが「意匠の特色化」でもあります。「井深大盛田昭夫ソニーKXー27HV1」「井深大盛田昭夫ソニーSLー2100」「松下幸之助パナソニックキューブル」は世界最高意匠です。人間は「意匠(芸術)の生物」です。地球は「芸術の星物」です。平成は「平術の成物」です。技術品は「芸術の製物」です。技術と芸術は「神の賜物」です。「最高の芸術」は「最高の独創性(もしくは難創性)とかっこよさ(もしくは美しさ)と純粋性を持ったもの」です。独創性や難創性を持っていてもかっこよさや美しさを持っていないといい芸術になることはできなく、独創性とかっこよさを持っていても純粋性を持っていないといい芸術になることはできません。「オーディオやコンピューターなどの技術品」は「最高の独創性と難創性とかっこよさと純粋性を持ったもの」ですから「オーディオやコンピューターなどの技術品」は「最高の芸術品」です。動物も素晴らしい技術と芸術を創造します。動物は無習で家(巣)という技術と芸術を創造します。鳥が創った家を見ると「家を創る材料をどうやって探してどうやって組んでいるのか」と驚きます。しかし、動物の技術と芸術は平素同じです。しかし、人間はどうでしょう。日本人が開いた「平たく成した時代」は「閃めいたとしてもできない奇跡」です。

 

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 外国人は日本の首相や国会議員や県議会議員になることはできません。外国人は日本で生まれても祖父の代から日本に住んでいても日本の首相や国会議員や県議会議員になることはできません。外国人は日本人に見た目が似ていても日本の首相や国会議員や県議会議員になることはできません。外国人は日本に帰化しても日本の首相や国会議員や県議会議員になることはできません。
 外国人は日本人の会社の社長や所長や部長などの責任者になることはできません。外国人は日本で生まれても祖父の代から日本に住んでいても日本人の会社の社長や所長や部長などの責任者になることはできません。外国人は日本人に見た目が似ていても日本人の会社の社長や所長や部長などの責任者になることはできません。外国人は日本人の会社に何十年勤務しても日本人の会社の社長や所長や部長などの責任者になることはできません。外国人は日本に帰化しても日本人の会社の社長や所長や部長などの責任者になることはできません。
 外国人は日本の日本人用の学校の先生になることはできません。外国人は日本で生まれても祖父の代から日本に住んでいても日本の日本人用の学校の先生になることはできません。外国人は日本人に見た目が似ていても日本の日本人用の学校の先生になることはできません。外国人は日本に帰化しても日本の日本人用の学校の先生になることはできません。
 外国人は日本に帰化しても日本の日本人用の学校の校長や教頭などの責任者になることはできません。外国人は日本に帰化しても日本の出入国管理局の職員になることはできません。
 帰化してもなることができない理由は侵略の為の帰化であることも考えられるからです。日本に帰化したら全て純粋な日本人と同じことができるようになるわけではないのです。首相や国会議員や県議会議員になりたい外国人は自分の国に住んで自分の国の首相や国会議員や県議会議員になって下さい。フィリピンの国会にロシア人の国会議員がいるでしょうか。ロシアの国会にフィリピン人の国会議員がいるでしょうか。イギリス人とアメリカ人は見た目が似ていてもイギリスの国会にアメリカ人はいないですしアメリカの国会にイギリス人はいません。国会は国際交流の会ではありません。でも首相や国会議員をやることが人間として最も価値のあることではないのです。
 ソニーパナソニックの社員がいるでしょうか。パナソニックソニーの社員がいるでしょうか。1年2組の教室に1年3組の生徒がいるでしょうか。1年3組の教室に1年2組の生徒がいるでしょうか。あなたは1年3組の生徒だから1年2組の教室で学ぶことはできませんということを差別と言う人がいるでしょうか。自分は好きで1年3組の生徒になったのではないとしても1年3組以外の生徒になることはできないのです。自分は好きで佐藤家に生まれたのではないとしても佐藤家以外の人になることはできないのです。他の学校に転校したら1年3組以外の生徒になることができたり他の家の養子になったら佐藤家以外の人になることができますが以前は1年3組の生徒だったということや以前は佐藤家の人だったということは変えることができないのです。
 どこの国の人も自分の国ではない国に入る時はパスポートを提示し国籍を提示しないと入ることができません。自分の国ではない国から自分の国に入る時もパスポートを提示し国籍を提示しないと入ることができません。国籍を提示は差別だと言っても国籍を提示しないと入ることができません。
 日本の組織に外国人が侵入しないように議員や教員や店員などの全ての職員の国籍をパスポートもしくは戸籍謄本で確かめましょう。創業者の子孫ではない社長の国籍も確かめましょう。創業者の子孫でも養子の場合は国籍を確かめましょう。結婚においても相手の国籍をパスポートもしくは戸籍謄本で確かめましょう。